2027年NHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』(2027年1月10日放送開始/主演・松坂桃李)の関連記事です。▶ 大河『逆賊の幕臣』特集に、関連記事とキャスト一覧をまとめています。
塚越冨五郎(つかごし とみごろう)は、小栗上野介忠順の領地・上州権田村(いまの群馬県高崎市倉渕町権田)の農家に生まれた若者です。小栗が斬られたあと、妻・道子たちを守って会津へ逃れ、会津軍に加わって戦いました。慶応4年(1868年)の秋、阿賀野川の渡し場「一竿(ひとさお)」で対岸の新政府軍と撃ち合いになり、胸を撃たれて亡くなっています。23歳でした。「富五郎」「富吉」とも書かれます。
遺体がどこに葬られたのかはわかっていません。それでも、戦死の地にはいま慰霊碑が建ち、会津の人たちが毎年掃除をしてくれています。冨五郎の生涯を、記録と伝承を分けて紹介します。
塚越冨五郎とは—先に答え
| 読み方 | つかごし とみごろう。富五郎、富吉とも |
|---|---|
| 出身 | 上州群馬郡権田村の農家。東善寺の説明では字水有(みずあり)、仁義併存碑の注では押平(おしだいら)出身 |
| 身分 | 小栗が権田村に移ってから家臣に加えられた村の若者と伝わります |
| 小栗とのかかわり | 小栗の死後、妻・道子、母・くに、養女・鉞子を護衛して会津へ |
| 最期 | 会津藩の朱雀四番士中隊の付属隊として戦い、喜多方市高郷町の一竿で戦死。23歳。戦死の日は慶応4年8月30日とも9月1日とも |
| 墓・慰霊碑 | 遺体の埋葬地は不明。一竿の墓地に平成元年(1989年)建立の慰霊碑。東善寺(高崎市倉渕町)に供養墓(法名「剱越富清居士」、碑では「釼越冨清居士」) |

権田村の農家から小栗家の家臣へ
冨五郎は、権田村の農家の生まれです。出身の字は、東善寺の説明では水有、関係者の芳名碑「仁義併存碑」の注や会津側の記録の注では押平となっていて、資料によって分かれます。生まれた年や両親は伝わっていません。
慶応4年(1868年)3月、小栗が家族とともに権田村へ移ってくると、冨五郎は家臣に加えられたと伝わります。同じ権田村の佐藤銀十郎のように、江戸でフランス式の訓練を受けた「小栗歩兵」だったかどうかは、はっきりしません。東善寺の墓の説明は「隠棲後家臣として加えられた」と書いています。
小栗の領地・権田村については小栗家の領地・権田村とはでくわしく紹介しています。
道子たちを守って会津へ
小栗が閏4月6日に水沼河原で斬られる直前、身重の妻・道子(30歳)、母・くに(63歳)、養女の鉞子(15歳)は、村役人の中島三左衛門に託されました。三左衛門は村人で護衛隊をつくり、会津を目指します。冨五郎はその一員でした。
一行は六合村の和光原から野反池、地蔵峠を越えて越後の秋山郷へ入り、十日町、新潟を経て、閏4月の末に会津若松へたどり着きました。護衛隊のなかで女性は、三左衛門の娘・さい一人だけだったといいます。

逃避行の道のりは小栗忠順の妻はどう会津へ落ちのびたのか、隊長の三左衛門については中島三左衛門とは何をした人物かで紹介しています。
会津軍に加わって転戦する
会津側の記録『累及日録』は、小栗の死後、冨五郎(富吉)が佐藤福吉(福松)、佐藤銀次郎(銀十郎)とともに会津へ身を投じようとし、越後の浅貝宿にいた町野主水(源之助)の隊に属した、と記しています。三国峠、小出島で戦ったあと、一ノ木戸で付属隊に加わったとされます。
同じ記録には「富吉の妻は道子に従って会津に至り、家老・横山主税の家に身を寄せた」とも書かれています。しかし東善寺は、これは誤りで冨五郎に妻はいなかった、としています。
一緒に会津軍に加わった佐藤銀十郎の生涯は佐藤銀十郎とは何をした人物かで紹介しています。
阿賀野川の渡し「一竿」で撃たれる
慶応4年8月、新政府軍は会津若松の城下に攻め込み、会津藩は鶴ヶ城に籠城しました。西の越後口からも新政府軍が阿賀野川沿いに迫り、会津の諸隊は川をはさんで防戦を続けます。
一竿(ひとさお)は、いまの喜多方市高郷町にあった阿賀野川の渡し場です。竿をひと突きするだけで向こう岸に渡れるほど川幅が狭い場所だったことから、この名があるといいます。対岸の崖の下には道があり、新政府軍はその道をやってきました。
『会津戊辰戦史』によると、朱雀四番士中隊の付属隊がこの渡し場を守っていました。隊の塚越房吉が、対岸で新政府軍の兵が弾薬を運んでいるのを見て撃つと、敵はあわてて逃げました。ところが間もなく数十人の敵兵がやってきて撃ちかけ、撃ち合いになります。そのとき飛んできた弾が冨五郎の胸を貫き、冨五郎は亡くなりました。23歳でした。
戦死の日は、東善寺の説明では8月30日、現地の慰霊碑と東善寺の案内板では9月1日です。

なお、最初に発砲した塚越房吉(房五郎、次郎三郎とも)は冨五郎とは別人です。房吉は戦争を生きのび、明治2年に権田村へ帰ると、中島三左衛門とともに館林へ行き、埋められていた小栗父子の首を掘り出して村へ持ち帰りました。(小栗上野介の首はどこへ運ばれたのか)
遺体の行方と、一竿の慰霊碑
冨五郎の遺体がどこに葬られたのかは、わかっていません。戦死した場所も長く不明でしたが、小栗の研究家・小板橋良平氏の調べと地元の協力で、一竿だったことが突き止められました。
そこで平成元年(1989年)11月5日、遺族の塚越幸枝氏と、小栗上野介顕彰会・東善寺が、一竿の渡し場近くの墓地の一隅を借りて慰霊碑を建てました。碑の所在は喜多方市高郷町上郷字一竿です。碑文には、冨五郎が権田村の農家の出で、小栗の隠棲後に家臣となり、夫人らの護衛隊員として会津鶴ヶ城まで従ったこと、慶応4年9月1日にこの地で敵弾に倒れたことが刻まれています。書は東善寺の先代住職・村上照賢です。
この慰霊碑は、地元の高郷町史談会の人たちが毎年秋に掃除をして守ってくれています。平成30年(2018年)9月、熊倉で佐藤銀十郎の墓前顕彰祭が開かれた帰りには、群馬から参列した小栗上野介顕彰会の一行が、冨五郎の慰霊碑にも手を合わせました。
東善寺の供養墓と家族
故郷の東善寺(高崎市倉渕町権田)の境内には、明治の初めに権田村の人々が建てた、小栗父子と家臣たちの供養墓が並んでいます。冨五郎の墓もそこにあり、法名は「剱越富清居士」です(一竿の碑では「釼越冨清居士」)。権田の十王堂墓地にも慰霊碑があるとされます。

案内板には「小栗夫人を護衛して会津へ行き、慶応4年9月1日、耶麻郡高郷村一竿で戦死、一竿に慰霊碑がある、23歳」と記されています。
家族については、両親やきょうだいを伝える資料は見つかっていません。慰霊碑を建てた塚越幸枝氏は「遺族」「縁故者」とされていますが、続柄は明らかではありません。権田には冨五郎の遺髪墓があるという話も伝わっています。
東善寺の参拝の様子は【現地取材】東善寺の参拝ガイドで紹介しています。
大河ドラマ『逆賊の幕臣』では
この記事を書いた時点で、塚越冨五郎の配役は発表されていません。会津への逃避行が描かれるなら、護衛の村人として登場する可能性があります。発表があればこの記事に追記します。
筆者の感想
東善寺で家臣の墓の案内板を読んだとき、いちばん右にあったのが塚越冨五郎の名前でした。小栗夫人を護衛して会津へ行き、そこで戦死した。たった数行の説明ですが、その数行の重さに、しばらくその場を動けませんでした。
冨五郎は武士ではありません。権田村の農家の若者です。小栗さんが村にやってきて、わずか2か月ほどで家臣に加えられた。それなのに、主君が斬られたあとも逃げ出さず、奥方さまたちを会津まで守り抜き、さらに会津の人たちと一緒に銃をとって戦いました。23歳の若者をそこまで動かしたものは何だったのか。小栗さんの人柄なのか、村の人たちの義理堅さなのか、きっとその両方だったのだと思います。
亡きがらがどこに眠っているのかもわからない、というのが何ともやりきれません。それでも、遠い会津の川べりに慰霊碑が建ち、地元の人たちが毎年掃除をしてくれている。冨五郎の思いは、ちゃんと受けとめられているのだと思うと、少し救われる気がします。
小栗上野介に仕えた家臣・村人たち
▶ 大河『逆賊の幕臣』の登場人物を知る
- 宅麻伸さんが演じる徳川家慶とは何をした人物か—「そうせい様」と呼ばれた十二代、天保の改革と阿部正弘の抜擢、黒船十九日後の死
- ふかわりょうさんが演じる徳川家定とは何をした人物か—黒船の直後に将軍となった「お飾り」の十三代、ほんとうに暗愚だったのか
- 神尾楓珠さんが演じる徳川家茂とは何をした人物か—十三歳で将軍、和宮と結ばれ、二十一歳で大坂城に没した十四代
- 岩田剛典さんが演じる阿部正弘とは何をした人物か—二十七歳で老中首座、黒船に「みんなの意見」を聞いた宰相
- 北村一輝さんが演じる鳥居耀蔵とは何をした人物か—天保の改革の「妖怪」、蘭学者を陥れ、二十三年の幽閉を生き延びた南町奉行
- 柄本明さんが演じる徳川斉昭とは何をした人物か—攘夷の旗頭「烈公」、慶喜を将軍にしようと井伊直弼と争った水戸藩主
- 岡部たかしさんが演じる井伊直弼とは何をした人物か—埋木舎の部屋住みから大老へ、小栗忠順を世に出し桜田門外に散った人
- 中村雅俊さんが演じる安積艮斎とは何をした人物か—小栗家の屋敷で塾を開き、二千人を育てた儒学者
- 宮野真守さんが演じる滝川具挙とは何をした人物か—小栗家の隣人、鳥羽街道で「通せ」と押し問答した大目付
- 高橋光臣さんが演じる駒井朝温とは何をした人物か—小栗の三歳上の幼なじみ、次男を小栗家の養子に出した大目付
- 芝大輔さんが演じる朝比奈昌広とは何をした人物か—小栗と同い年、将軍家定のそばに仕え、長崎奉行・勘定奉行を務めた旗本
- 甲本雅裕さんが演じる佐藤藤七とは何をした人物か—世界一周した上州権田村の名主、五十四歳の遣米使節従者
- 草川拓弥さんが演じる荒川祐蔵とは何をした人物か—遣米使節の従者から、小栗とともに斬られた家臣へ
- ANIさんが演じる武笠祐左衛門とは何をした人物か—小栗家の用人、主の首を大宮へ運んだと伝わる小姓・銀之助の父
- 瀧内公美さんが演じる勝民子(たみ)とは何をした人物か—貧乏旗本の勝海舟を支え、「勝のそばには埋めないで」と遺した妻
- 青木崇高さんが演じる栗本鋤雲とは—箱館の医者からフランス通の幕臣へ、小栗忠順を書き残した人
- 大河『逆賊の幕臣』朝廷側のキャストが発表されました—孝明天皇・明治天皇・岩倉具視・鷹司政通とは何をした人か
小栗忠順のゆかりの地をめぐる
小栗のゆかりの地は、東京・横須賀・埼玉・群馬に集まっています。姉妹サイト「日本の歴史旅ガイド」で、都内から回るモデルコースを紹介しています。
- 【現地取材】小栗上野介ゆかりの地を1日でめぐる|築地・雑司ヶ谷・大宮・倉渕の回り方とモデルコース、ゆかりの地一覧(回る順番と移動時間、エリア別の一覧)
- 【現地取材】小栗上野介の生まれた場所はどこ?生誕地・神田駿河台の小栗家屋敷跡と横須賀のゆかりの地(ヴェルニー公園の胸像と、烏川の河原から運ばれた記念石。神田駿河台の生誕地)
- 小栗上野介ゆかりの地 ― 東京・横須賀・埼玉・群馬をたどる(まとめ)
- 倉渕・東善寺をめぐるモデルコース(都内発・車で1泊2日。墓所の東善寺、最期の地、普門院の首塚)
- 横須賀の日帰りコース(都内発。軍港めぐりで、小栗が始めた造船所を海から見られます)
倉渕(高崎市)の東善寺や最期の地は駅から離れているので、高崎駅前でレンタカーを借りると回りやすくなります。各社の料金はじゃらんレンタカーで比べられます(PR)。
泊まりがけで回るなら、宿は高崎駅の周辺か、倉渕から車で40〜50分ほどの伊香保温泉が便利です。横須賀は横須賀中央駅のまわりに宿が集まっています。空き室はじゃらんnet(高崎駅周辺・伊香保温泉・横須賀中央)で探せます(PR)。
小栗忠順をもっと知る本
記事の内容をもっと知りたい方に、小栗忠順を扱った本を紹介します。
※この欄の商品リンクはアフィリエイトリンク(PR)です。価格は掲載時点のものです。
あわせて読みたい
- 小栗忠順の妻はどう会津へ落ちのびたのか—慶応四年閏四月、身重の道子を守った権田村の二十二日
- 小栗上野介の首はどこへ運ばれたのか—館林城での首実検と、一周忌の夜に掘り出した村人たち
- 塚本真彦とは何をした人物か—小栗上野介の用人、遣米使節で世界を一周し、養子・又一とともに高崎で斬られた家臣
- 【現地取材】東善寺と小栗上野介の墓 ― 首を取り返した村、雨の権田を歩く
- 小栗忠順の子孫はいるのか—ただ一人の遺児・国子から現在まで。会津へ逃げた身重の妻と、三野村・大隈が支えた家
- 上白石萌音さんが演じる、小栗忠順(ただまさ)の妻・道子(みち)とは—林田藩主の娘、身重で会津へ逃れ、ただ一人の遺児・国子を産んだ
- 鈴木京香さんが演じる小栗くに(忠順の母)とは何をした人物か—小栗家の家付き娘、六十三歳で山を越えた「小栗家の太陽」
- 小栗家の領地・権田村とは—いつから知行所だったのか、代官はいたのか、年貢はどう届いたのか。参勤交代のない旗本と家臣の数
- 小栗上野介はなぜ殺されたのか—斬られた理由と最後の地・烏川の水沼河原、取り調べなき処刑の六十四日



