現地取材– category –
運営者が実際に訪ねた城跡・史跡・寺社の記録です。自分で撮った写真とともに、現地で見たもの、案内板や資料館で分かったこと、行き方を紹介しています。小栗忠順ゆかりの地、新選組の屯所跡、池田屋・近江屋の跡なども歩いています。
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【現地取材】首里城と幕末の琉球|薩摩の富、ペリー来琉、そして開国
朱塗りの屋根に「守礼之邦(しゅれいのくに)」の額を掲げた守礼門。沖縄・那覇の高台にそびえる首里城は、四百五十年にわたって栄えた琉球王国の王城である。日本本土の城とはまったく異なる、中国と日本の文化が溶け合った独特の姿。そしてこの城は、幕... -
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【現地取材】新島「主計の扇子」|新選組最後の局長・相馬主計、流刑の島に生きる
東京から南へ、太平洋に浮かぶ新島。サーフィンと温泉で知られるこの島の一角に、扇を大きく開いた形の、変わった石碑が立っている。扇の上には「誠」の一字。新選組の旗印である。「主計の扇子(かずえのせんす)」—これは、新選組"最後の局長"となった男... -
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【現地取材】沼田城・沼田藩|真田の五層天守が消えた城と、土岐家の三国峠
群馬県沼田市、河岸段丘の上に広がる沼田公園。紅葉に彩られたその一角に、甲冑姿の武将と、凛とした女性の石像が並んで立っている。真田信之と、その妻・小松姫である。沼田城といえば真田—そう誰もが思うほど、この城は真田氏の物語と分かちがたく結びつ... -
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【現地取材】川越城・川越藩|現存本丸御殿と、幕末の玉突き人事
埼玉県川越市。蔵造りの町並みで知られる「小江戸」川越の一角に、堂々たる木造の御殿が現存している。川越城本丸御殿。全国でもわずかしか残らない本丸御殿の一つで、唐破風の玄関がひときわ目を引く。江戸の北の守りを担ったこの城は、幕末には藩主家の... -
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【現地取材】前橋城・前橋藩|利根川に消え、生糸の富で甦った城
群馬県庁の足もと、赤く色づいた木立の下に、堀の水を静かにたたえた一角がある。「前橋城跡」。かつてここには、利根川のほとりに築かれた前橋城が建っていた。一度は川に削られて捨てられ、そして幕末、生糸がもたらした富によって奇跡的に再建された—そ... -
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【現地取材】坂本龍馬・中岡慎太郎 遭難の地(近江屋跡)|維新の立役者が斃れた場所
京都・河原町のにぎやかな通り沿いに、坂本龍馬と中岡慎太郎の「遭難之地」を示す碑が立っている。かつてここには醤油商「近江屋」があり、その二階で、日本の夜明けを誰よりも近くで見ようとしていた二人の若者が、凶刃に斃れた。大政奉還からわずか一ヶ... -
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【現地取材】佐久間象山・大村益次郎 遭難の地|木屋町に斃れた二人の先覚者
京都・木屋町、高瀬川のほとりに、夜のネオンを背にして一本の石碑が立っている。「佐久間象山先生遭難之碑」―そして同じ碑には「大村益次郎郷遭難之碑」の文字も刻まれている。幕末から明治へと時代がなだれ込むなか、西洋の知を説いた二人の先覚者が、い... -
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【現地取材】池田屋騒動の跡|新選組が名を轟かせた三条小橋の一夜
京都・三条小橋のたもと、木屋町の喧噪のなかに、その石碑はぽつりと立っています。「池田屋騒動之址」。今そこは「はなの舞 池田屋」という居酒屋になっていて、扉の脇に石碑がひっそりと寄り添っていました。かつてこの旅館の二階で、幕末を揺るがした凄... -
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【現地取材】壬生・八木邸|新選組が生まれた家と、芹澤鴨暗殺の夜
京都・壬生。浅葱色の暖簾に「誠」の旗が揺れる一軒の郷士屋敷の前に立つと、幕末という時代が急に生々しく近づいてきます。ここ八木邸は、新選組が産声をあげた家であり、そしてその内部抗争のなかで局長・芹澤鴨が斬られた、血なまぐさい事件の現場でも... -
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【現地取材】会津若松城(鶴ヶ城)と会津藩|一ヶ月の籠城に耐えた「朝敵」の城
福島県会津若松市の中心に、白亜の天守が赤い瓦を頂いてそびえる会津若松城―通称「鶴ヶ城(つるがじょう)」。戊辰戦争では、この城を舞台におよそ一ヶ月におよぶ壮絶な籠城戦が繰り広げられました。「朝敵」の汚名を着せられながらも、最後まで戦い抜いた... -
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【現地取材】飯盛山と会津藩校日新館|白虎隊十九士の自刃と「ならぬことはならぬ」の教え
福島県会津若松市の飯盛山(いいもりやま)。ここは、戊辰戦争のさなかに白虎隊(びゃっこたい)の少年たちが自刃した、会津戊辰でもっとも胸を締めつけられる場所です。そして彼らを育てたのが、会津藩校日新館(にっしんかん)―「ならぬことはならぬもの... -
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【現地取材】三春城と三春藩|伊達政宗の妻・愛姫の里、そして「三春狐」の裏切り
福島県三春町、町の中心にそびえる大志多山(おおしたやま)の上に、三春城跡(みはるじょうあと=舞鶴城)があります。その美しい姿から「舞鶴城」とも呼ばれたこの城は、戦国の名族・田村氏―伊達政宗の正室愛姫(めごひめ)の実家の城であり、幕末には秋... -
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【現地取材】米沢・上杉神社と米沢藩|大減封に耐え、上杉鷹山が再興した名門の幕末
山形県米沢市、米沢城の本丸跡に広がる松が岬(まつがさき)公園に鎮座する上杉神社。戦国の名将・上杉謙信を祀るこの社は、名門・上杉家の歩みそのものを見守ってきました。会津百二十万石からの大減封、名君・上杉鷹山の再興、そして幕末―会津を救えなか... -
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【現地取材】二本松城(霞ヶ城)と二本松少年隊|少年たちが散った落城の悲劇
福島県二本松市の霞ヶ城(かすみがじょう=二本松城)。総石垣の美しいこの城は、戊辰戦争で十二歳から十七歳の少年たちが散り、家老が自刃し、城が自らの手で焼き払われた―東北の戊辰戦争のなかでも、とりわけ悲痛な落城の舞台となりました。二本松少年隊... -
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【現地取材】白河小峰城と白河口の戦い|藩主なき城が戊辰最大の激戦地に
福島県白河市。白い漆喰の三重櫓(御三階櫓とも呼ばれます)が石垣の上にそびえる白河小峰城(しらかわこみねじょう)は、戊辰戦争で最大の激戦地となった城です。ここで慶応四年(1868年)に繰り広げられた「白河口の戦い」は、東北の戊辰戦争の帰趨(き... -
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【現地取材】棚倉城と棚倉藩|丹羽長重の城、戊辰戦争で半日で落ちた「左遷の城」
福島県棚倉町。深い緑と静かなお濠に囲まれた棚倉城跡(亀ヶ城)は、幕末の戊辰戦争でわずか半日のうちに落城・焼失した、悲劇の城です。二代将軍・徳川秀忠の命で築かれ、幕末には「左遷の城」とも呼ばれたこの城には、白河口の激戦とも深く結びついた濃... -
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【現地取材】烏山城と烏山藩|大名が八家も替わった山城、大久保家三万石の幕末
栃木県那須烏山市、緑深い山あいに「烏山城址 0.5KM」と記された木の道標が立っています。この道標の先、標高およそ二百メートルの山上に広がるのが、関東屈指の中世山城として知られる烏山城(からすやまじょう)です。三万石の小さな城下町の背後にそび... -
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【現地取材】諏訪高島城と高島藩|諏訪湖の浮城、老中を出し戊辰を戦った諏訪家三万石
長野県諏訪市、諏訪湖のほとりに白壁の天守がすっと立つ高島城(たかしまじょう)。かつては諏訪湖の水をそのまま濠に取り込み、湖の波が石垣に迫ったことから「諏訪の浮城(うきしろ)」と呼ばれた水城です。三万石の小さな城ですが、その主・諏訪家は幕... -
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【現地取材】大田原城と大田原藩|奥州街道の鎮、戊辰戦争で攻められた城
栃木県大田原市の龍城公園(りゅうじょうこうえん)。木々におおわれた台地に、深い空堀と土塁が今も残るここが大田原城跡(おおたわらじょうあと)です。幕末の関東では、多くの藩が新政府にいち早く恭順して戦火を避けました。しかしこの大田原城は違い... -
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【現地取材】佐野城と佐野藩|十数年で消えた城と、幕末を生きた堀田家の物語
栃木県佐野市には、名前は同じ「佐野城」でありながら、まったく性格の異なる二つの城跡があります。ひとつは駅のすぐ北に広がる城山公園(佐野城・春日岡城)。もうひとつは、そこから少し離れた植下町にひっそりと建つ堀田佐野城墟(ほったさのじょうき... -
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【現地取材】館林城跡と幕末の館林藩|秋元志朝・禁門の変・そして新政府への恭順
群馬県館林市の中心部に、白壁の塀と重厚な木造の門がひっそりと残る一角があります。夕暮れどきに訪ねた館林城跡(たてばやしじょうあと)―五代将軍・徳川綱吉が将軍となる前に城主を務めた「城主大名の城」として知られますが、じつは幕末の館林にも、時...
