2027年NHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』(2027年1月10日放送開始/主演・松坂桃李)は、幕末の幕臣・小栗忠順が主人公です。▶ 大河『逆賊の幕臣』特集に、関連記事とキャスト一覧をまとめています。
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文久2年(1862)閏8月29日、京都の三条河原に、ひとりの男の遺体がさらされました。目明し(岡っ引き)の文吉です。「猿(ましら)の文吉」と呼ばれた文吉は、安政の大獄で尊王攘夷の志士たちを捕らえる側にいた人物でした。手を下したのは、土佐勤王党の岡田以蔵らとされます。
武士でも公家でもない一人の目明しが、なぜこれほどむごい殺され方をしたのか。「天誅」が吹き荒れた文久2年の京都で起きた事件をたどります。
先に答え—目明し文吉の殺害とは
| いつ | 文久2年(1862)閏8月29日 |
|---|---|
| どこで | 京都・三条河原で殺され、そのまま河原にさらされました |
| 誰が | 土佐勤王党の岡田以蔵ら |
| 誰を | 京都の目明し・文吉。九条家の家来・島田左近の手先として働き、高利貸もしていたといわれます |
| なぜ | 安政の大獄で、尊王攘夷派の志士の探索や捕縛に手を貸したことへの報復 |
| どのように | 刀ではなく、絞め殺されたうえでさらされました |
目明し文吉とはどんな人だったのか
文吉は京都の目明しでした。目明しは、奉行所の役人の下で犯罪の探索や容疑者の捕縛を手伝う者で、江戸でいう岡っ引きにあたります。正式な役人ではなく、町の事情に通じた者が使われました。文吉は高利貸もしていて、金まわりがよかったともいわれます。
文吉が仕えたのは、関白・九条尚忠の家来の島田左近でした。島田は、大老・井伊直弼の腹心・長野主膳と結び、朝廷の内側から幕府に協力した人物です。安政5年(1858)に始まった安政の大獄では、京都で多くの尊王攘夷の志士や公家の家来が捕らえられましたが、文吉は島田の手先として、志士たちの探索や捕縛に動いたとされます。「猿の文吉」というあだ名は、その身軽で抜け目のない動きからついたともいわれます。
なぜ文吉は狙われたのか
桜田門外の変で井伊直弼が討たれると、流れは大きく変わりました(桜田門外の変)。文久2年になると、京都には尊王攘夷派の志士が集まり、安政の大獄で幕府に協力した者たちへの報復が始まります。
その最初の大きな標的が、文吉の主人・島田左近でした。島田はこの年の7月に殺され、首がさらされました。続いて、大獄で志士の捕縛に加わった者たちが次々に狙われます。主人を失った文吉が、次の標的になるのは時間の問題でした。
三条河原で何が起きたのか

閏8月29日、文吉は土佐勤王党の岡田以蔵らに捕らえられ、三条河原へ連れて行かれました。そこで細い縄で絞め殺され、裸にされて河原に打った杭に縛りつけられ、さらされたと伝えられます。
武士の作法では、斬ることは相手を武士として扱うことでもありました。文吉が刀で斬られず、絞め殺されたうえで辱められたのは、「刀を汚すにも値しない者」という、斬った側の強い軽蔑の表れだったともいわれます。
岡田以蔵は、この数日前の閏8月20日にも、越後の浪士・本間精一郎の暗殺に加わったとされています(本間精一郎暗殺)。このころの以蔵は、武市半平太の意を受けて、京都で次々と「天誅」を実行していきました。
事件のあと—天誅の連鎖と、斬った側の末路
文吉の殺害のあとも、京都の天誅は止まりませんでした。安政の大獄で志士を取り調べた役人たちも、京都から江戸へ戻る途中の近江・石部宿で襲われ、命を落としています。
しかし文久3年(1863)の八月十八日の政変で尊王攘夷派が京都を追われると、立場は逆転しました。岡田以蔵は捕らえられて土佐へ送られ、厳しい取り調べのすえ、慶応元年(1865)に処刑されます。以蔵に天誅を命じたとされる武市半平太も、同じ年に切腹を命じられました(【現地取材】武市半平太ゆかりの地を歩く)。
正式な身分も持たない一人の目明しの死は、大名や公家の暗殺ほど大きく語られることはありません。それでも、恨みが恨みを呼び、報復が報復を生んだ幕末の京都の空気を、この事件ははっきりと伝えています。
目明し文吉ゆかりの地
- 三条河原(京都市、三条大橋のたもと):文吉が殺され、さらされた場所。三条大橋のたもとは、新選組の近藤勇の首がさらされた場所としても知られています。
▶ この事件を起こした側の人物
- 岡田以蔵とは何をした人物か—土佐の郷士。「天誅の名人」と恐れられた
幕末・明治の暗殺事件を読む
- 桜田門外の変(1860)—大老・井伊直弼
- 坂下門外の変(1862)—老中・安藤信正
- 吉田東洋暗殺(1862)—土佐藩の参政
- 本間精一郎暗殺(1862)—木屋町の天誅
- 目明し文吉の殺害(1862)—三条河原(この記事)
- 清河八郎暗殺(1863)—麻布一ノ橋
- 姉小路公知暗殺・朔平門外の変(1863)
- 芹沢鴨暗殺(1863)—壬生・八木邸
- 平岡円四郎暗殺(1864)—一橋慶喜の側近
- 佐久間象山暗殺(1864)—三条木屋町
- 原市之進暗殺(1867)—将軍慶喜の側近
- 赤松小三郎暗殺(1867)—東洞院通
- 坂本龍馬暗殺・近江屋事件(1867)
- 油小路事件(1867)—伊東甲子太郎
- 横井小楠暗殺(1869)—寺町丸太町
- 大村益次郎暗殺(1869)—兵部大輔の死
- 大久保利通暗殺・紀尾井坂の変(1878)
- 森有礼暗殺(1889)—憲法発布の朝
- 伊藤博文暗殺(1909)—ハルビン駅
✎ 筆者のひとこと
殺されたのは志士でも役人でもなく、幕府の手先として働いた町の人でした。時代の争いに巻き込まれたのは、刀を持つ武士だけではありません。
とはいえ、いったん狙われてしまえば、身分は関係ありません。公家の姉小路公知でさえ斬られたのですから、誰であっても対象になればそれで終わりだったのだと思います。


