幕末・維新– category –
幕末から明治維新にかけての人物・組織・軍艦・城・史跡などの記事をまとめたカテゴリーです。新選組隊士、海援隊士、坂本龍馬の手紙、幕末の軍艦などのシリーズのほか、2027年の大河ドラマの主人公・小栗忠順に関する記事もここに入っています。
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幕末・維新
河合耆三郎【新選組隊士 勘定方 幕末】
河合耆三郎は新選組の勘定方。出身は播磨高砂、最期は切腹。播磨高砂の米問屋の生まれで、勘定方として隊の経理を担いました。池田屋事件にも加わり、褒賞を受けています。慶応二年に切腹を命じられましたが、その理由ははっきりしていません。 -
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篠原泰之進【新選組隊士 諸士取調役兼監察 幕末】
篠原泰之進は新選組の諸士取調役兼監察。出身は筑後久留米(うきは)、最期は病没。伊東甲子太郎の同志として新選組に入り、監察・柔術師範を務めました。御陵衛士として離れ、油小路を切り抜けたのち、伏見街道で近藤勇を狙撃します。 -
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尾形俊太郎【新選組隊士 副長助勤 幕末】
尾形俊太郎は新選組の副長助勤。出身は肥後熊本、最期は病没。熊本藩領の出身で、入隊してすぐ副長助勤となります。五番組の組頭、監察、文学師範を務め、長州訊問使にも随行しました。会津で消息を絶ち、のちに熊本で私塾を開いていたことが分かりました。 -
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野村利三郎【新選組隊士 陸軍奉行添役介 幕末】
野村利三郎は新選組の陸軍奉行添役介。出身は美濃(大垣藩とも)、最期は戦死。流山で近藤勇に付き添って出頭し、捕らえられますが釈放されました。箱館では土方歳三直属の陸軍奉行添役となります。宮古湾海戦で甲鉄艦に真っ先に斬り込み、戦死しました。 -
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中島登【新選組隊士 番兵取締 幕末】
中島登は新選組の番兵取締。出身は武州多摩(八王子)、最期は病没。八王子の農家に生まれ、八王子千人同心から新選組に入りました。流山での近藤の出頭に立ち会い、会津から箱館まで戦いました。隊士たちの姿を描いた『戦友姿絵』を残しています。 -
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相馬主計【新選組隊士 函館新撰組隊長 幕末】
相馬主計は新選組の函館新撰組隊長。出身は常陸笠間、最期は自刃。常陸笠間藩士の子です。流山で近藤勇の助命を嘆願し、自らも捕らえられますが釈放されました。箱館で土方歳三の戦死後に新選組の隊長となり、降伏の書状に署名しました。 -
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大石鍬次郎【新選組隊士 諸士取調役兼監察 幕末】
大石鍬次郎は新選組の諸士取調役兼監察。出身は江戸(一橋家家臣の子)、最期は斬首。一橋家家臣の子で、日野の佐藤彦五郎の道場で天然理心流を学びました。池田屋事件のあとに入隊し、諸士取調役兼監察となります。 -
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島田魁【新選組隊士 諸士取調役兼監察 幕末】
島田魁は新選組の諸士取調役兼監察・伍長。出身は美濃、最期は病没。美濃の庄屋の家に生まれ、大垣藩士の養子となります。江戸で永倉新八と知り合い、壬生浪士組に加わって監察・伍長を務めました。 -
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大河ドラマ『逆賊の幕臣』の小栗忠順(小栗上野介)—生涯と見どころを記事でたどる
2027年NHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』の主人公・小栗忠順(小栗上野介)。主演・松坂桃李、脚本・安達奈緒子、2027年1月10日放送開始。旗本の家に生まれ、遣米使節、横須賀製鉄所、罷免と処刑、再評価まで、生涯の流れに沿って関連記事を並べました。 -
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遠藤謹助とは—長州ファイブの「造幣の父」は、なぜ造幣局の桜を市民に開いたのか
遠藤謹助は長州ファイブの一人で「造幣の父」。ロンドンで造幣の技術を目にし、帰国後は大阪の造幣局でお雇い外国人キンドルと対立しながらも、日本人だけで貨幣をつくる体制を実現しました。「桜の通り抜け」を始めた人物でもあります。 -
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伊藤博文と井上馨はなぜ留学を途中でやめたのか—四国連合艦隊の砲撃を止めようとした二人の帰国
長州ファイブの伊藤博文と井上馨は、なぜ一年ほどでイギリス留学を切り上げたのか。下関での外国船砲撃、四国連合艦隊の報復計画、オールコックとの会見、藩内説得の失敗、講和での通訳、袖解橋の遭難までをたどります。 -
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井上勝とは—長州ファイブの「鉄道の父」は、なぜ日本人だけでトンネルを掘らせたのか
井上勝は長州ファイブの一人で「日本の鉄道の父」。萩に生まれ、ロンドンで鉱山と鉄道を学び、新橋〜横浜間の開業、日本人だけで掘った逢坂山トンネル、東海道線の全通、小岩井農場の創設、そしてロンドンでの最期までをたどります。 -
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長州ファイブとは—国禁を破って英国へ渡った五人は、帰国後それぞれ何の「父」になったのか
長州ファイブ(長州五傑)とは、文久三年に密航してイギリスへ渡った井上馨・伊藤博文・山尾庸三・遠藤謹助・井上勝の五人。攘夷の藩がなぜ留学生を送ったのか、ロンドンでの暮らし、途中で帰国した二人、外交・内閣・工学・造幣・鉄道の「父」と呼ばれるまでを解説します。 -
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小栗忠順の役職一覧—勘定奉行四度、外国奉行・軍艦奉行・海軍奉行並まで。どう出世したのかを年表でみる
小栗忠順(小栗上野介)の役職を一覧と年表で整理。書院番から使番・目付、遣米使節を経て外国奉行、勘定奉行(四度)、江戸南町奉行、歩兵奉行、軍艦奉行、海軍奉行並・陸軍奉行並へ。安積艮斎の塾、直心影流の免許皆伝、井伊直弼の抜擢まで。 -
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小栗忠順の石高は二千七百石—小栗家とは何か。三河以来の旗本、城はあったのか、権田村375石まで
小栗忠順(小栗上野介)の石高は、相続時二千五百石、遣米使節の功で二百石加増され二千七百石。三河以来・安祥譜代の旗本・小栗家の成り立ち、城の有無、知行地の権田村(三百七十五石)と大成村、先祖の「又一」まで表で整理します。 -
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小栗忠順と勝海舟を比べる—石高・家格・役職の表でみる、二人の幕臣の階段と結末
2,500石の上級旗本と41石の小普請。太平洋を渡った理由、アメリカでしたこと、帰国後の出世、役の入れ替わり、そして正反対の最期まで、小栗忠順と勝海舟を表で比べます。 -
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山尾庸三とは—長州ファイブの「工学の父」が、耳の聞こえない人の学校をつくろうとした理由
長州ファイブの一人・山尾庸三。攘夷の志士からイギリス密航、グラスゴーの造船所で見た光景、工部大学校と盲唖教育まで、その生涯をたどります。 -
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小栗忠順の妻はどう会津へ落ちのびたのか—慶応四年閏四月、身重の道子を守った権田村の二十二日
慶応四年閏四月六日の夕方、身重の小栗道子は、夫が河原で斬られたその日のうちに上州権田村を離れ、会津を目指して山へ入りました。付き添ったのは村役人と、村の若者たちでした。 -
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小栗忠順はいつ再評価されたのか—大正十一年の胸像、昭和七年の碑、百年かけた名誉回復
小栗忠順の名誉回復は、明治政府の手でおこなわれたものではありません。追贈の記録は確認できず、彼を偉人と呼び直したのは、横須賀の造船所で働く職工たちと、権田の村人たちでした。 -
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小栗上野介の埋蔵金は本当か—赤城山ほか通説の隠し場所、勘定奉行だった小栗が疑われた理由、テレビ発掘まで百四十年の伝説をたどる
小栗上野介が徳川の御用金を赤城山に埋めたという埋蔵金伝説は本当か。結論は「まず無い」。通説の隠し場所(赤城山・日光・久能山ほか)、勘定奉行だった小栗が疑われた理由、権田村への引っ越し荷物と暴徒の襲撃、幕府の財政難、テレビ発掘の歴史までたどります。 -
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小栗忠順の罷免とは—慶応四年正月、鳥羽伏見の敗報が届いた江戸城で起きたこと
慶応四年の正月、鳥羽・伏見の敗報が届いた江戸城で、勘定奉行の小栗忠順はなお戦うべきだと唱え、正月十五日に全ての役を解かれました。この十数日のあいだに、幕府がどちらへ進むかが決まります。
