勝民子(たみ)とは何をした人物か—貧乏旗本の勝海舟を支え、「勝のそばには埋めないで」と遺した妻

貧しい暮らしの中で蘭学に打ち込む夫を見守る勝海舟の妻・民子のイラスト

この記事で紹介する勝民子(たみ)は、2027年NHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』(2027年1月10日放送開始/主演・松坂桃李)に登場します。▶ 大河『逆賊の幕臣』特集に、関連記事とキャスト一覧をまとめています。

勝民子(たみ)は、勝海舟の妻です。深川の薪炭商・砥目家の娘で、芸者をしていたともいわれます。まだ無役の貧乏旗本だった勝と結ばれ、蘭学の本を買うお金にも困る暮らしを支えました。のちに勝が出世してからは、屋敷に同居する勝の妾たちとその子どもたちまで分け隔てなく育て、「おたみさま」と慕われます。ところが亡くなるとき、「勝のそばには埋めないでほしい」と言い残しました。二〇二七年の大河ドラマ『逆賊の幕臣』では、瀧内公美さんが演じます。

目次

勝民子とはどんな人か

  • 生まれ:文政四年(1821年)。深川で薪炭商と質屋を営む砥目家の娘。勝海舟(1823年生まれ)より二つ年上
  • 結婚:弘化二年(1845年)ごろ、勝と結婚。深川の芸者だったという説もある
  • 子:長女の夢、次女の孝子、長男の小鹿、次男の四郎
  • 暮らし:勝の妾たちと同じ屋敷に住み、ほかの母から生まれた子どもも含めて九人を育てた
  • 最期:明治三十八年(1905年)五月二十三日、数え八十五歳で死去。勝より六年長く生きた

貧乏旗本の妻

民子が嫁いだころの勝家は、四十一石あまりの小さな旗本の家でした。父の勝小吉は役につかないまま暮らした人で、勝自身もまだ役のない身です。勝は蘭学に打ち込み、高価なオランダ語の辞書を借りて書き写すような暮らしを送っていました。

家は貧しく、冬に暖をとる薪にも困るほどだったと伝えられます。民子はそんな家に嫁ぎ、子どもを育てながら勝を支えました。大河の発表では、たみは「深川の芸者時代に勝と出会い、貧困時代を支える」と紹介されています。勝の生い立ちと出世の階段は、小栗忠順と勝海舟を比べるで、小栗と並べてまとめています。

出世した夫と、大きな家

ペリー来航のあと、勝は老中・阿部正弘に意見書を認められて幕府に取り立てられ、長崎海軍伝習所、咸臨丸での渡米、軍艦奉行と、一気に出世していきます。家の暮らしも大きく変わりました。

勝には何人もの妾がおり、その多くが同じ屋敷で暮らしていました。民子はその妾たちと同居し、自分の産んだ四人のほか、妾たちが産んだ子も含め、九人の子どもを分け隔てなくかわいがったと言われます。屋敷の人々は民子を「おたみさま」と呼んで慕いました。

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息子・小鹿のこと

民子の長男・小鹿は、明治になってアメリカに留学し、海軍の軍人となりました。ところが明治二十五年(1892年)、数え四十一歳で父の勝より先に亡くなります。勝家の跡は、徳川慶喜の子・精が養子に入って継ぐことになりました。

「勝のそばには埋めないで」

明治三十二年(1899年)に勝が亡くなり、民子はその六年後、明治三十八年(1905年)に世を去ります。亡くなる前、民子は「勝のそばに埋めてくださるな。わたしは小鹿のそばがいい」という意味の言葉を残したと伝えられます。長いあいだ妾たちとの同居に耐えてきた妻の、最後の本音だったのかもしれません。

しかしこの願いは聞き入れられず、養子の精の判断で、民子は洗足池のほとりの勝の墓の隣に葬られました。いまも大田区の洗足池公園には、「勝海舟夫妻の墓」が並んでいます。勝海舟記念館と洗足池の現地取材で、墓のようすを紹介しています。

小栗家の妻・道子と比べると

同じ大河には、小栗忠順の妻・道子(みち)も登場します。一万石の大名・建部政醇の娘として生まれ、旗本の小栗家に嫁いだ道子と、深川の町人の娘から貧乏旗本の妻になった民子。夫たちが幕府の中でライバルであり同志でもあったように、二人の妻の生き方もまた対照的です。道子については小栗忠順の家族と小栗忠順の妻はどう会津へ落ちのびたのかをご覧ください。

大河『逆賊の幕臣』の勝民子(たみ)

演じるのは瀧内公美さんです。勝海舟を演じる大沢たかおさんとの夫婦役になります。第六弾の「小栗家・勝家ゆかりの人々」として、小栗の義父・建部政醇(飯尾和樹さん)、従者の荒川祐蔵(草川拓弥さん)、権田村の名主・佐藤藤七(甲本雅裕さん)らとともに発表されました。

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参考資料:Wikipedia日本語版「勝民子」「勝海舟」、大田区の公開資料、NHKの番組発表ほか。年齢は数え年です。

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