2027年NHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』(2027年1月10日放送開始/主演・松坂桃李)は、幕末の幕臣・小栗忠順が主人公です。▶ 大河『逆賊の幕臣』特集に、関連記事とキャスト一覧をまとめています。
幕末・明治の暗殺事件 特集:桜田門外の変から伊藤博文暗殺まで、19の事件を年表とともにまとめています。▶ 暗殺事件の特集を見る
元治元年(1864)7月11日、京都の三条木屋町で、佐久間象山が斬られました。象山は信州松代藩の兵学者・思想家で、勝海舟、吉田松陰、坂本龍馬らが学んだ、当時随一の洋学者です。斬ったのは、肥後熊本藩の河上彦斎(げんさい)らでした。
このページでは、なぜ象山が狙われたのか、何が起きたのか、そして事件のあとの象山の家族の運命までをたどります。
先に答え—佐久間象山暗殺とは
| いつ | 元治元年(1864)7月11日の夕方 |
|---|---|
| どこで | 京都・三条木屋町(いまの京都市中京区。高瀬川沿いに遭難の碑があります) |
| 誰が | 肥後熊本藩士の河上彦斎ら尊王攘夷派 |
| 誰を | 松代藩士・佐久間象山(数え54歳)。一橋慶喜に招かれて京都にいました |
| なぜ | 開国を説く「西洋かぶれ」と見なされたこと。天皇を彦根へ移そうとしているといううわさもありました |
| 結果 | 象山は死去。背中に傷があったことなどを理由に、佐久間家は断絶とされました |
佐久間象山はどんな人だったのか
象山は文化8年(1811)、信州松代藩士の家に生まれました。はじめは朱子学を学びましたが、アヘン戦争で清がイギリスに敗れたことに衝撃を受け、西洋の砲術や科学を猛烈に学び始めます。江戸に開いた塾には、勝海舟、吉田松陰、坂本龍馬、橋本左内らが通いました。勝海舟の妹・順子は象山の妻です。
嘉永7年(1854)、弟子の吉田松陰がペリーの船で密航しようとした事件に連座し、象山は松代で長く蟄居させられます。許されたのは文久2年(1862)の末。元治元年(1864)、一橋慶喜に招かれて京都へ上りました。
なぜ象山は狙われたのか
このころの京都は、尊王攘夷派の志士が集まり、「天誅」と称する暗殺が相次いでいました。開国を説き、西洋の学問を重んじる象山は、攘夷派から見れば国を誤らせる人物でした。
さらに、象山が朝廷の要人のもとに出入りし、天皇を彦根城へ移そうとしている、といううわさも流れていました。実際に象山がどこまで関わっていたのかははっきりしませんが、こうしたうわさが攘夷派の怒りに火をつけたとされます。事件のひと月前には池田屋事件が起き、攘夷派は追いつめられていました。
三条木屋町で何が起きたのか

7月11日の夕方、象山は用事をすませて、西洋式の鞍をつけた馬で宿へ帰る途中でした。洋装の鞍にまたがり、供をわずかに連れて京の町を行く象山の姿は、ひときわ目立ったといわれます。
三条木屋町のあたりで、待ち伏せていた河上彦斎らが斬りかかりました。象山は馬上で斬られ、馬を走らせて逃れようとしましたが、深手を負って落馬し、その場で亡くなりました。現場には「この者は西洋の学を唱え、天皇を彦根へ移そうとした」といった趣旨の斬奸状が掲げられたとされます。
河上彦斎は「人斬り彦斎」として恐れられた人物です。明治になってからも攘夷の考えを捨てず、明治4年(1871)に別の事件にかかわったとして処刑されました。
背中の傷と、家の断絶
象山の遺体には背中にも傷があったとされ、松代藩は「後ろ傷は武士として不覚」として、佐久間家の断絶を命じました。逃げようとして背中を斬られたことが、武士の恥とされたのです。坂下門外の変で背中に傷を負った老中・安藤信正が批判されたのと、同じ考え方です(坂下門外の変)。
象山の息子・恪二郎は、父の仇を討つと言って新選組に入りました。新選組では「三浦啓之助」と名乗りましたが、隊になじめずに脱走したと伝えられます(三浦啓之助【新選組隊士】)。佐久間家は、明治になってから再興が認められました。
佐久間象山ゆかりの地
- 佐久間象山遭難之碑(京都市中京区、高瀬川沿い):近くに大村益次郎の遭難の碑もあります(【現地取材】佐久間象山・大村益次郎 遭難の地)。
- 象山神社・象山記念館(長野市松代町):象山の生まれた松代にあります。
- 妙心寺大法院(京都市右京区):象山の墓があります。
▶ この事件を起こした側の人物
- 河上彦斎とは何をした人物か—肥後の「人斬り彦斎」
幕末・明治の暗殺事件を読む
- 桜田門外の変(1860)—大老・井伊直弼
- 坂下門外の変(1862)—老中・安藤信正
- 吉田東洋暗殺(1862)—土佐藩の参政
- 本間精一郎暗殺(1862)—木屋町の天誅
- 目明し文吉の殺害(1862)—三条河原
- 清河八郎暗殺(1863)—麻布一ノ橋
- 姉小路公知暗殺・朔平門外の変(1863)
- 芹沢鴨暗殺(1863)—壬生・八木邸
- 平岡円四郎暗殺(1864)—一橋慶喜の側近
- 佐久間象山暗殺(1864)—三条木屋町(この記事)
- 原市之進暗殺(1867)—将軍慶喜の側近
- 赤松小三郎暗殺(1867)—東洞院通
- 坂本龍馬暗殺・近江屋事件(1867)
- 油小路事件(1867)—伊東甲子太郎
- 横井小楠暗殺(1869)—寺町丸太町
- 大村益次郎暗殺(1869)—兵部大輔の死
- 大久保利通暗殺・紀尾井坂の変(1878)
- 森有礼暗殺(1889)—憲法発布の朝
- 伊藤博文暗殺(1909)—ハルビン駅


