幕末・維新– category –
幕末から明治維新にかけての人物・組織・軍艦・城・史跡などの記事をまとめたカテゴリーです。新選組隊士、海援隊士、坂本龍馬の手紙、幕末の軍艦などのシリーズのほか、2027年の大河ドラマの主人公・小栗忠順に関する記事もここに入っています。
-
幕末・維新
河本杜太郎・河野顕三とは何をした人物か—坂下門外の変で老中・安藤信正を襲った越後と下野の医師の子。口火の一発、変名、闘死、ほかの実行者とゆかりの地
文久2年1月15日、坂下門外で老中・安藤信正の行列を襲った6人のうち、水戸浪士ではなかったのが越後の河本杜太郎と下野の河野顕三です。直訴を装って駕籠を撃ち、口火を切った河本。国学者の孫で、堀利熙の屋敷に身を寄せていた河野。二人の生い立ち、事件、闘死、小田彦三郎・黒沢五郎・高畑総次郎・川辺左次衛門まで。 -
幕末・維新
大橋訥庵とは何をした人物か—坂下門外の変を計画した江戸の儒者。思誠塾と『闢邪小言』、宇都宮藩の侍講、事件直前の逮捕と出獄4日後の死、ゆかりの地
江戸日本橋で思誠塾を開き、『闢邪小言』で西洋の学問を激しく批判した儒者・大橋訥庵。宇都宮藩の侍講として下野の志士を集め、老中・安藤信正を襲う坂下門外の変を計画しましたが、決行3日前に捕らえられ、出獄からわずか4日で亡くなりました。生い立ち、門人の児島強介ら、斬奸趣意書、谷中の墓などゆかりの地まで。 -
幕末・維新
高橋多一郎とは何をした人物か—桜田門外の変を計画した水戸藩の奥右筆頭取。密勅を運び、薩摩の挙兵を待って大坂・四天王寺で子と自刃。辞世とゆかりの地
水戸藩改革派きっての秀才といわれ、奥右筆頭取まで進んだ高橋多一郎。戊午の密勅の写しを水戸へ運び、金子孫二郎とともに井伊直弼を討つ計画を立てました。自らは薩摩藩兵と京で動くため大坂へ向かいましたが、薩摩は動かず、四天王寺で子の荘左衛門とともに自刃。生い立ち、出世の経緯、長岡屯集、辞世、ゆかりの地まで。 -
幕末・維新
金子孫二郎とは何をした人物か—桜田門外の変を江戸で総指揮した水戸藩の郡奉行。品川で待った知らせ、四日市での捕縛、伝馬町の最期とゆかりの地
水戸藩の郡奉行として民政に腕をふるい、桜田門外の変では江戸での襲撃計画を立てて全体を指揮した金子孫二郎。当日は品川で知らせを待ち、成功を聞くと薩摩の有村雄助と京へ向かいましたが、伊勢の四日市で捕らえられ、文久元年に江戸・伝馬町で斬られました。藩・身分、出世の経緯、逸話、最期、水戸の常磐共有墓地などゆかりの地まで。 -
幕末・維新
日米修好通商条約と安政の大獄とは—勅許なしの調印、なぜ不平等条約なのか。井伊直弼の弾圧と、小栗忠順が世に出るまで
日米修好通商条約と安政の大獄を一つの流れで解説。ハリスとの交渉、勅許なしの調印、領事裁判権・関税自主権なしの不平等条約の中身、将軍継嗣問題、戊午の密勅、吉田松陰・橋本左内らの処刑、小栗忠順の目付抜擢、桜田門外の変までを表と年表で。 -
幕末・維新
幕末の金の流出とは—なぜ小判が海外へ流れたのか。金銀比価1対5と1対15、4ドルが12ドルになる仕組みと小栗忠順
幕末の金の流出とは何か。開港後、日本の金銀比価1対5と国際相場1対15の差で、4ドルの銀貨が小判を通じて12ドルになる仕組みを表でやさしく解説。流出した量、ハリスとの交渉、小栗忠順のフィラデルフィア造幣局での分析、万延小判と物価高騰・攘夷まで。 -
幕末・維新
『逆賊の幕臣』の意味とは—逆賊・朝敵・賊軍の違い。小栗忠順はなぜ「逆賊」とされ、どう名誉を回復したのか
大河ドラマ『逆賊の幕臣』のタイトルの意味を解説。逆賊・朝敵・賊軍・官軍の違い、錦の御旗で旧幕府が「賊」になった理由、戦ってもいない小栗忠順が逆賊として斬られたいきさつ、明治22年の大赦から胸像・碑の建立までの名誉回復をたどります。 -
幕末・維新
小栗上野介(小栗忠順)の名言—「どうにかなろう」が国を滅ぼす、土蔵付きの売り家。誰がいつ書き残した言葉か
小栗上野介(小栗忠順)の名言を、意味・場面・出どころつきで紹介。「一言で国を滅ぼす言葉は『どうかなろう』」「土蔵付きの売り家」「国亡び身倒るるまで」、大隈重信・大村益次郎・東郷平八郎が小栗について語った言葉まで。 -
幕末・維新
鳥羽伏見の戦いとは—3倍の兵の旧幕府軍はなぜ4日で負けたのか。進軍図・兵力と武器の比較、錦の御旗、淀藩と津藩の寝返り、慶喜の大坂城脱出と江戸への撤退
鳥羽伏見の戦いとは何か。1868年1月3日から6日、京都の南で旧幕府軍と薩長の新政府軍がぶつかった戊辰戦争の最初の戦いを日ごとに解説。兵の数で3倍だった旧幕府軍が負けた4つの理由、錦の御旗、淀藩・津藩の寝返り、慶喜の大坂城脱出と小栗忠順の罷免まで。 -
幕末・維新
大政奉還とは—慶喜はなぜ政権を返したのか。二条城の決断と土佐の建白、王政復古の巻き返しから鳥羽伏見まで
大政奉還とは何か。1867年10月14日、徳川慶喜が政権を朝廷に返したのはなぜか。土佐藩の建白と坂本龍馬、二条城での諮問、同じ日の討幕の密勅、慶喜のねらい、王政復古の大号令と辞官納地、江戸の薩摩藩邸焼き打ちから鳥羽伏見の戦いまでを年表で。 -
幕末・維新
江戸城無血開城とは—勝海舟と西郷隆盛の会談、山岡鉄舟の使者、パークスの横やり。小栗忠順が退けられた先の結末
江戸城無血開城とは何か。1868年4月11日、江戸城が戦わずに明け渡されるまでを、山岡鉄舟の駿府での談判、勝海舟と西郷隆盛の会談、イギリス公使パークスの反対、天璋院・和宮の嘆願からたどります。開城の条件と、その後の上野戦争・榎本艦隊の脱出・小栗忠順の最期まで。 -
幕末・維新
新見正興・村垣範正とは何をした人物か—万延元年遣米使節の正使と副使。目付・小栗忠順とアメリカへ渡った三人の、その後
新見正興と村垣範正は何をした人物か。1860年、日米修好通商条約の批准のためアメリカへ渡った遣米使節の正使と副使を、目付・小栗忠順とあわせて解説。役割の違い、ワシントンとフィラデルフィアでの出来事、村垣の『遣米使日記』、帰国後の三人の歩みを表で比べます。 -
幕末・維新
ロッシュとは何をした人物か—幕府を支えたフランス公使。横須賀製鉄所と軍事顧問団、小栗忠順との二人三脚、パークスとの対立
レオン・ロッシュは何をした人物か。アルジェリア帰りのフランス公使が、なぜ幕府に肩入れしたのか。小栗忠順と進めた横須賀製鉄所、横浜仏語伝習所、フランス軍事顧問団、借款交渉、慶喜への助言、イギリス公使パークスとの対立、鳥羽伏見後の抗戦のすすめまで。 -
幕末・維新
徳川慶喜とは何をした人物か—最後の将軍、大政奉還と大坂城からの脱出。小栗忠順を罷免し、明治を45年生きた十五代
徳川慶喜は何をした人物か。水戸の斉昭の子として生まれ、一橋家から15代将軍へ。慶応の改革、大政奉還、鳥羽伏見の戦いと大坂城からの脱出、小栗忠順の罷免、江戸開城と静岡での30年まで。大河『逆賊の幕臣』で小栗が仕えた最後の将軍を、写真とともにたどります。 -
幕末・維新
依田雄太郎・鈴木豊次郎とは何をした人物か—将軍慶喜の懐刀・原市之進を斬った幕臣。講武所の槍術教授、浪士組、鈴木兄弟と黒幕説
慶応3年8月14日の朝、京都で将軍徳川慶喜の側近・原市之進を斬った幕臣の依田雄太郎と鈴木豊次郎。講武所で槍術を教え浪士組の取締役も務めた依田、兄の恒太郎とともに江戸を出奔した鈴木。斬奸趣意書、板倉勝静の屋敷前での最期、山岡鉄舟・高橋泥舟の黒幕説とその否定まで。 -
幕末・維新
江幡広光・林忠五郎とは何をした人物か—一橋慶喜の側近・平岡円四郎を斬った水戸藩士。一橋家付きの警衛役、兄への手紙、最期の4つの説
元治元年6月16日の夜、京都で一橋慶喜の側近・平岡円四郎を斬った水戸藩士・江幡広光(貞七郎)と林忠五郎。藩主の上洛に従い、公家の警衛を経て一橋家付きとなった二人が、なぜ主家の重臣を討ったのか。林が兄に宛てた手紙、その場での最期をめぐる4つの説、霊明神社での葬祭まで。 -
幕末・維新
戊辰戦争の海軍を比べる—旧幕府と新政府、開陽丸と甲鉄。榎本が渡した4隻がなければ【幕末のもしも】
戊辰戦争の始まり、日本最強の海軍は旧幕府でした。開陽丸を中心にした旧幕府海軍と、薩摩・長州・佐賀など新政府側の海軍を表で比較。江戸開城で榎本武揚が渡した4隻、江差での開陽丸沈没、装甲艦・甲鉄の引き渡しで力関係がどう逆転したかを、宮古湾・箱館湾の海戦までたどり、「もしも」も考えます。 -
幕末・維新
津下四郎左衛門とは何をした人物か—横井小楠を斬った備前の若者。森鷗外が子の証言で描いた生涯、勇戦隊から京都へ、処刑とゆかりの地
明治2年1月5日、京都・寺町通で新政府の参与・横井小楠を斬った刺客の一人、備前の津下四郎左衛門。村役人の家に生まれ、家老伊木家の勇戦隊に加わり、上田立夫と京都へ出て事件を起こし、明治3年に処刑されました。森鷗外が子の話をもとに書いた『津下四郎左衛門』の内容、ほかの実行者たち、ゆかりの地まで。 -
幕末・維新
安重根とは何をした人物か—ハルビン駅で伊藤博文を撃った朝鮮の独立運動家。義兵闘争と断指同盟、旅順での最期、日韓で分かれる評価とゆかりの地
1909年10月26日、ハルビン駅で初代韓国統監・伊藤博文を撃った安重根。黄海道の両班の家に生まれ、学校づくりから義兵闘争へ進み、事件後は旅順で裁かれて死刑に。獄中の自伝と未完の『東洋平和論』、看守・千葉十七との交流、日本と韓国で大きく異なる評価、宮城県栗原市の大林寺などゆかりの地まで。 -
幕末・維新
西野文太郎とは何をした人物か—憲法発布の朝に森有礼を刺した長州出身の青年。伊勢神宮「不敬」の噂、その場での最期と、墓に集まった人びと
明治22年2月11日、大日本帝国憲法発布の朝、文部大臣・森有礼を官邸で刺し、その場で斬られた西野文太郎。長州藩士の家に生まれ、伊勢神宮での森の「不敬」の噂を信じて事件を起こしました。事件のあと墓に参拝者が絶えなかった世相、政府の取り締まり、山口の墓などゆかりの地まで。 -
幕末・維新
桂早之助とは何をした人物か—龍馬を斬ったとされる見廻組の小太刀の名手。所司代同心から肝煎へ、霊山歴史館の刀、鳥羽伏見での戦死とゆかりの地
京都所司代の同心の家に生まれ、西岡是心流の小太刀の名手として将軍の上覧試合で講武所の剣客を破った桂早之助。京都見廻組の肝煎となり、近江屋事件で坂本龍馬を斬った一人とされます。霊山歴史館に残る「龍馬を斬った刀」、鳥羽伏見の戦いでの戦死、大阪・心眼寺の墓などゆかりの地まで。
