新選組隊士– category –
新選組の隊士を一人ずつ紹介しています。近藤勇・土方歳三・沖田総司などの幹部から、名前と役職しか伝わらない平隊士まで、入隊の時期、役職、隊を離れた事情やその後の消息を、分かる範囲で書いています。隊士全456名の一覧からも各ページへ進めます。
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新選組隊士
久米部正親【新選組隊士 軍目付 幕末】
久米部正親は新選組の軍目付。出身は摂津大坂、最期は病没。大坂の出身で、伍長・軍目付を務めました。鳥羽伏見で負傷し、会津では如来堂の戦いを経験します。銚子で降伏し、明治四十三年まで生きました。 -
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楠小十郎【新選組隊士 平隊士 幕末】
楠小十郎は新選組の平隊士。出身は京都、最期は殺害。「美男五人衆」の一人に数えられる若い隊士です。長州の間者として入り込んでいたとされます。文久三年九月、前川邸の門前で原田左之助に斬られました。 -
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安富才輔【新選組隊士 諸士取調役兼監察 幕末】
安富才輔は新選組の諸士取調役兼監察・馬術師範。出身は備中足守、最期は病没。足守藩士で、大坪流馬術の使い手として馬術師範を務めました。会津では斎藤一に次ぐ副長役、箱館では土方歳三直属の陸軍奉行添役となります。 -
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葛山武八郎【新選組隊士 伍長 幕末】
葛山武八郎は新選組の伍長。出身は会津(とされる)、最期は切腹。伍長として池田屋事件で働き、褒賞を受けました。永倉新八らとともに近藤勇の非行を会津藩に訴えます。建白に加わった六人のうち、ただ一人切腹しました。 -
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富山弥兵衛【新選組隊士 伍長 幕末】
富山弥兵衛は新選組の伍長。出身は薩摩、最期は殺害。薩摩藩士の子で、新選組の伍長となりました。御陵衛士に加わり、伏見街道で近藤勇を狙撃します。戊辰戦争で北越へ向かい、出雲崎で水戸諸生党に殺されました。 -
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加納鷲雄【新選組隊士 伍長 幕末】
加納鷲雄は新選組の伍長。出身は伊豆、最期は病没。伊東甲子太郎の弟子として入隊し、伍長を務めました。御陵衛士として隊を離れ、伏見街道での近藤勇の襲撃に加わりました。板橋宿の本陣で、出頭した近藤の正体を見破ったとされる人です。 -
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谷万太郎【新選組隊士 槍術師範 幕末】
谷万太郎は新選組の槍術師範。出身は備中松山、最期は病没。谷三兄弟の次男で、大坂に道場を開いた槍の名手です。池田屋事件、ぜんざい屋事件に加わり、おもに大坂で活動しました。兄の三十郎の死後に隊を離れ、明治も大坂で道場を続けました。 -
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近藤周平【新選組隊士 諸士取調役兼監察 幕末】
近藤周平は新選組の諸士取調役兼監察。出身は備中松山、最期は病没。備中松山藩士・谷家の三男で、兄たちとともに入隊しました。近藤勇の養子となって池田屋事件に加わりますが、のちに縁組は解かれます。明治以降は神戸で暮らしました。 -
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横倉甚五郎【新選組隊士 函館新撰組 嚮導役 幕末】
横倉甚五郎は新選組の函館新撰組 嚮導役。出身は武州多摩(八王子)、最期は獄死。八王子の天然理心流から、近藤勇の募集に応じて入隊しました。油小路事件に出動し、会津を経て箱館の弁天台場で降伏します。 -
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山野八十八【新選組隊士 平隊士 幕末】
山野八十八は新選組の平隊士。出身は加賀、最期は不明。加賀の出身で、隊内の「美男五人衆」の一人に数えられたと伝わる隊士です。編成では沖田総司の一番隊に名があり、鳥羽伏見にも加わり、箱館の降伏前に離隊しました。 -
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田村銀之助【新選組隊士 両長召抱人 幕末】
田村銀之助は新選組の両長召抱人。出身は磐城平、最期は病没。磐城平藩の出身で、十一歳で兄たちとともに入隊しました。近藤勇・土方歳三付きの小姓として働き、箱館では榎本武揚の小姓となります。明治以降は陸軍の士官となり、大正時代まで生きました。 -
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毛内有之助【新選組隊士 諸士取調役兼監察 幕末】
毛内有之助は新選組の諸士取調役兼監察。出身は陸奥弘前(津軽藩)、最期は戦死。津軽藩用人の次男で、「毛内の百人芸」と呼ばれた才人です。伊東甲子太郎とともに上京して入隊し、文学師範・監察を務めました。 -
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服部武雄【新選組隊士 諸士取調役兼監察 幕末】
服部武雄は新選組の諸士取調役兼監察。出身は播磨赤穂、最期は戦死。赤穂藩出身の二刀流の使い手で、監察・撃剣師範を務めました。伊東甲子太郎とともに御陵衛士となります。 -
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河合耆三郎【新選組隊士 勘定方 幕末】
河合耆三郎は新選組の勘定方。出身は播磨高砂、最期は切腹。播磨高砂の米問屋の生まれで、勘定方として隊の経理を担いました。池田屋事件にも加わり、褒賞を受けています。慶応二年に切腹を命じられましたが、その理由ははっきりしていません。 -
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篠原泰之進【新選組隊士 諸士取調役兼監察 幕末】
篠原泰之進は新選組の諸士取調役兼監察。出身は筑後久留米(うきは)、最期は病没。伊東甲子太郎の同志として新選組に入り、監察・柔術師範を務めました。御陵衛士として離れ、油小路を切り抜けたのち、伏見街道で近藤勇を狙撃します。 -
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尾形俊太郎【新選組隊士 副長助勤 幕末】
尾形俊太郎は新選組の副長助勤。出身は肥後熊本、最期は病没。熊本藩領の出身で、入隊してすぐ副長助勤となります。五番組の組頭、監察、文学師範を務め、長州訊問使にも随行しました。会津で消息を絶ち、のちに熊本で私塾を開いていたことが分かりました。 -
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野村利三郎【新選組隊士 陸軍奉行添役介 幕末】
野村利三郎は新選組の陸軍奉行添役介。出身は美濃(大垣藩とも)、最期は戦死。流山で近藤勇に付き添って出頭し、捕らえられますが釈放されました。箱館では土方歳三直属の陸軍奉行添役となります。宮古湾海戦で甲鉄艦に真っ先に斬り込み、戦死しました。 -
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中島登【新選組隊士 番兵取締 幕末】
中島登は新選組の番兵取締。出身は武州多摩(八王子)、最期は病没。八王子の農家に生まれ、八王子千人同心から新選組に入りました。流山での近藤の出頭に立ち会い、会津から箱館まで戦いました。隊士たちの姿を描いた『戦友姿絵』を残しています。 -
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相馬主計【新選組隊士 函館新撰組隊長 幕末】
相馬主計は新選組の函館新撰組隊長。出身は常陸笠間、最期は自刃。常陸笠間藩士の子です。流山で近藤勇の助命を嘆願し、自らも捕らえられますが釈放されました。箱館で土方歳三の戦死後に新選組の隊長となり、降伏の書状に署名しました。 -
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大石鍬次郎【新選組隊士 諸士取調役兼監察 幕末】
大石鍬次郎は新選組の諸士取調役兼監察。出身は江戸(一橋家家臣の子)、最期は斬首。一橋家家臣の子で、日野の佐藤彦五郎の道場で天然理心流を学びました。池田屋事件のあとに入隊し、諸士取調役兼監察となります。 -
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島田魁【新選組隊士 諸士取調役兼監察 幕末】
島田魁は新選組の諸士取調役兼監察・伍長。出身は美濃、最期は病没。美濃の庄屋の家に生まれ、大垣藩士の養子となります。江戸で永倉新八と知り合い、壬生浪士組に加わって監察・伍長を務めました。
