この記事は、2027年NHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』(2027年1月10日放送開始/主演・松坂桃李)の関連記事です。▶ 大河『逆賊の幕臣』特集に、関連記事とキャスト一覧をまとめています。

栗本鋤雲(くりもと じょうん)は、幕府の外国奉行として小栗忠順とともに横須賀製鉄所を進めた人です。その生涯は青木崇高さんが演じる栗本鋤雲とはで詳しく書きました。
この記事では、もう一つの顔に光を当てます。「書く人」としての栗本鋤雲です。鋤雲はパリで見たものを書き、明治になると郵便報知新聞の主筆として政府に物申し、晩年には友・小栗忠順の言葉を書き残しました。私たちが今、小栗の人柄を知ることができるのは、鋤雲の筆があったからでもあります。
栗本鋤雲は何を書き残した?—先に答え
| いつ | 何を書いた | 中身 |
|---|---|---|
| 1867〜68年 | パリでの見聞(『暁窓追録』) | パリ万博に派遣された徳川昭武を補佐し、フランスの政治・社会・街のようすを書きとめた |
| 1869年 | 『匏庵十種』 | 幕府に仕えた日々や見聞をまとめた本 |
| 1873〜85年 | 郵便報知新聞の記事 | 主筆として論説を書き、犬養毅や尾崎行雄ら若い記者を育てた |
| 没後1900年 | 『匏庵遺稿』 | 60あまりの文章を集めた遺稿集。小栗忠順の「土蔵付き売り家」の言葉の出どころとされる |
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なぜ鋤雲は「書く人」になったのか
鋤雲はもともと幕府の医者の家の生まれで、儒学者・安積艮斎の塾や昌平坂学問所で漢学をみっちり学んでいます。漢文で筋道の通った文章を書く力は、若いころから鍛えられていました。
そこに加わったのが、箱館での経験です。奥医師をとがめられて蝦夷地の箱館に送られた鋤雲は、フランス人宣教師メルメ・カションからフランス語を学び、西洋の目で物事を見るようになります。漢学の筆と、西洋を見る目。この二つが、のちの鋤雲の文章の土台になりました。
パリで書く—幕府が倒れたことを外国で知る

慶応3年(1867年)、鋤雲はパリ万国博覧会に将軍の名代として派遣された徳川昭武(慶喜の弟)を補佐するため、フランスへ渡ります。フランスとの親善を深め、幕府への支援をとりつけるのが役目でした。
ところが滞在中に、大政奉還、鳥羽伏見の戦い、江戸開城と、本国の幕府は崩れていきます。鋤雲は、仕える政府がなくなったことをパリで知り、明治元年(1868年)に帰国しました。
鋤雲はパリで見たフランスの議会、新聞、街の仕組みを書きとめ、のちに『暁窓追録』として残しています。外国の社会を自分の目で見て、日本の読者に伝える。新聞記者としての鋤雲の仕事は、ここから始まっていました。
新政府には仕えず、新聞の主筆へ
帰国した鋤雲は、新政府から誘われても仕えませんでした。かつての主君の家が倒れた以上、勝った側に仕えるのは潔くない。そう考えた幕臣は少なくありませんでしたが、鋤雲はその代わりに「筆」で生きる道を選びます。
横浜毎日新聞を経て、明治6年(1873年)、郵便報知新聞に招かれ、主筆として論説を書きました。明治18年(1885年)に退くまで、およそ12年にわたって紙面を率いています。

犬養毅・尾崎行雄を育てる
郵便報知新聞には、のちに政治家として名を残す若者たちが集まりました。犬養毅や尾崎行雄も、鋤雲のもとで記者として筆を磨いています。犬養はのちに総理大臣となり、尾崎は「憲政の神様」と呼ばれました。旧幕臣の鋤雲が育てた記者たちが、明治・大正の議会政治を担っていったのです。

友・小栗忠順を書き残す
鋤雲が残した文章の中で、今いちばんよく引かれるのが、小栗忠順についての回想です。
横須賀製鉄所の建設に「幕府がつぶれたら無駄になる」と反対する声があったとき、小栗は「同じ売り家でも、土蔵付きの売り家は高く売れる」という意味のことを言い返したと伝わります。この言葉は、鋤雲の没後にまとめられた遺稿集『匏庵遺稿』(明治33年)が出どころとされています。
小栗は「逆賊」として斬られ、明治の世では長く語られることのない人でした。その小栗の言葉と人柄を、ともに働いた鋤雲が書き残していたことは、のちの小栗の再評価にもつながっていきます。同じように小栗を書き残した人に、部下だった福地源一郎がいます。
| 栗本鋤雲 | 福地源一郎 | |
|---|---|---|
| 小栗との関係 | 同じ親仏派の盟友。ロッシュとの窓口 | 外国方で働いた部下 |
| 書いたもの | 『匏庵遺稿』などの回想 | 『幕末政治家』 |
| 伝えた小栗の言葉 | 「土蔵付きの売り家」 | 「どうにかなろう」が国を滅ぼす |
| 明治の仕事 | 郵便報知新聞の主筆 | 東京日日新聞の主筆 |
幕府の側にいた二人の新聞人が、それぞれの筆で小栗を書き残した。勝った側の記録だけでは見えない幕末の姿が、ここから見えてきます。
▶ 小栗上野介(小栗忠順)の名言/福地源一郎とは何をした人物か/小栗忠順はいつ再評価されたのか
大河ドラマを見る前に
大河ドラマ『逆賊の幕臣』では、青木崇高さんが栗本鋤雲を演じます。ドラマの中の小栗の名ぜりふの多くは、鋤雲や福地が書き残した言葉がもとになっているはずです。「この言葉は誰が書き残したのか」を知っておくと、ドラマがもう一段深く楽しめます。
▶ 鋤雲の生涯・家族・ゆかりの地は 青木崇高さんが演じる栗本鋤雲とは へ
参考資料
- 国立公文書館「旗本御家人」デジタル展示、各種人名事典「栗本鋤雲」の項
- 栗本鋤雲『匏庵遺稿』、福地源一郎『幕末政治家』
- 写真:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
小栗忠順のゆかりの地をめぐる
小栗のゆかりの地は、東京・横須賀・埼玉・群馬に集まっています。姉妹サイト「日本の歴史旅ガイド」で、都内から回るモデルコースを紹介しています。
- 【現地取材】小栗上野介ゆかりの地を1日でめぐる|築地・雑司ヶ谷・大宮・倉渕の回り方とモデルコース、ゆかりの地一覧(回る順番と移動時間、エリア別の一覧)
- 【現地取材】小栗上野介の生まれた場所はどこ?生誕地・神田駿河台の小栗家屋敷跡と横須賀のゆかりの地(ヴェルニー公園の胸像と、烏川の河原から運ばれた記念石。神田駿河台の生誕地)
- 小栗上野介ゆかりの地 ― 東京・横須賀・埼玉・群馬をたどる(まとめ)
- 倉渕・東善寺をめぐるモデルコース(都内発・車で1泊2日。墓所の東善寺、最期の地、普門院の首塚)
- 横須賀の日帰りコース(都内発。軍港めぐりで、小栗が始めた造船所を海から見られます)
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小栗忠順をもっと知る本
記事の内容をもっと知りたい方に、小栗忠順を扱った本を紹介します。
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2027年NHK大河ドラマ
『逆賊の幕臣』大河ドラマ特集
放送日・キャスト28人と相関・あらすじ・見どころから、主人公・小栗忠順の生涯とゆかりの地の現地写真まで、1ページで徹底解説しています。
▶ 大河『逆賊の幕臣』の登場人物を知る
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この記事の情報源
日本大百科全書・国史大辞典(ジャパンナレッジ)の小栗忠順・勝海舟の項、幕末幕臣動向「小栗忠順」の役職記録、ウィキペディア日本語版の小栗忠順・勝海舟の各項目、BUSHOO!JAPAN「小栗忠順」などをもとにまとめました。役職の日付や勘定奉行の回数の数え方は、資料によって違いがあります。剣術の免許皆伝については、一次史料での裏付けがありません。


