荒川祐蔵とは何をした人物か—遣米使節の従者から、小栗とともに斬られた家臣へ

権田村の寺の山門前に立つ小栗家の家臣・荒川祐蔵のイラスト

この記事で紹介する荒川祐蔵は、2027年NHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』(2027年1月10日放送開始/主演・松坂桃李)に登場します。▶ 大河『逆賊の幕臣』特集に、関連記事とキャスト一覧をまとめています。

荒川祐蔵は、小栗忠順の家臣です。常陸の酒造りの家に生まれ、江戸に出て駿河台の小栗家に身を寄せ、万延元年(1860年)には小栗の従者として遣米使節に加わりました。帰国後も小栗に仕え続け、小栗が上州権田村に移ると行動をともにし、慶応四年(1868年)閏四月六日、主君の小栗とともに水沼河原で斬られます。数え三十七歳でした。もとの姓は江幡といいます。二〇二七年の大河ドラマ『逆賊の幕臣』では、草川拓弥さんが演じます。

目次

荒川祐蔵とはどんな人か

  • 生まれ:天保三年(1832年)、常陸国下吉影村(いまの茨城県小美玉市)で、酒造りを営む俳人・江幡昭眉の次男として生まれる
  • 江戸へ:笠間藩士の家に婿入りするが離縁。嘉永七年(1854年)に江戸へ出て、駿河台の小栗家に身を寄せる
  • 遣米使節:万延元年(1860年)、小栗の従者としてアメリカへ
  • その後:小栗の家臣として仕え、慶応四年に小栗とともに権田村へ
  • 最期:慶応四年(1868年)閏四月六日、小栗とともに水沼河原で斬首。墓は権田の東善寺

常陸の酒蔵の次男から

祐蔵は、常陸国下吉影村で酒造りを営む江幡家に生まれました。父の昭眉は俳句をたしなむ人で、祐蔵も幼いころから土地の役人について学問を修めています。

十代の終わりに笠間藩士の富田家へ婿養子に入り、富田泉蔵と名乗りますが、数年で離縁となりました。そして嘉永七年(1854年)二月、祐蔵は江戸へ出て、駿河台の旗本・小栗家に身を寄せます。ペリーが二度目に来て、日米和親条約が結ばれたころのことです。大河の発表では「常陸出身の従者。小栗に才を見抜かれ、遣米使節団に随行する」と紹介されています。

小栗の従者としてアメリカへ

万延元年(1860年)、小栗は目付として遣米使節に加わり、従者として祐蔵と、権田村の名主・佐藤藤七らを連れていきました。一行はポーハタン号で太平洋を渡り、ワシントンで大統領ブキャナンに会っています。このとき従者たちにも記念の銅牌が贈られたと伝えられ、祐蔵が受け取った銅牌は、のちに故郷の江幡家に伝えられました。

使節の一行は、フィラデルフィアの造幣局で日米の金貨の価値を比べる試験を行い、ワシントンの海軍造船所では蒸気機関や大砲づくりを見学しました。小栗がのちに横須賀に造船所をつくろうと考えるきっかけになった旅を、祐蔵もそばで見ていたことになります。旅の全体は万延元年遣米使節とはをご覧ください。

▶ 「大河の登場人物を知る」の記事

帰国後も小栗のそばに

帰国後、祐蔵は小栗家の家臣として仕え続けました。慶応二年(1866年)には、のちに銀行を興す実業家の川崎八右衛門が小栗に会いたいと願ったとき、同じ水戸の出身として仲立ちをした記録も残っています。

慶応四年(1868年)一月、鳥羽・伏見の戦いのあとに勘定奉行を罷免された小栗は、上州の知行地・権田村に移ります。祐蔵も小栗とともに権田村へ向かいました。

水沼河原で、主君とともに

慶応四年閏四月四日、新政府軍の命を受けた高崎・安中・吉井の三藩の兵が東善寺に押しかけ、小栗を捕らえました。祐蔵もいっしょに捕らえられます。そして六日、小栗と祐蔵らは、取り調べもないまま、烏川のほとりの水沼河原で斬られました。祐蔵は数え三十七歳でした。

小栗とともに斬られた家臣たちの墓は、小栗の墓と同じ東善寺にあります。主君を慕って江戸から上州まで従い、最期までそばを離れなかった家臣でした。小栗の処刑の経緯については小栗忠順はなぜ斬られたのかに詳しく書いています。

大河『逆賊の幕臣』の荒川祐蔵

演じるのは草川拓弥さんです。佐藤藤七(甲本雅裕さん)、小栗家の家老格の武笠祐左衛門(ANIさん)らとともに、第六弾の「小栗家・勝家ゆかりの人々」として発表されました。若い従者として小栗とアメリカへ渡り、最後は同じ河原で命を落とす—物語の始まりと終わりの両方に立ち会う人物になりそうです。

あわせて読みたい

参考資料:Wikipedia日本語版「荒川祐蔵」、高崎市・小美玉市の公開資料、NHKの番組発表ほか。年齢は数え年です。

  • URLをコピーしました!
目次