中村倫也さんが演じる吉田松陰とは何をした人物か—黒船に乗り込もうとした長州の兵学者。乗せてもらえなかったポーハタン号に、六年後小栗忠順が乗った

下田の夜の海で黒船ポーハタン号にこぎ寄せる吉田松陰と金子重之輔(イメージ)

2027年NHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』(2027年1月10日放送開始/主演・松坂桃李)の関連記事です。▶ 大河『逆賊の幕臣』特集に、関連記事とキャスト一覧をまとめています。

大河ドラマ『逆賊の幕臣』では、中村倫也さんが吉田松陰を演じます(2026年10月9日発表)。

吉田松陰(よしだ しょういん)は、長州藩の兵学者で、萩の松下村塾で高杉晋作・久坂玄瑞・伊藤博文らを教えた人物です。数え三十歳で処刑されるまでの短い生涯のうちに、九州・江戸・東北を歩き、黒船に乗り込んで海外へ渡ろうとし、牢獄の中でも講義を続けました。

大河ドラマ『逆賊の幕臣』では、主人公・小栗忠順と同じ学者の塾に通い、開国をめぐって議論する若者として登場します。この記事では、松陰が何をした人なのかを、小栗との意外な接点——同じ「ポーハタン号」という船——も含めてまとめます。

吉田松陰の肖像
吉田松陰の肖像。出典:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
目次

吉田松陰とは?—先に答え

読み方よしだ しょういん(通称は寅次郎。松陰は号)
生没文政十三年八月四日(1830年9月20日)〜安政六年十月二十七日(1859年11月21日)。数え三十歳、満二十九歳
生まれ長州藩の城下・萩の松本村。下級藩士・杉百合之助の次男。五歳で叔父・吉田大助の養子となり、山鹿流兵学師範の家を継ぐ
何をした人兵学者として諸国を歩き、黒船に乗り込んで海外渡航を試みて投獄されました。萩の松下村塾で多くの若者を教え、のちの明治維新を担う人材を育てました
小栗との接点松陰が安政元年に乗り込もうとして断られた米艦ポーハタン号に、六年後の万延元年、小栗忠順が遣米使節の一員として乗りました
最期安政の大獄で江戸に送られ、伝馬町の牢で斬首されました
大河ドラマ『逆賊の幕臣』で中村倫也さんが演じます

萩の松本村から—十一歳で藩主に講義した兵学者

松陰は、萩の城下から少し離れた松本村に、杉家の次男として生まれました。杉家は禄の少ない下級藩士で、父・百合之助は畑仕事をしながら子どもたちに書物を読み聞かせたと伝わります。

五歳のとき、叔父の吉田大助の養子になりました。吉田家は、長州藩で山鹿流の兵学を教える師範の家です。翌年に養父が亡くなったため、松陰は六歳で吉田家を継ぎ、もう一人の叔父・玉木文之進から厳しい教育を受けました。

天保十一年(1840年)、数え十一歳の松陰は、藩主・毛利敬親の前で山鹿流の兵学書『武教全書』を講義しています。幼い師範の講義に藩主が感心したという話は、松陰の早熟ぶりを示す逸話としてよく知られています。

九州・江戸・東北へ—安積艮斎と佐久間象山に学ぶ

嘉永三年(1850年)、松陰は九州へ遊学し、平戸や長崎で西洋の砲術や海外の事情に触れました。アヘン戦争で清が英国に敗れたことは、兵学者の松陰にとって大きな衝撃でした。

翌嘉永四年(1851年)には藩主の参勤に従って江戸に出て、儒学者の安積艮斎、兵学者の山鹿素水、そして洋学者の佐久間象山らに学びます。安積艮斎は、小栗忠順が少年時代に学んだ師でもありました。大河ドラマで松陰と小栗が出会う場として艮斎の塾が選ばれているのは、この史実を下敷きにしたものと考えられます。

ただし、二人が実際に塾で顔を合わせ、議論したことを示す史料は、当サイトで調べた範囲では見当たりません。松陰が江戸で艮斎の門をたたいたころ、小栗はすでに数え二十五歳で、幕府の役目に就いていました。ドラマでの二人の議論は、史実の「同じ師」という接点をふくらませた創作と見るのが自然です。

同じ年の暮れ、松陰は友人と東北を旅する約束を守るため、藩の通行許可を待たずに江戸を発ちました。これが脱藩とみなされ、帰国後に士籍を奪われ、家禄も取り上げられています。約束を守るためなら処分も恐れないという、松陰らしい行動でした。

黒船に乗り込む—下田のポーハタン号

嘉永六年(1853年)、ペリーの艦隊が浦賀に来航すると、松陰は現地に駆けつけて黒船を見ています。師の佐久間象山の勧めもあり、松陰は「西洋の実力を自分の目で確かめるには、海外へ渡るしかない」と考えるようになりました。当時、日本人が国外へ出ることは国禁でした。

安政元年(1854年)三月、日米和親条約の締結後に下田へ回航したペリー艦隊に、松陰は弟子の金子重之輔とともに小舟でこぎ寄せます。夜の海で旗艦ポーハタン号に乗り込み、アメリカへ連れて行ってほしいと頼みましたが、条約を結んだばかりの幕府との関係を考えたペリー側に断られ、岸へ送り返されました。

松陰と金子は自首し、江戸の伝馬町の牢に入れられたのち、萩へ送り返されます。松陰は士分の者が入る野山獄に、身分の低い金子は岩倉獄に入れられ、金子は翌年、獄中で病死しました。

六年後、同じ船で太平洋を渡ったのが小栗忠順

このポーハタン号は、六年後の万延元年(1860年)、日米修好通商条約の批准書を交換するため、幕府の遣米使節をアメリカへ運んだ船です。使節の目付として乗っていたのが、のちの大河の主人公・小栗忠順でした。

松陰が命がけで乗ろうとして断られた船に、小栗は幕府の正式な使節として乗り、ワシントンで条約の批准書を交換し、フィラデルフィアの造幣局で金貨の分析に立ち会い、世界を一周して帰国しました。そのとき松陰は、すでにこの世にいません。同じ船をめぐる二人の運命の違いは、幕末という時代の振れ幅をよく表しています。使節の旅については万延元年遣米使節とはにまとめています。

野山獄と松下村塾—身分を問わず教えた二年半

野山獄に入れられた松陰は、獄中でも学ぶことをやめませんでした。同じ獄の囚人たちを相手に『孟子』の講義を始め、やがて囚人だけでなく獄の役人まで聞きに来るようになったといいます。この講義はのちに『講孟余話』としてまとめられました。

安政二年(1855年)の暮れに出獄を許され、実家の杉家で謹慎の身となった松陰は、家の一室で近所の若者たちに教え始めます。これが松下村塾です。もとは叔父の玉木文之進が開いた塾の名前で、松陰はそれを受け継ぐ形になりました。安政四年(1857年)には小さな塾舎が建てられ、翌年には増築されています。

松下村塾の特徴は、身分を問わずに入門を認めたことです。武士の子だけでなく、足軽や町人の子も学びました。松陰が教えた期間は二年半ほどにすぎませんが、門下からは高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋、品川弥二郎、前原一誠ら、のちに幕末と明治を動かす人物が出ています。

老中襲撃の計画と安政の大獄—数え三十歳の最期

安政五年(1858年)、大老・井伊直弼のもとで幕府が勅許を得ないまま日米修好通商条約に調印すると、松陰は激しく反発しました。朝廷工作のために京都へ上っていた老中・間部詮勝を討つ計画を立て、藩に武器の提供まで願い出ます。驚いた長州藩は、同じ年の暮れに松陰をふたたび野山獄に入れました。

安政六年(1859年)、幕府は安政の大獄で尊王攘夷派を次々に捕らえます。松陰は、京都で捕らえられた梅田雲浜との関係を問いただすため、江戸に呼び出されました。取り調べ自体は大きな罪に問われるものではありませんでしたが、松陰は評定所で、自分から間部詮勝を討つ計画を語ってしまいます。これが決め手となり、同年十月二十七日、伝馬町の牢で斬首されました。

処刑の前日までに書き上げた遺書が『留魂録』です。冒頭には「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」の歌が記されています。『留魂録』は門下生たちの手で写されて回し読みされ、高杉晋作や久坂玄瑞らを強く動かしました。

松陰が処刑された安政六年の秋、小栗忠順は遣米使節の目付に任じられ、出発の準備を進めていました。同じ井伊直弼の政権のもとで、一人は処刑され、一人は使節に選ばれたことになります。安政の大獄と条約の関係は日米修好通商条約と安政の大獄とは、その翌年に井伊が討たれた事件は桜田門外の変とはで詳しく扱っています。

大河『逆賊の幕臣』で中村倫也さんが演じる吉田松陰—役どころと史実の見せ場

役どころ(NHKの発表):長州藩の下級武士の次男で、兵学師範の家に養子に入り、幼いころから兵学を叩き込まれた人物。江戸で佐久間象山や安積艮斎の塾に入り、そこで小栗と開国をめぐって議論する。黒船での密航に失敗して萩の野山獄に入り、松下村塾で多くの門人を育てるが、やがて老中暗殺と倒幕へ傾いていく

史実から見た見せ場:小栗と松陰は、同じ安積艮斎に学んだという一点でつながっています。開国して西洋に学ぼうとした点では二人は同じ方向を向いていましたが、松陰は国禁を破って黒船に乗り込み、小栗は幕府の使節として正式にアメリカへ渡りました。「同じ志を、違う立場で生きた二人」がドラマでどう描かれるかが見どころです

大河ドラマ『逆賊の幕臣』では、中村倫也さんが吉田松陰を演じます。2026年10月9日に発表された薩摩・長州側の四人の一人です。同じ発表で、松陰の門人・高杉晋作を寛一郎さんが演じることも明らかになりました。

中村さんはコメントで、幕末の動乱を「それぞれの正義を持った人々のぶつかり合い」ととらえ、萩を訪ねるなどして役づくりを進めていること、松陰を周囲を熱くする「熱源」として演じたいことを語っています。

全体の配役は大河『逆賊の幕臣』特集にまとめています。松陰の門人については寛一郎さんが演じる高杉晋作とは何をした人物か—松陰の門人から奇兵隊へ。小栗忠順が後押しした長州征討を、わずかな兵ではね返したもあわせてご覧ください。

吉田松陰の家族・先祖・最期—人物データ

家族父は杉百合之助、母は滝。兄に梅太郎(のち杉民治)、妹に千代・寿・文ら。妹の文は門人の久坂玄瑞に嫁ぎました。松陰は生涯妻を持たず、子もいません
養家叔父・吉田大助の養子となり、山鹿流兵学師範の吉田家を継ぎました
師玉木文之進(叔父)、山鹿素水、安積艮斎、佐久間象山ほか
主な門人高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋、品川弥二郎、前原一誠、吉田稔麿、入江九一ほか
最期安政六年十月二十七日(1859年11月21日)、江戸・伝馬町の牢で斬首。数え三十歳
墓所はじめ小塚原の回向院に葬られ、文久三年(1863年)に高杉晋作らの手で荏原郡若林村(現在の東京都世田谷区)に改葬されました。現在の松陰神社です。萩の団子岩にも墓があります

吉田松陰の逸話

  • 「二十一回猛士」という別号を使いました。杉の字と吉田の字を分解して「二十一回」と読み、生涯に二十一回の猛を振るうという決意を込めたといわれます
  • 野山獄では、囚人たちにも得意な分野を教えさせ、互いに師となる場をつくったと伝わります
  • 下田で乗り込んだ際に、刀などを積んだ小舟が流されてしまい、身元が知られる原因になったともいわれます

吉田松陰のゆかりの地めぐり

  • 松下村塾と松陰神社(山口県萩市)。塾舎は「明治日本の産業革命遺産」の構成資産です
  • 野山獄跡(山口県萩市)
  • 松陰神社と松陰の墓(東京都世田谷区若林)
  • 弁天島と吉田松陰踏海の朝の像(静岡県下田市)
  • 小塚原回向院(東京都荒川区)。最初に葬られた場所です

中村倫也さんの歴史ドラマ・映画への出演

  • 大河ドラマ『天地人』(2009年)豊臣秀頼
  • 大河ドラマ『軍師官兵衛』(2014年)織田信忠
  • 映画『俺は、君のためにこそ死ににいく』(2007年)
  • NHK『忠臣蔵の恋〜四十八人目の忠臣〜』(2016〜2017年)浅野大学長広

※出演歴は公開されている出演作の一覧や報道をもとに、主なものを挙げています。『逆賊の幕臣』は『軍師官兵衛』以来、十三年ぶりの大河出演と報じられています。

小栗忠順のゆかりの地をめぐる

小栗のゆかりの地は、東京・横須賀・埼玉・群馬に集まっています。姉妹サイト「日本の歴史旅ガイド」で、都内から回るモデルコースを紹介しています。

倉渕(高崎市)の東善寺や最期の地は駅から離れているので、高崎駅前でレンタカーを借りると回りやすくなります。各社の料金はじゃらんレンタカーで比べられます(PR)。

泊まりがけで回るなら、宿は高崎駅の周辺か、倉渕から車で40〜50分ほどの伊香保温泉が便利です。横須賀は横須賀中央駅のまわりに宿が集まっています。空き室はじゃらんnet(高崎駅周辺・伊香保温泉・横須賀中央)で探せます(PR)。

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2027年NHK大河ドラマ

『逆賊の幕臣』大河ドラマ特集

放送日・キャスト28人と相関・あらすじ・見どころから、主人公・小栗忠順の生涯とゆかりの地の現地写真まで、1ページで徹底解説しています。

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参考資料

海原徹『吉田松陰』(ミネルヴァ書房)、古川薫『吉田松陰』、山口県教育会編『吉田松陰全集』、萩市「松下村塾」案内、NHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』出演者発表(2026年10月9日)、シネマトゥデイ・ステラnetの出演者発表記事。

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