岐阜県中津川市の馬籠。中山道の四十三番目、木曽十一宿でいちばん南の宿場です。

石碑にこう刻まれています。京に五十二里半、江戸に八十里半。ちょうど真ん中より、少し京都寄りです。ここに中津川から来ました。落合宿を経て約八・四キロ、歩けば二時間二十分ほどの道のりです。

宿場の下入口です。看板に「宿場内は石畳道路につき、車での乗入れはご遠慮ください」とありました。十時から十六時は車両通行禁止です。そして足元には、石畳が滑りやすいことを知らせる看板が立っていました。
坂の宿場です

歩き始めてすぐ分かります。馬籠宿は、ずっと坂です。山の尾根に沿って石畳が続き、その両側に建物が並んでいます。平らな場所がほとんどありません。

この日も暑い日でしたが、石畳の脇には水が流れていて、その音が絶えず聞こえていました。中津川の路地でも同じ音を聞きましたが、こちらは坂を下る分だけ水の勢いがあります。

そして水車です。宿場の中ほどに、大きな木の水車が回っていました。これだけの水が流れているから、水車も回せるわけです。坂と水は、この宿場ではひと続きのものでした。
ここが島崎藤村の生まれた場所です

「文豪 島崎藤村生誕の地」——そう書かれた標識が立っています。隣の大きな説明板には、宿場の構造が書かれていました。馬籠は山の尾根に沿った急な坂に沿って造られた宿場です。両側の石垣の上に家が建ち、中央には本陣、脇本陣、問屋、旅人の宿泊する「旅籠」が置かれていました。
そして、二度焼けています
ここは記事にする前に知っておくべきことでした。明治二十八年(一八九五年)と大正四年(一九一五年)、二度の大火があり、江戸時代の建物はことごとく焼失しています。つまり——いま歩いている町並みは、そのあとに復元されたものです。石畳と枡形以外は、幕末当時のものではありません。
それでも枡形は残りました。宿場の中央で道を直角に二度折り曲げた構造で、防衛のためのものです。説明板にその図が描かれていました。

藤村記念館です。標識に「島崎藤村宅(馬籠宿本陣)跡」とあります。日本遺産の構成文化財です。昭和二十七年に開館した、日本で最初の文学館とされます。設計は建築家の谷口吉郎。収蔵は約六千点です。
藤村の父が、幕末の当事者でした
ここからが、この宿場を幕末の記事にできる理由です。島崎藤村の父・島崎正樹(一八三一〜一八八六)。馬籠宿の本陣・庄屋・問屋を兼ねる家の当主でした。そして——文久三年(一八六三年)、中津川宿の問屋役・間秀矩の紹介で、平田篤胤の没後門人となっています。
中津川で桂小五郎の会談を段取りしたのが、この間秀矩です。長州の藩論を変えた会談の翌年、その人物の紹介で、馬籠の本陣当主が平田国学に入門したことになります。
正樹がやったこと
- 中津川の間秀矩から国学を、医師の馬島靖庵から皇学・漢学を学びました
- 馬籠で私塾を開いて子弟を教えています
- 安政五年(一八五八年)以降、三度の村の火災で窮民の救済に奔走し、尾張藩から賞されました(木曽谷は尾張藩領です)
- 平田篤胤『古史伝』の出版に、出資者として名を連ねています
そして、明治になってから
正樹の後半生は、読んでいて苦しくなります。
- 明治二年——木曽谷の官有山林を地元へ解放する運動に奔走します
- 明治五年——戸長を罷免されました
- 明治七年——教部省に出仕。この年、明治天皇の輿に憂国の歌を書いた扇子を投げ、不敬罪に問われます
- その後、飛騨一宮水無神社の宮司に
- 明治十一年——北陸巡幸の際にも建白を試みて叱責されました
- 明治十九年十一月二十九日——島崎家の座敷牢のなかで死去。五十六歳でした
この人が、小説『夜明け前』の主人公・青山半蔵のモデルです。
『夜明け前』は、どこまで史実なのか
『夜明け前』は昭和四年から十年にかけて『中央公論』に連載されました。ペリー来航の前後から明治十九年までを描いています。作中には和宮の下向、長州征伐、大政奉還の噂、「ええじゃないか」が出てきます。そして主人公の青山半蔵は、寺への放火未遂を起こして座敷牢に監禁され、そのなかで病死します。
★ここは、はっきり書いておきます
「島崎正樹が永昌寺に火をつけた」という話は、史実として裏が取れません。国立国会図書館のレファレンス協同データベースは、この事件について「小説『夜明け前』本文に書かれていること以上の情報は得られなかった」と回答しています。新聞にも人名事典にも、裏づけとなる史料が見つからなかったということです。
さらに同データベースは、「『夜明け前』の歴史資料としての信憑性には疑問が呈されており、史実が語られているわけではない」とも明記しています。小説の記述が、いつの間にか史実として流通してしまった例だと思われます。座敷牢で亡くなったことは事実ですが、放火の件は「作中の出来事」にとどめておくのが正確です。
清水屋と脇本陣

清水屋資料館です。格子の連なりが見事な建物でした。

説明板によれば、ここは文豪・藤村ゆかりの家です。掛軸、書簡、写真などが展示され、生活史・文化史とも言える数々の資料が残されているとありました。最後の一文が印象に残りました。「馬籠を訪れた人達に、流れゆく時代の心をとどめさせてくれるものと思います」

そして馬籠脇本陣史料館。

説明板にはこうあります。「最高位の者が使用した部屋を復元するとともに、使用した道具や被服類を通じて、江戸期における上流社会の文化を紹介しています」英語の説明のほうには、もう一言添えられていました。当時の貧しい農民の暮らしも展示している、と。大名が泊まる部屋と、それを支えた人たちの暮らし。その両方を見せる構成だそうです。
高札場と、中山道の説明板

宿場の中ほどに、中山道そのものを解説した説明板がありました。中山道は木曽の山あいを通ることから「木曽街道」とも、山の中を行くことから「なかせんどう」とも呼ばれました。江戸と京都を結ぶ距離は百三十二里(約五百五十キロ)、六十九の宿場が置かれています。
そして高札場。幕府の掟や法度を板に書いて掲げた場所です。文字が読めない人も多かったので、庄屋や名主が読み聞かせたとありました。
天狗党が、ここに泊まっています
この宿場の幕末で、いちばん大きな出来事です。元治元年(一八六四年)十一月二十六日、水戸の天狗党が馬籠と落合に分宿して一泊しました。筑波山で挙兵し、京都をめざして西へ向かっていた一団です。伊那谷を南下し、飯田の領内を通って清内路峠を越え、中山道に合流してここへ来ました。
そして翌二十七日、中津川宿で五平餅ときしめん、酒と茶のもてなしを受けています。馬籠でどう迎えたのかは、公式の資料では確認できませんでした。ただ、本陣当主の島崎正樹が中津川と同じ平田門人のネットワークにいたことを考えると、冷たくはしなかったはずです。
ほかにも通っています
中山道の宿場ですから、幕末の大きな動きはたいていここを通りました。
- 文久元年、和宮の降嫁の行列——総勢二万人以上、行列の長さは七十七キロ、通過に四日かかりました
- 慶応四年二月、東山道軍——中津川には二月二十五日から二十七日に到着しています
いずれも馬籠宿での個別の記録は確認できませんでしたが、街道筋である以上、この坂を通ったことは間違いありません。
歩いてみて

宿場を離れると、こういう景色になります。稲が実り、その向こうに山が重なっていました。『夜明け前』の書き出しは、あまりに有名です。「木曽路はすべて山の中である」本当にそのとおりでした。ここは山の中の、坂の上の宿場です。
それでも——いや、だからこそかもしれません。この山の中に、平田国学が届いていました。中津川の間秀矩から島崎正樹へ。そして正樹は私塾を開いて、村の子どもたちに教えました。その息子が、日本を代表する文学者になります。そして父の生涯を、幕末から明治への三十年をまるごと使って書きました。

石碑の「京に五十二里半、江戸に八十里半」という数字を、もう一度見ました。ここは、どちらからも遠い場所です。その遠さのなかで、一人の男が国学に出会い、山林の解放に奔走し、天皇の輿に扇子を投げ、座敷牢で死にました。『夜明け前』というタイトルの意味を、坂を下りながら考えていました。
訪ねるなら

- 藤村記念館——中津川市馬籠4256-1。昭和二十七年開館、日本で最初の文学館。設計は谷口吉郎。収蔵約六千点。四月〜十一月は九時〜十七時、十二月〜三月は九時〜十六時。十二月〜二月は毎週水曜が休館です。大人五百円
- 清水屋資料館——藤村ゆかりの家。掛軸・書簡・写真など
- 馬籠脇本陣史料館——最高位の者が使った部屋を復元。大名の暮らしと農民の暮らしの両方を展示
- 永昌寺——島崎家の菩提寺。『夜明け前』では「万福寺」として登場します。島崎正樹の墓碑があります
- 馬籠観光案内所——宿場の中ほど
宿場内は十時から十六時まで車両通行禁止です。石畳が続くので、歩きやすい靴で。そして坂です。下入口から登ると、それなりに息が上がります。妻籠宿へは馬籠峠を越えて約八キロ、中山道の自然遊歩道が整備されています。中津川宿からは落合宿経由で約八・四キロです。
あわせて読みたい
- 【現地取材】桂小五郎の隠れ家跡を訪ねる——中津川の路地裏で、長州の藩論が変わった
- 【現地取材】苗木城を歩く——一万石の天空の城と、寺を一つ残らず壊した幕末の藩
- 【現地取材】岩村城の藩主邸跡を歩く——幕末の学問を支えた佐藤一斎と、三学戒の碑
- 【現地取材】飯田城を歩く——安政六年の石碑に、小栗忠順の師が文を寄せていた
この記事の取材と情報源について
現地を訪ねて撮影した写真と、現地に設置されている解説の記載をもとに書いています。主に参照したのは次のとおりです。
- 現地の説明板「馬籠の宿場」「中山道」「高札場」「清水屋資料館」「馬籠脇本陣史料館」
- 中津川市公式サイト「中津川宿」連載(水戸天狗党との関わり/皇女和宮 中津川宿泊と大行列/小説『夜明け前』)
- 国立国会図書館 レファレンス協同データベース(島崎藤村の父と寺の火災について)
- 藤村記念館
掲載写真はすべて運営者が撮影したものです。裏の取れない事柄は本文にその旨を記し、諸説あるものは併記しています。誤りにお気づきの際はお問い合わせからご指摘ください。
