現地取材– category –
運営者が実際に訪ねた城跡・史跡・寺社の記録です。自分で撮った写真とともに、現地で見たもの、案内板や資料館で分かったこと、行き方を紹介しています。小栗忠順ゆかりの地、新選組の屯所跡、池田屋・近江屋の跡なども歩いています。
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【現地取材】小山城を歩く|武田の三日月堀と、天狗党を裁いた相良藩主
静岡県吉田町の小山城跡。武田信玄が築き馬場信春が縄張した城で、三重の三日月堀が残ります。そして幕末、この一帯を領した相良藩主・田沼意尊は、幕府軍総督として天狗党を追い、敦賀で武田耕雲斎らを処刑した当人でした。 -
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【現地取材】田中城跡を歩く|直径六百メートルの円い城と、房総へ移された四つの家
静岡県藤枝市の田中城跡。本丸を中心に直径約六百メートルの同心円状に三重の堀をめぐらす、全国でも異例の円い縄張を持つ城で、この形を作ったのは武田信玄だった。徳川家康が最後に鯛の天ぷらを食べた城としても知られる。そして最後の藩主・本多正訥は明治元年に安房長尾藩へ移封。沼津・掛川・浜松と合わせ、東海道の四つの城が同じ年に房総へ送られた。移築現存する本丸櫓は城跡の外にある。 -
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【現地取材】浜松城を歩く|「出世城」から老中が二人。水野忠邦と井上正直
静岡県浜松市の浜松城。徳川家康が十七年を過ごした「出世城」だが、幕末史から見るとまったく別の顔が立ち上がる。水野忠邦は十万石を捨てて唐津から浜松への転封を自ら願い出て老中首座となり、天保の改革を主導して失脚、出羽山形へ流された。そして最後の藩主・井上正直は十歳で家督を継ぎ、二十五歳で老中となって外国御用取扱を兼帯、二度の在任で幕末最悪の局面を担った。明治元年、井上家は上総鶴舞へ転封される。 -
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【現地取材】伊賀上野城を歩く|家康が大坂に備えた城が、徳川を撃つ側の城になるまで
三重県伊賀市の伊賀上野城。藤堂高虎が慶長十三年に大坂への前衛基地として築いた城で、本丸西面の高石垣は約三十メートルと日本屈指。ただし高石垣は片面だけで、工事は大坂の陣を境に中止された。五重天守も慶長十七年の暴風で倒れたまま再建されていない。江戸期は津藩の城代が置かれ、そして慶応四年の鳥羽・伏見で藤堂家は新政府軍に転じる。家康が徳川の天下を守るために築かせた城が、二百六十年後に徳川を撃つ側の城になっていた。 -
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【現地取材】津城跡を歩く|鳥羽伏見で味方の背後から砲を撃った藩の城
三重県津市の津城跡(お城公園)。藤堂高虎が輪郭式に作り替えた城で、幕末の藩主・藤堂高猷は佐幕派だった。ところが慶応四年正月の鳥羽・伏見の戦いの終盤、橋本を守備していた津藩兵が新政府軍に転じ、味方だったはずの旧幕府軍を攻撃する。この寝返りが新政府軍勝利の一因となった。天守は寛文二年の火災以来なく、三重櫓は昭和の模擬櫓。しかし高虎の算木積みの石垣は本物である。 -
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【現地取材】松坂城跡を歩く|石垣しか残らない城と、六年浪人した二十人が建ててもらった家
三重県松阪市の松坂城跡。天正十六年に蒲生氏郷が築き、元和五年以降は紀州徳川家の城代が置かれた「城主のいない城」。建物は何も残らず、あるのは国史跡の野面積み石垣だけ。しかしこの城でいちばん幕末に近い遺構は城の外にあった。陪臣化を拒んで二十人が脱藩し、六年の浪人生活の末に四十石で帰参した松坂御城番。その住居として文久三年に建てられた御城番屋敷は重要文化財となり、いまも十二戸に人が住んでいる。 -
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【現地取材】桑名城跡を歩く|降伏のしるしに焼かれた櫓と、蝦夷まで戦い続けた藩主
三重県桑名市の九華公園、桑名城跡。幕末の藩主・松平定敬は高須四兄弟の末弟で、兄・松平容保が京都守護職、弟が京都所司代という体制で京都を担った。鳥羽伏見の敗戦後、定敬は江戸から越後柏崎、会津、そして蝦夷まで戦い続けるが、その間に国元の家老たちは恭順を決めていた。辰巳櫓跡の説明板には「降伏のしるしとして新政府軍に焼き払われた」とある。宇都宮と寒河江に出てくる桑名藩兵の、ここが故郷である。 -
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【現地取材】掛川城を歩く|幕末に天守は無かった。井伊直弼が据え、そして切った老中の城
静岡県掛川市の掛川城。山内一豊の城として知られ、平成6年に日本初の本格木造天守が復元された。しかし幕末の掛川城に天守は無い。安政元年末の安政東海地震で倒壊したまま再建されなかったからだ。再建されたのは二の丸御殿だけで、文久元年のその建物が現存し重要文化財になっている。そして藩主・太田資始は老中を三度つとめ、井伊直弼が堀田正睦の後任に据えながら、安政の大獄をめぐって対立し一年で罷免された人物だった。 -
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【現地取材】沼津城跡と興国寺城跡を歩く|老中の城が、日本で最初の兵学校になった
静岡県沼津市の城跡を二つ。中央公園の沼津城本丸跡は、水野家が老中を出しつづけた城で、慶応二年の第二次長州征討のときの老中もこの城の主だった。そして明治元年、水野家が菊間へ去った城内に、西周を頭取とする日本最初の近代兵学校「沼津兵学校」が開かれる。もう一方の興国寺城跡は北条早雲の旗揚げの城で、幕末には廃城から二百六十年が経っていた。遺構はどちらも乏しいが、城が消えたあと何になったかを考えさせる二か所を歩いた。 -
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【現地取材】記念艦三笠と東郷平八郎|幕末の海戦を戦った少年が、四十年後に立った艦橋
横須賀の三笠公園に据えられた戦艦三笠。日露戦争の旗艦ですが、艦橋に立った東郷平八郎は、四十年前に薩英戦争と阿波沖海戦を戦った少年でした。三笠は開陽丸や春日丸のまっすぐな延長線上にあります。 -
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【現地取材】寒河江城跡を歩く|城が消えて二百四十年、その西端が戊辰の戦場になった
山形県寒河江市の寒河江城跡。大江広元の子孫・寒河江大江氏が十八代ひらいた城は、天正十二年に最上義光に落とされ、元和九年に堀を埋められて廃城となった。幕末にこの地に城はない。しかし明治元年九月二十日、城域の西端だった長岡山で、桑名藩の雷神隊と庄内兵が、西郷隆盛率いる薩摩と米沢の軍を迎え撃つ。説明板と石碑と堀跡しか残らない市街地の一角から、戊辰戦争の最終盤を読み解く現地取材。 -
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【現地取材】宇都宮城と太平山を歩く|五日間で二度主が変わった城と、天狗党の鎮魂碑
餃子を食べてから宇都宮城址公園へ、その足で栃木市の太平山へ。慶応4年4月、大鳥圭介の伝習隊と土方歳三ら新選組が宇都宮城を落とし、5日後に有馬藤太・大山弥助らの新政府軍が奪還、土方は松が峰門で足を撃たれて戦線を離脱した。将軍の日光社参の宿城だった城と釣天井事件、そして太平山に45日間屯した天狗党800名と、幕府の学問所奉行だった秋月種樹が明治14年に建てた鎮魂碑までを実際の写真とともに。 -
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【現地取材】小田城跡から筑波山へ|天狗党が挙兵した山と、藤田小四郎の像
茨城県つくば市の小田城跡を歩き、そのまま筑波山へ登った現地取材。国指定史跡の広大な平城に「弱小」の先入観を崩され、城跡の絵図を残した幕末の農政学者・長島尉信に出会う。そして筑波山は元治元年3月27日に藤田小四郎ら62人が挙兵した天狗党の地。境内の銅像、旧仁王門である随神門と神仏分離、山頂の雲海、そして敦賀のニシン蔵と処刑までを実際の写真とともに。 -
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【現地取材】鹿島城跡・塚原卜伝の墓・潮来を歩く|水戸藩「南の入口」に刻まれた幕末
茨城県鹿嶋市と潮来市を歩いた現地取材。鹿島城跡と剣聖・塚原卜伝の墓、そして水郷潮来。城も墓も戦国の史跡だが、この一帯は江戸期を通じて水戸藩領であり、天狗党の乱の当事者エリアだった。斉昭が鹿島の神を弘道館と洋式軍艦・旭日丸に勧請した話、千葉周作招聘と北辰一刀流禁止、潮来勢と河岸の繁栄までを実際の写真とともに。 -
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【現地取材】鶴ヶ岡城と庄内藩校・致道館|幕末最強の庄内藩、本間家の富と鬼玄蕃、そして西郷との縁
鶴岡公園の緑のなかに、酒井家の家紋を染めた白い幟(のぼり)が、雨あがりの参道にずらりと並んでいました。ここは鶴ヶ岡城(つるがおかじょう)の跡―庄内藩十四万石・酒井家の居城です。そしてすぐ近くには、東北で唯一現存する藩校「致道館(ちどうかん... -
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【現地取材】清河神社(清川)|北辰一刀流を極め、新選組を生んだ男・清河八郎
最上川のほとり、庄内町清川。この静かな川の集落は、幕末に「明治維新の魁(さきがけ)」と呼ばれた一人の志士―清河八郎(きよかわはちろう)の生まれた地です。北辰一刀流の剣を極め、学問を極め、そしてある意味で新選組を生み出した男。あいにくこの日... -
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【現地取材】新庄城|戸沢六万石の城と、戊辰の夏に焼け落ちた城
山形県の北の玄関口、新庄。堀を渡る石橋の先に鳥居が立ち、いまは静かな神社となっているこの一帯が、新庄城の跡です。大きな城郭ではありませんが、趣と歴史を感じさせる一角です。天守はなく、木立と水堀に包まれた落ち着いた場所でした。けれどこの城... -
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【現地取材】天童・舞鶴山|織田信長の末裔の藩と、町を救って散った家老・吉田大八
将棋駒の生産量で日本一を誇る、山形県天童(てんどう)。その町を見下ろす舞鶴山(まいづるやま)を、あいにくの雨のなか歩いてきました。天童は、じつは織田信長の血を引く大名家が治めた土地であり、同時に、戊辰戦争で町を救うために自ら命を絶った悲... -
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【現地取材】山形城(霞城公園)|五十七万石の巨城に、五万石の小藩が眠る
山形城(霞城公園)を歩いて、まず胸に来るのは「とにかく広い」という素朴な驚きです。堀は深く、石垣は長々と続き、大手門は見上げるほど大きい。筆者自身、城のスケールの大きさにただただ驚かされたのですが、その感覚はまったく正しくて、じつはこの... -
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【現地取材】上山城(月岡城)|沢庵ゆかりの名城と、薩摩藩邸を焼き討ちした三万石
山形県のかみのやま温泉、小高い月岡の丘の上に、白壁の美しい天守がそびえています。上山城(かみのやまじょう)―別名月岡城。温泉街のまん中にあって、城のすぐ足もとには無料の足湯まである、なんとも贅沢なお城です。ただ、この立派な天守にはちょっと... -
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【現地取材】福島城|伊達の大仏城から板倉三万石へ、そして世良修蔵暗殺の夜
福島県庁のすぐ隣、阿武隈川に面した紅葉山公園(もみじやまこうえん)の一帯が、かつての福島城の跡です。天守を持たない平城でしたが、幕末までの約167年間を板倉家三万石が治めた城下町の中心であり、慶応四年(1868)には、東北を戊辰戦争へと突き落と...
