2027年NHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』(2027年1月10日放送開始/主演・松坂桃李)は、幕末の幕臣・小栗忠順が主人公です。▶ 大河『逆賊の幕臣』特集に、関連記事とキャスト一覧をまとめています。
幕末・明治の暗殺事件 特集:桜田門外の変から伊藤博文暗殺まで、19の事件を年表とともにまとめています。▶ 暗殺事件の特集を見る
明治2年(1869)9月4日の夕方、京都・三条木屋町の宿で、新政府の兵部大輔(いまでいう防衛次官)・大村益次郎が刺客に襲われました。大村は一命をとりとめたものの、傷がもとで2か月後に大阪で亡くなります。上野戦争で彰義隊を破り、戊辰戦争を勝利に導いた「日本陸軍の父」は、なぜ味方であるはずの者たちに斬られたのでしょうか。
先に答え—大村益次郎暗殺とは
| いつ | 明治2年(1869)9月4日の夕方。亡くなったのは11月5日 |
|---|---|
| どこで | 京都・三条木屋町の宿。亡くなったのは大阪の病院(浪華仮病院) |
| 誰が | 神代直人ら、元長州藩士を含む攘夷派の士族たち |
| 誰を | 兵部大輔・大村益次郎(数え46歳) |
| なぜ | 武士の特権をなくす国民皆兵の兵制改革や、西洋式のやり方への反発 |
| 結果 | 大村は脚の傷が悪化し、右脚を切断したものの敗血症で死去しました |
大村益次郎は何をした人か
大村益次郎(はじめ村田蔵六)は、長州藩の村医者の家に生まれ、大坂の適塾で蘭学と医学を学びました。宇和島藩や幕府の講武所で西洋の兵学を教えたのち、長州藩に迎えられ、第二次長州征討(四境戦争)で幕府軍を破って名を上げます。
戊辰戦争では新政府軍の作戦を指揮し、慶応4年(1868)5月には上野の彰義隊をわずか1日で破りました(彰義隊とは—上野戦争・黒門口の激戦)。新政府では兵部大輔となり、近代的な軍隊づくりに取り組みます。
なぜ大村は狙われたのか
大村が目指したのは、藩ごとの兵を解き、身分に関係なく国民から兵を集める軍隊でした。のちの徴兵制につながる考え方です。しかしこれは、戦うことを誇りとしてきた武士の立場を奪うものでもありました。
さらに、西洋式の兵制や、大坂に兵学校や造兵の施設を集める計画などは、攘夷の考えを持ち続ける士族たちから「西洋かぶれ」と強く反発されました。刺客の中には、大村と同じ長州出身の者もいました。
京都の宿で何が起きたのか

9月4日の夕方、大村は京都・三条木屋町の宿で、来客と話をしていました。そこへ刺客たちが押し入り、斬りかかります。同席していた者や従者が斬られ、大村も額や腕、脚などに傷を負いました。大村は風呂場の湯船に身を隠して難を逃れたと伝えられます。
命はとりとめましたが、脚の傷が悪化します。大村は大阪の病院に移され、オランダ人医師ボードウィンらの治療を受けました。右脚を切断する手術が行われましたが、手術にあたって政府の許しを得るのに時間がかかったともいわれ、すでに手遅れでした。11月5日、大村は敗血症で亡くなりました。
この大村の看病にあたった一人が、シーボルトの娘で日本最初の女性の産科医とされる楠本イネです。大村は宇和島時代からイネと親しく、オランダ語を教えたこともありました。
事件のその後
犯人たちはやがて捕らえられ、処刑されました。ただ、処刑をめぐって政府の中で意見が割れ、一時刑の執行が止められる騒ぎも起きたとされます。大村の改革をよく思わない人びとが、政府の内側にもいたことを示す出来事でした。
大村の構想は、同じ長州の山県有朋らに引き継がれ、明治6年(1873)の徴兵令として形になります。東京・九段の靖国神社には、大村の銅像が立っています。
大村益次郎ゆかりの地
- 大村益次郎卿遭難之碑(京都市中京区、高瀬川沿い):近くに佐久間象山の遭難の碑もあります(【現地取材】佐久間象山・大村益次郎 遭難の地)。
- 大村益次郎殉難報国之碑(大阪市中央区法円坂、国立病院機構大阪医療センターの南東角):亡くなった病院の跡です。
- 靖国神社の大村益次郎像(千代田区九段北)
- 大村益次郎の墓(山口市鋳銭司):故郷にあります。
▶ この事件を起こした側の人物
- 神代直人とは何をした人物か—長州の攘夷派。大村益次郎襲撃の首謀者
- 金輪五郎・団伸二郎とは何をした人物か—指揮をとった長州の団と、秋田の草莽・金輪ら8人の刺客
幕末・明治の暗殺事件を読む
- 桜田門外の変(1860)—大老・井伊直弼
- 坂下門外の変(1862)—老中・安藤信正
- 吉田東洋暗殺(1862)—土佐藩の参政
- 本間精一郎暗殺(1862)—木屋町の天誅
- 目明し文吉の殺害(1862)—三条河原
- 清河八郎暗殺(1863)—麻布一ノ橋
- 姉小路公知暗殺・朔平門外の変(1863)
- 芹沢鴨暗殺(1863)—壬生・八木邸
- 平岡円四郎暗殺(1864)—一橋慶喜の側近
- 佐久間象山暗殺(1864)—三条木屋町
- 原市之進暗殺(1867)—将軍慶喜の側近
- 赤松小三郎暗殺(1867)—東洞院通
- 坂本龍馬暗殺・近江屋事件(1867)
- 油小路事件(1867)—伊東甲子太郎
- 横井小楠暗殺(1869)—寺町丸太町
- 大村益次郎暗殺(1869)—兵部大輔の死(この記事)
- 大久保利通暗殺・紀尾井坂の変(1878)
- 森有礼暗殺(1889)—憲法発布の朝
- 伊藤博文暗殺(1909)—ハルビン駅
✎ 筆者のひとこと
洋式の軍隊づくりを急いだ大村は、同じ長州の攘夷派に襲われました。新しい時代の設計図を描いた人ほど、古い考えの人たちから狙われたことがよくわかります。
古いものを壊すときには、必ずその代償がある—大村の死はそのことを教えてくれます。


