現地取材– category –
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【現地取材】沼津城跡と興国寺城跡を歩く——老中の城が、日本で最初の兵学校になった
静岡県沼津市の城跡を二つ。中央公園の沼津城本丸跡は、水野家が老中を出しつづけた城で、慶応二年の第二次長州征討のときの老中もこの城の主だった。そして明治元年、水野家が菊間へ去った城内に、西周を頭取とする日本最初の近代兵学校「沼津兵学校」が開かれる。もう一方の興国寺城跡は北条早雲の旗揚げの城で、幕末には廃城から二百六十年が経っていた。遺構はどちらも乏しいが、城が消えたあと何になったかを考えさせる二か所を歩いた。 -
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【現地取材】記念艦三笠と東郷平八郎——幕末の海戦を戦った少年が、四十年後に立った艦橋
横須賀の三笠公園に据えられた戦艦三笠。日露戦争の旗艦ですが、艦橋に立った東郷平八郎は、四十年前に薩英戦争と阿波沖海戦を戦った少年でした。三笠は開陽丸や春日丸のまっすぐな延長線上にあります。 -
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【現地取材】寒河江城跡を歩く——城が消えて二百四十年、その西端が戊辰の戦場になった
山形県寒河江市の寒河江城跡。大江広元の子孫・寒河江大江氏が十八代ひらいた城は、天正十二年に最上義光に落とされ、元和九年に堀を埋められて廃城となった。幕末にこの地に城はない。しかし明治元年九月二十日、城域の西端だった長岡山で、桑名藩の雷神隊と庄内兵が、西郷隆盛率いる薩摩と米沢の軍を迎え撃つ。説明板と石碑と堀跡しか残らない市街地の一角から、戊辰戦争の最終盤を読み解く現地取材。 -
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【現地取材】宇都宮城と太平山を歩く——5日間で二度主が変わった城と、天狗党の鎮魂碑
餃子を食べてから宇都宮城址公園へ、その足で栃木市の太平山へ。慶応4年4月、大鳥圭介の伝習隊と土方歳三ら新選組が宇都宮城を落とし、5日後に有馬藤太・大山弥助らの新政府軍が奪還、土方は松が峰門で足を撃たれて戦線を離脱した。将軍の日光社参の宿城だった城と釣天井事件、そして太平山に45日間屯した天狗党800名と、幕府の学問所奉行だった秋月種樹が明治14年に建てた鎮魂碑までを実際の写真とともに。 -
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【現地取材】小田城跡から筑波山へ——天狗党が挙兵した山と、藤田小四郎の像
茨城県つくば市の小田城跡を歩き、そのまま筑波山へ登った現地取材。国指定史跡の広大な平城に「弱小」の先入観を崩され、城跡の絵図を残した幕末の農政学者・長島尉信に出会う。そして筑波山は元治元年3月27日に藤田小四郎ら62人が挙兵した天狗党の地。境内の銅像、旧仁王門である随神門と神仏分離、山頂の雲海、そして敦賀のニシン蔵と処刑までを実際の写真とともに。 -
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【現地取材】鹿島城跡・塚原卜伝の墓・潮来を歩く——水戸藩「南の入口」に刻まれた幕末
茨城県鹿嶋市と潮来市を歩いた現地取材。鹿島城跡と剣聖・塚原卜伝の墓、そして水郷潮来。城も墓も戦国の史跡だが、この一帯は江戸期を通じて水戸藩領であり、天狗党の乱の当事者エリアだった。斉昭が鹿島の神を弘道館と洋式軍艦・旭日丸に勧請した話、千葉周作招聘と北辰一刀流禁止、潮来勢と河岸の繁栄までを実際の写真とともに。 -
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【現地取材】鶴ヶ岡城と庄内藩校・致道館 ― 幕末最強の庄内藩、本間家の富と鬼玄蕃、そして西郷との縁
鶴岡公園の緑のなかに、酒井家の家紋を染めた白い幟(のぼり)が、雨あがりの参道にずらりと並んでいました。ここは鶴ヶ岡城(つるがおかじょう)の跡――庄内藩十四万石・酒井家の居城です。そしてすぐ近くには、東北で唯一現存する藩校「致道館(ちどうか... -
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【現地取材】清河神社(清川)― 北辰一刀流を極め、新選組を生んだ男・清河八郎
最上川のほとり、庄内町清川。この静かな川の集落は、幕末に「明治維新の魁(さきがけ)」と呼ばれた一人の志士――清河八郎(きよかわはちろう)の生まれた地です。北辰一刀流の剣を極め、学問を極め、そしてある意味で新選組を生み出した男。あいにくこの... -
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【現地取材】新庄城 ― 戸沢六万石の城と、幕末に焼け落ちた三層天守
山形県の北の玄関口、新庄。堀を渡る石橋の先に鳥居が立ち、いまは静かな神社となっているこの一帯が、新庄城の跡です。大きな城郭ではありませんが、趣と歴史を感じさせる一角です。天守はなく、木立と水堀に包まれた落ち着いた場所でした。けれどこの城... -
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【現地取材】天童・舞鶴山 ― 織田信長の末裔の藩と、町を救って散った家老・吉田大八
将棋駒の生産量で日本一を誇る、山形県天童(てんどう)。その町を見下ろす舞鶴山(まいづるやま)を、あいにくの雨のなか歩いてきました。天童は、じつは織田信長の血を引く大名家が治めた土地であり、同時に、戊辰戦争で町を救うために自ら命を絶った悲... -
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【現地取材】山形城(霞城公園)― 五十七万石の巨城に、五万石の小藩が眠る
山形城(霞城公園)を歩いて、まず胸に来るのは「とにかく広い」という素朴な驚きです。堀は深く、石垣は長々と続き、大手門は見上げるほど大きい。筆者自身、城のスケールの大きさにただただ驚かされたのですが、その感覚はまったく正しくて、じつはこの... -
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【現地取材】上山城(月岡城)― 沢庵ゆかりの名城と、薩摩藩邸を焼き討ちした三万石
山形県のかみのやま温泉、小高い月岡の丘の上に、白壁の美しい天守がそびえています。上山城(かみのやまじょう)――別名月岡城。温泉街のまん中にあって、城のすぐ足もとには無料の足湯まである、なんとも贅沢なお城です。ただ、この立派な天守にはちょっ... -
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【現地取材】福島城 ― 伊達の大仏城から板倉三万石へ、そして世良修蔵暗殺の夜
福島県庁のすぐ隣、阿武隈川に面した紅葉山公園(もみじやまこうえん)の一帯が、かつての福島城の跡です。天守を持たない平城でしたが、幕末までの約167年間を板倉家三万石が治めた城下町の中心であり、慶応四年(1868)には、東北を戊辰戦争へと突き落と... -
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【現地取材】首里城と幕末の琉球 ― 薩摩の富、ペリー来琉、そして開国
朱塗りの屋根に「守礼之邦(しゅれいのくに)」の額を掲げた守礼門。沖縄・那覇の高台にそびえる首里城は、四百五十年にわたって栄えた琉球王国の王城である。日本本土の城とはまったく異なる、中国と日本の文化が溶け合った独特の姿。そしてこの城は、幕... -
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【現地取材】新島「主計の扇子」 ― 新選組最後の局長・相馬主計、流刑の島に生きる
東京から南へ、太平洋に浮かぶ新島。サーフィンと温泉で知られるこの島の一角に、扇を大きく開いた形の、変わった石碑が立っている。扇の上には「誠」の一字。新選組の旗印である。「主計の扇子(かずえのせんす)」——これは、新選組"最後の局長"となった... -
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【現地取材】沼田城・沼田藩 ― 真田の五層天守が消えた城と、土岐家の三国峠
群馬県沼田市、河岸段丘の上に広がる沼田公園。紅葉に彩られたその一角に、甲冑姿の武将と、凛とした女性の石像が並んで立っている。真田信之と、その妻・小松姫である。沼田城といえば真田——そう誰もが思うほど、この城は真田氏の物語と分かちがたく結び... -
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【現地取材】川越城・川越藩 ― 現存本丸御殿と、幕末の玉突き人事
埼玉県川越市。蔵造りの町並みで知られる「小江戸」川越の一角に、堂々たる木造の御殿が現存している。川越城本丸御殿。全国でもわずかしか残らない本丸御殿の一つで、唐破風の玄関がひときわ目を引く。江戸の北の守りを担ったこの城は、幕末には藩主家の... -
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【現地取材】前橋城・前橋藩 ― 利根川に消え、生糸の富で甦った城
群馬県庁の足もと、赤く色づいた木立の下に、堀の水を静かにたたえた一角がある。「前橋城跡」。かつてここには、利根川のほとりに築かれた前橋城が建っていた。一度は川に削られて捨てられ、そして幕末、生糸がもたらした富によって奇跡的に再建された——... -
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【現地取材】坂本龍馬・中岡慎太郎 遭難の地(近江屋跡) ― 維新の立役者が斃れた場所
京都・河原町のにぎやかな通り沿いに、坂本龍馬と中岡慎太郎の「遭難之地」を示す碑が立っている。かつてここには醤油商「近江屋」があり、その二階で、日本の夜明けを誰よりも近くで見ようとしていた二人の若者が、凶刃に斃れた。大政奉還からわずか一ヶ... -
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【現地取材】佐久間象山・大村益次郎 遭難の地 ― 木屋町に斃れた二人の先覚者
京都・木屋町、高瀬川のほとりに、夜のネオンを背にして一本の石碑が立っている。「佐久間象山先生遭難之碑」――そして同じ碑には「大村益次郎郷遭難之碑」の文字も刻まれている。幕末から明治へと時代がなだれ込むなか、西洋の知を説いた二人の先覚者が、... -
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【現地取材】池田屋騒動の跡 ― 新選組が名を轟かせた三条小橋の一夜
京都・三条小橋のたもと、木屋町の喧噪のなかに、その石碑はぽつりと立っています。「池田屋騒動之址」。今そこは「はなの舞 池田屋」という居酒屋になっていて、扉の脇に石碑がひっそりと寄り添っていました。かつてこの旅館の二階で、幕末を揺るがした凄...
