2027年NHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』(2027年1月10日放送開始/主演・松坂桃李)は、幕末の幕臣・小栗忠順が主人公です。▶ 大河『逆賊の幕臣』特集に、関連記事とキャスト一覧をまとめています。
幕末・明治の暗殺事件 特集:桜田門外の変から伊藤博文暗殺まで、19の事件を年表とともにまとめています。▶ 暗殺事件の特集を見る
安政7年(1860)3月3日の朝、江戸城の桜田門の外で、幕府の最高職・大老の井伊直弼が討たれました。「桜田門外の変」です。白昼、それも将軍のお膝元で幕府のトップが殺されたこの事件は、幕府の権威を大きく揺るがし、ここから幕末の「暗殺の時代」が始まったともいわれます。
このページでは、井伊がなぜ狙われたのか、雪の朝に何が起きたのか、そして事件のあと何が変わったのかを順にたどります。井伊直弼その人については井伊直弼とは何をした人物かもあわせてどうぞ。
先に答え—桜田門外の変とは
| いつ | 安政7年(1860)3月3日の朝。上巳の節句で、大名たちが江戸城へ登城する日でした |
|---|---|
| どこで | 江戸城・桜田門の外(いまの東京都千代田区、警視庁の向かいあたり) |
| 誰が | 水戸藩を脱した浪士17人と、薩摩藩士の有村次左衛門の計18人。指揮は関鉄之介 |
| 誰を | 大老・井伊直弼(彦根藩主) |
| なぜ | 勅許を待たずに日米修好通商条約を結んだこと、安政の大獄で尊王攘夷派や水戸藩を厳しく処分したことへの反発 |
| 結果 | 井伊は討たれ、首は有村次左衛門が持ち去りました。幕府の権威は大きく傷つきます |
なぜ井伊直弼は狙われたのか
井伊直弼は安政5年(1858)に大老になると、二つの大きな決定をしました。一つは、朝廷の許し(勅許)を得ないまま日米修好通商条約に調印したこと。もう一つは、次の将軍を紀州藩主の徳川慶福(のちの家茂)に決めたことです。一橋慶喜を推していた水戸藩の徳川斉昭や、越前の松平春嶽らは、これに強く反発しました。
井伊は反対する大名や公家、志士たちを次々に処分します。これが「安政の大獄」です。斉昭は永蟄居(えいちっきょ)とされ、吉田松陰や橋本左内らは命を落としました。とくに水戸藩は、朝廷から直接下された勅書(戊午の密勅)の返納を迫られ、藩内は大きく揺れます。追いつめられた水戸の激派が選んだのが、井伊を討つという道でした。
雪の朝、桜田門外で何が起きたのか

3月3日は季節外れの雪の朝でした。彦根藩の上屋敷(いまの国会前庭のあたり)を出た井伊の行列は、桜田門まで数百メートルの道を進みます。供の侍は雪に備えて刀の柄に袋(柄袋)をかぶせ、雨合羽を着ていたため、とっさに刀を抜けなかったと伝えられます。
浪士たちは、大名行列の見物人を装って堀端に散らばっていました。合図の銃声とともに斬りこみ、行列は大混乱に陥ります。最初の銃弾で井伊は駕籠の中で深手を負っていたともいわれ、駕籠から引き出されたところを討たれました。首を取ったのは、ただ一人加わっていた薩摩藩士の有村次左衛門です。
斬り合いは短い時間で終わりました。有村は首を持って立ち去る途中で深手のため自刃し、浪士の多くも討ち死に、あるいは自首や自刃をしました。のちに捕らえられて処刑された者も多く、指揮をとった関鉄之介も、2年後に処刑されています。
幕府は井伊の死を隠した
大老が殺されたとなれば、彦根藩は家を取りつぶされかねず、彦根藩と水戸藩の対立が戦にもなりかねません。そこで幕府と彦根藩は、井伊は「負傷して療養中」として、しばらく死を公にしませんでした。死が正式に発表されたのは、事件からひと月近くたってからとされます。
この年の3月18日、元号は「安政」から「万延」に改められました。災いの続いた時代を改めたいという思いがあったとされます。
事件は何を変えたのか
幕府の最高職が、江戸城の門前で、わずか十数人の浪士に討たれた。この事実は、幕府の権威を大きく揺るがしました。以後、幕府は強い力で反対派を抑えるやり方をとれなくなり、朝廷と手を結ぶ「公武合体」へとかじを切ります。その中心になったのが老中・安藤信正で、2年後にはその安藤もまた襲われることになります(坂下門外の変)。
大河ドラマ『逆賊の幕臣』の主人公・小栗忠順は、井伊に取り立てられて遣米使節の目付となり、この年の初めにアメリカへ向けて出発していました。小栗が井伊の死を知ったのは、帰国の途中、あるいは帰国してからのことです。後ろ盾を失った小栗は、それでも幕府の中で力を尽くしていきます。
桜田門外の変ゆかりの地
- 桜田門(千代田区皇居外苑):事件の舞台。門は当時の姿をよく残しています(桜田門)。
- 豪徳寺(世田谷区):井伊直弼の墓があります。
- 常磐共有墓地(水戸市):関鉄之介ら襲撃した側の墓があります(【現地取材】水戸・常磐共有墓地を歩く)。
▶ この事件を起こした側の人物
- 有村次左衛門とは何をした人物か—桜田門外の変でただ一人の薩摩藩士
- 関鉄之介とは何をした人物か—桜田門外の変の現場の指揮役
- 高橋多一郎とは何をした人物か—桜田門外の変を計画し、大坂・四天王寺で自刃した水戸藩の奥右筆頭取
- 金子孫二郎とは何をした人物か—江戸での襲撃を計画し、当日は品川で知らせを待った総指揮役
幕末・明治の暗殺事件を読む
- 桜田門外の変(1860)—大老・井伊直弼(この記事)
- 坂下門外の変(1862)—老中・安藤信正
- 吉田東洋暗殺(1862)—土佐藩の参政
- 本間精一郎暗殺(1862)—木屋町の天誅
- 目明し文吉の殺害(1862)—三条河原
- 清河八郎暗殺(1863)—麻布一ノ橋
- 姉小路公知暗殺・朔平門外の変(1863)
- 芹沢鴨暗殺(1863)—壬生・八木邸
- 平岡円四郎暗殺(1864)—一橋慶喜の側近
- 佐久間象山暗殺(1864)—三条木屋町
- 原市之進暗殺(1867)—将軍慶喜の側近
- 赤松小三郎暗殺(1867)—東洞院通
- 坂本龍馬暗殺・近江屋事件(1867)
- 油小路事件(1867)—伊東甲子太郎
- 横井小楠暗殺(1869)—寺町丸太町
- 大村益次郎暗殺(1869)—兵部大輔の死
- 大久保利通暗殺・紀尾井坂の変(1878)
- 森有礼暗殺(1889)—憲法発布の朝
- 伊藤博文暗殺(1909)—ハルビン駅
▶ あわせて読みたい
2027年NHK大河ドラマ
『逆賊の幕臣』大河ドラマ特集
放送日・キャスト28人と相関・あらすじ・見どころから、主人公・小栗忠順の生涯とゆかりの地の現地写真まで、1ページで徹底解説しています。
✎ 筆者のひとこと
大老が江戸城の目の前で討たれたことで、「刀で政治を変えられる」と多くの人が思ってしまいました。ここから10年近く続く暗殺の時代の、いちばん重い引き金だったと思います。
武士も町の人々も、これを機に何かが変わると感じたことでしょう。


