福島県会津若松市の飯盛山(いいもりやま)。ここは、戊辰戦争のさなかに白虎隊(びゃっこたい)の少年たちが自刃した、会津戊辰でもっとも胸を締めつけられる場所です。そして彼らを育てたのが、会津藩校日新館(にっしんかん)――「ならぬことはならぬものです」の教えで知られる学び舎でした。今回は、鶴ヶ城とあわせて訪ねたい、この二つの地を歩きます。
白虎隊 ― 少年たちの悲劇
会津藩は戊辰戦争にあたり、年齢によって玄武・青龍・朱雀・白虎の四隊を編成しました。このうち白虎隊は十六〜十七歳の少年で組まれた、いわば予備の部隊です。慶応四年(一八六八年)八月、新政府軍が会津へなだれ込むと、少年たちも戦線へ駆り出されます。戸ノ口原(とのくちはら)の戦いで敗れた白虎隊士中二番隊の少年およそ二十名は、傷つきながら飯盛山へと落ちのびました。
山上から城下を見おろした少年たちの目に映ったのは、炎と煙に包まれた町でした。彼らは鶴ヶ城が落城したと思い込み(実際には、城はまだ持ちこたえていました)、深い絶望のなかで次々と自刃します。十九名が命を絶ち、飯沼貞吉(いいぬま さだきち)ただ一人が奇跡的に蘇生して生き残りました。この生存者がいたからこそ、白虎隊の最期は後世に語り継がれることになったのです。


鶴ヶ城を見つめ続ける自刃の像
飯盛山に建つ白虎隊の自刃の像は、少年が刀を手に、遠くを見つめる姿をあらわしています。その台座には「白虎隊士像がのぞんでいる方向が鶴ヶ城です」と記されていました。像は今も、少年たちが最期に見つめた鶴ヶ城の方角を向いて立っているのです。線香の煙がゆらぐ十九士の墓の前に立つと、大義に殉じた少年たちの無念が、時を越えて迫ってくるようでした。

会津藩校 日新館 ― 「ならぬことはならぬものです」
散っていった白虎隊の少年たちの多くが学んだのが、会津藩校日新館でした。享和三年(一八〇三年)に城下に開かれた日新館は、天文台や医学寮、日本最古とされる水練の池まで備えた、当時の日本でも最高水準の藩校です。会津の武家の子どもたちは十歳になると入学し、学問と武芸、そして厳しい規律を身につけました。
なかでも有名なのが、就学前の子どもたちが守った心得「什(じゅう)の掟」です。「年長者の言ふことに背いてはなりませぬ」などの条を連ね、最後をこう締めくくります――「ならぬことはならぬものです」。理屈ではなく、してはならぬことはしてはならぬ、と教えるこの一句こそ、会津武士の精神の芯にありました。日新館は戊辰戦争で焼失しましたが、その建物は現在、郊外に忠実に復元され、当時の学びの空気を今に伝えています。


飯盛山を訪ねて
白虎隊の悲劇は、ともすれば「美談」として語られがちです。けれど十九士の墓の前に立ち、まだ少年だった彼らが刀を手に取らねばならなかった時代の過酷さを思うと、胸に迫るのはむしろ深い哀しみでした。「ならぬことはならぬ」という一途な教えが、少年たちをここまで純粋に、そして悲劇的にしてしまったのかもしれません。会津の戊辰を知るうえで、鶴ヶ城とともに、決して外せない場所だと感じた現地取材でした。
飯盛山・日新館へのアクセス・地図
飯盛山はJR会津若松駅からバスなどでアクセスでき、白虎隊十九士の墓や自刃の地まで石段(動く坂道あり)で登れます。復元された日新館は会津若松市河東町にあります。
▼ 会津藩の歴代藩主や石高など、藩の詳しいデータはこちら
会津藩の基礎データを見る(藩ページ)
▼ 白虎隊についてさらに詳しくはこちら
白虎隊の記事を読む

