小栗上野介の処刑に抗議した人はいたのか—新政府に調査の記録はなく、斬った軍監は県知事に。名誉回復までの六十四年

小栗上野介忠順の胸像(ヴェルニー公園)

2027年NHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』(2027年1月10日放送開始/主演・松坂桃李)の関連記事です。▶ 大河『逆賊の幕臣』特集に、関連記事とキャスト一覧をまとめています。

小栗上野介忠順は、慶応四年(1868年)閏四月六日、取り調べもないまま斬られました。小栗は勘定奉行や外国奉行を務め、横須賀製鉄所を起こした人です。その仕事ぶりを知る人は、幕府の内にも外にも大勢いたはずです。

では、処刑のあと、新しい政府のなかで「あれは間違いだった」と声を上げた人はいたのでしょうか。新政府は、この処刑をどう扱ったのでしょうか。記録で確かめられることと、伝わっているだけのことを分けて見ていきます。

大河ドラマ『逆賊の幕臣』では、松坂桃李さんが主人公の小栗忠順を演じます(主演、2025年3月3日発表)。

目次

小栗の処刑に抗議した人はいたのか?—先に答え

当時の抗議新政府の人が処刑に公に抗議した記録は、調べた範囲では見つかりません
新政府の対応処刑を調べ直したり、誰かを処分したりした記録も見当たりません。事実上、そのまま受け入れられました
斬った軍監のその後原保太郎は山口県令、福島県知事、北海道庁長官を歴任し、貴族院議員になりました
声を上げた人明治の半ば以降、旧幕臣の福地源一郎や田辺太一が著書で小栗の功績を書き残しました
名誉回復大正十一年(1922年)に横須賀で胸像、昭和七年(1932年)に斬首の地に「罪なくして此処に斬らる」の碑。処刑から六十四年後のことです

処刑の直後、声は上がらなかった

まず、はっきりしていることから書きます。小栗の処刑について、新政府の役人や薩摩・長州・土佐などの藩士が、当時、公に抗議したり、責任を問うたりした記録は、調べた範囲では見つかりませんでした。

理由として考えられることはいくつかあります。これは筆者の見立てです。

  • 戦がまだ続いていた。閏四月は、北関東や会津、越後で戦の最中でした。一人の旗本の処刑を問い直す余裕は、新政府にはなかったでしょう。
  • 小栗は「主戦派」と見られていた。江戸城で最後まで抗戦を説いた人として、新政府の側では警戒の対象でした。
  • 旧幕臣の立場は弱かった。小栗を知る旧幕臣の多くは、明治になって新政府に仕えます。けれども、新しい主人のもとで、つい先日の処刑に異を唱えることは難しかったはずです。

処刑が誰の判断で行われたのかは、小栗上野介の処刑は誰が決めたのかで詳しく取り上げています。

新政府は調べず、斬った軍監は出世した

新政府がこの処刑を調べ直したり、関わった人を処分したりした記録も見当たりません。少なくとも表向きには、処刑はそのまま受け入れられたことになります。

それをよく表しているのが、処刑を指揮した軍監・原保太郎のその後です。原は丹波園部藩の出身で、岩倉具視の食客でした。明治に入ってからは、

  • 山口県令
  • 福島県知事
  • 北海道庁長官
  • 貴族院議員(明治三十六年〈1903年〉に勅選)

と、要職を歩んでいます。小栗の処刑が、原の経歴の妨げになった様子はありません。原の生涯は原保太郎とは何をした人物かにまとめています。

なお、小栗に贈位があったかどうかについては、贈位があったという記録も、なかったと確かめる記録も、見つかっていません。この点は断定を控えます。

勝海舟は抗議したのか

小栗と並んで語られることの多い勝海舟は、明治になって新政府に出仕し、海軍卿などを務めました。勝は談話集『氷川清話』で小栗を評しています。

その中身は、小栗を三河武士の長所と短所をあわせ持った人とし、度量の狭さを惜しむ、というものです。人物への評価であって、処刑への抗議ではありません。また『氷川清話』は編者の手が入っていることで知られ、版によって文言が異なります。

二人の関係は小栗忠順と勝海舟—同じ幕府に仕えた二人は、なぜ正反対の道を選んだのかで取り上げています。

▶ 「主人公・小栗忠順の生涯」の記事

言葉ではなく、行いで小栗の家族を支えた人々

公の抗議はなくても、小栗の家族を守った人はいました。

  • 三井の三野村利左衛門:小栗と旧知の商人で、処刑の前にアメリカへ逃れることを勧め、処刑の後は小栗の家族をかくまったと伝わります。
  • 大隈重信の家:大隈の妻・綾子は小栗のいとこで、幼いころ小栗家で育った人です。大隈家は、小栗の遺児・国子を引き取って育てました。大隈は新政府の中心にいた人物です。

大隈が小栗の処刑について公に何か言った記録は見当たりません。それでも、新政府の要人の家が、政府に斬られた幕臣の娘を育てたことは、一つの意思表示だったと見ることもできるでしょう。

明治の半ば、旧幕臣たちが書き残した

処刑から三十年ほどたつと、小栗を知る旧幕臣たちが、その功績を本に書き残し始めます。

  • 田辺太一『幕末外交談』(明治三十一年〈1898年〉):外国方で働いた田辺は、横須賀に東洋に比べるもののない造船所ができたのは小栗の力だとして、その胆力と手腕をたたえたとされます。
  • 福地源一郎『幕末政治家』(明治三十三年〈1900年〉):小栗のもとで外国方の通訳を務めた福地は、小栗を水野忠徳・岩瀬忠震と並ぶ「幕末の三傑」と呼んだとされます。

二人とも、のちに新政府に仕えた人です。処刑への抗議という形ではありませんが、小栗の仕事を正しく残そうとした、最初の声だったと言えます。二人と小栗の関係は小栗上野介と親しかったのは誰かで詳しく紹介しています。

東郷平八郎と大隈重信の言葉は「伝わる」もの

小栗の再評価でよく引かれるのが、東郷平八郎と大隈重信の言葉です。ただ、どちらも扱いには注意が要ります。

東郷平八郎の書

明治四十五年(1912年)、東郷は小栗の孫の又一らを自宅に招き、「仁義禮智信」と書いた書を贈りました。この書は「為小栗又一君」と添えられ、いまも東善寺に残っています。これは確かな事実です。

一方、このとき東郷が「日本海海戦に勝てたのは、小栗さんが横須賀造船所を作っておいてくれたおかげ」と語ったという話は、遺族の側から伝わったものです。

大隈重信の言葉

大隈が「明治政府の近代化は、小栗の模倣にすぎない」と語ったという話も広く知られています。けれども、大隈自身の著作や談話で、その出どころを確かめることはできませんでした。また、大正四年(1915年)の横須賀海軍工廠五十周年の式で大隈が小栗の功績を認めたという話も、当時の記録では確認できていません。

どちらも、「そう伝わっている」と受け止めるのがよいと思います。

名誉回復までの六十四年

小栗の名誉が形になって回復していくのは、大正から昭和にかけてです。

  • 大正十一年(1922年)九月二十七日:横須賀に小栗の胸像が建てられます。いまのヴェルニー公園の胸像は、その流れを受け継ぐものです。
  • 昭和七年(1932年)五月五日:斬首の地である烏川の水沼河原に、「偉人小栗上野介罪なくして此処に斬らる」と刻んだ碑が建てられました。碑文は蜷川新によるものです。

この碑をめぐっては、東善寺に次のような話が伝わっています。高崎警察署長が「官軍は天皇の軍隊である。罪なくして斬らるとは何事か」と異を唱え、蜷川がこれに反論して、碑はそのまま建てられた、というものです。

処刑から六十四年たってもなお、「官軍が間違えた」と刻むことには抵抗があったことがわかります。言い換えれば、この碑こそが、小栗の処刑に対する初めての、そして公の場に立った抗議だったのかもしれません。

再評価の流れは小栗忠順はいつ再評価されたのかで、年を追って紹介しています。

まとめ

  • 処刑の当時、新政府の側から公に抗議した人の記録は見つかっていない。
  • 新政府は処刑を調べ直さず、指揮した原保太郎は要職を歩んだ。
  • 大隈家や三野村利左衛門は、小栗の家族を守るという形で支えた。
  • 明治の半ば、旧幕臣の福地源一郎や田辺太一が小栗の功績を書き残した。
  • 「罪なくして此処に斬らる」の碑が建ったのは、処刑から六十四年後だった。

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小栗忠順のゆかりの地をめぐる

小栗のゆかりの地は、東京・横須賀・埼玉・群馬に集まっています。姉妹サイト「日本の歴史旅ガイド」で、都内から回るモデルコースを紹介しています。

倉渕(高崎市)の東善寺や最期の地は駅から離れているので、高崎駅前でレンタカーを借りると回りやすくなります。各社の料金はじゃらんレンタカーで比べられます(PR)。

泊まりがけで回るなら、宿は高崎駅の周辺か、倉渕から車で40〜50分ほどの伊香保温泉が便利です。横須賀は横須賀中央駅のまわりに宿が集まっています。空き室はじゃらんnet(高崎駅周辺・伊香保温泉・横須賀中央)で探せます(PR)。

小栗忠順をもっと知る本

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2027年NHK大河ドラマ

『逆賊の幕臣』大河ドラマ特集

放送日・キャスト28人と相関・あらすじ・見どころから、主人公・小栗忠順の生涯とゆかりの地の現地写真まで、1ページで徹底解説しています。

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参考資料

高崎市立中央図書館『市史のひろば』第七号(令和八年三月)、東善寺(小栗上野介顕彰会)の記述、勝海舟『氷川清話』(版により文言が異なります)、田辺太一『幕末外交談』、福地源一郎『幕末政治家』(いずれも二次資料の引用による)、ウィキペディア「大隈綾子」「小栗忠順」、原田伊織氏の著作。東郷平八郎・大隈重信の言葉は伝聞として扱っています。

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