井伊直弼とは何をした人物か—埋木舎の部屋住みから大老へ、小栗忠順を世に出し桜田門外に散った人

江戸城で条約の文書を前に決断する大老・井伊直弼のイラスト

この記事で紹介する井伊直弼は、2027年NHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』(2027年1月10日放送開始/主演・松坂桃李)に登場します。▶ 大河『逆賊の幕臣』特集に、関連記事とキャスト一覧をまとめています。

井伊直弼は、彦根藩主で、幕末の大老です。藩主の十四男に生まれ、三十二歳まで「埋木舎」と名づけた屋敷で部屋住みとして過ごしましたが、思いがけず藩主となり、やがて大老にまで上りつめます。天皇の許しを待たずに日米修好通商条約に調印し、将軍の跡継ぎを紀州の慶福(家茂)に決め、反対する人々を安政の大獄で処罰しました。そして万延元年(1860年)三月三日、江戸城の桜田門外で水戸浪士らに討たれます。主人公の小栗忠順を目付に取り立て、遣米使節に送り出したのも井伊でした。二〇二七年の大河ドラマ『逆賊の幕臣』では、岡部たかしさんが演じます。

目次

井伊直弼とはどんな人か

  • 生まれ:文化十二年(1815年)、彦根藩主・井伊直中の十四男として彦根城下で生まれる
  • 部屋住み:三十二歳まで、城下の屋敷「埋木舎」で茶の湯・和歌・禅・居合などに打ち込む
  • 藩主:兄の跡継ぎが亡くなって世子となり、嘉永三年(1850年)に十五代彦根藩主に
  • 大老:安政五年(1858年)四月、将軍・家定に大老に任じられる
  • していたこと:日米修好通商条約の調印、将軍跡継ぎを慶福に決定、安政の大獄
  • 最期:万延元年(1860年)三月三日、桜田門外の変で討たれる。数え四十六歳。墓は東京・世田谷の豪徳寺

「埋木舎」の三十二年

直弼は彦根藩主の十四男で、本来なら藩主になる見込みはありませんでした。兄弟たちが次々に養子に出ていくなか、直弼には声がかからず、彦根城下の小さな屋敷で暮らします。直弼はこの屋敷を、世に出ることのない埋もれ木にたとえて「埋木舎(うもれぎのや)」と名づけました。

この時代に、直弼は茶の湯、和歌、国学、禅、居合と、さまざまな道を深く学びます。とくに茶の湯は一流で、「一期一会」という言葉を広めたのは直弼の茶書『茶湯一会集』だとされます。

ところが弘化三年(1846年)、藩主を継ぐはずだった兄の子が亡くなり、三十二歳の直弼が跡継ぎに選ばれました。嘉永三年(1850年)、直弼は十五代彦根藩主となります。彦根城と直弼の十五年については、彦根城の現地取材で詳しく歩いています。

開国派の譜代筆頭

嘉永六年(1853年)にペリーが来ると、老中・阿部正弘は大名たちに意見を求めました。直弼は、いまは外国との交易を許して国力をたくわえるべきだ、という開国論を出しています。強硬な攘夷を唱える水戸の徳川斉昭とは、この時点ではっきり立場が分かれていました。

彦根藩井伊家は、徳川家康の重臣・井伊直政以来の譜代大名の筆頭で、大老を出すことのできる家柄です。やがて幕府の中で、直弼は斉昭らの一橋派に対抗する南紀派の中心になっていきます。

大老として—条約と跡継ぎ

安政五年(1858年)四月、将軍・徳川家定は直弼を大老に任じます。このとき幕府には、二つの大きな問題がありました。

  • 通商条約:アメリカ総領事ハリスとの日米修好通商条約に、天皇の許し(勅許)が得られていない
  • 将軍の跡継ぎ:病弱で子のない家定の跡を、一橋慶喜にするか、紀州の慶福にするか

直弼は六月十九日、勅許を待たずに日米修好通商条約に調印させました。さらに数日後、跡継ぎを慶福と発表します。慶福はのちの十四代将軍・徳川家茂です。怒った斉昭らは決まりを破って江戸城に乗り込み直弼を問い詰めますが、直弼は逆に彼らを謹慎させました。

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安政の大獄

同じ年の八月、孝明天皇から水戸藩に、幕府を通さずに勅書が下される「戊午の密勅」が起こります。直弼はこれを一橋派と尊王攘夷派の陰謀と見て、厳しい取り締まりを始めました。

こうして始まった安政の大獄で、徳川斉昭は永蟄居、一橋慶喜や越前の松平慶永は隠居・謹慎となり、公家や志士も多くが処罰されます。長州の吉田松陰、越前の橋本左内らは処刑されました。反対派を力で押さえ込んだ直弼は、そのぶん激しい恨みを買うことになります。

小栗忠順を抜擢した大老

直弼の時代、幕府は通商条約の批准書を交換するため、アメリカに使節を送ることになりました。このとき、使節の目付(監察役)に選ばれたのが、三十代前半の旗本・小栗忠順です。小栗はこの抜擢によって幕府の表舞台に立ち、アメリカで造幣局や造船所を見て、のちの横須賀製鉄所につながる経験を積みました。大河の発表でも、直弼は「開国を主張し、小栗を遣米使節に抜擢する」と紹介されています。

遣米使節が江戸を出たのは、万延元年(1860年)一月のことでした。小栗が太平洋を渡っているあいだに、抜擢した直弼は世を去ることになります。使節の旅については万延元年遣米使節とはをご覧ください。

桜田門外の変

万延元年(1860年)三月三日の朝、季節外れの雪が降るなか、直弼の行列は江戸城へ向かっていました。桜田門の外で、水戸藩を脱けた浪士ら十八人が行列に斬り込み、直弼は駕籠の中で討たれます。数え四十六歳でした。

大老が江戸城の目の前で殺されたこの事件で、幕府の権威は大きく揺らぎます。事件の吟味(取り調べ)にあたったのが、小栗の幼なじみの旗本・駒井朝温でした。小栗が直弼の死を知ったのは、アメリカに着いてからのことです。

直弼を討った浪士たちと、水戸に残る直弼の霊塚については水戸・常磐共有墓地の現地取材で、桜田門については桜田門のページで紹介しています。直弼の墓は、井伊家の菩提寺である世田谷の豪徳寺にあります。

大河『逆賊の幕臣』の井伊直弼

演じるのは岡部たかしさんです。第三弾の「小栗家と、その周辺」として、小栗忠高(北村有起哉さん)、安積艮斎(中村雅俊さん)らとともに発表されました。小栗を世に出した恩人であり、水戸の徳川斉昭(柄本明さん)と激しくぶつかる大老として、物語の前半の山場をつくる人物になりそうです。

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参考資料:Wikipedia日本語版「井伊直弼」「安政の大獄」「桜田門外の変」、彦根市の公開資料、NHKの番組発表ほか。年齢は数え年です。

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