【現地取材】笠間城を歩く——赤穂浪士の家と、新選組最後の局長を出した城下町

杉木立のなかに、「史蹟 笠間城大手門跡」と刻まれた石柱が立っていました。根元にはしめ縄が巻かれています。ここが城の正面だったと言われなければ、ただの山道です。

笠間は不思議な町です。城は関東ではめずらしく石垣を持ち、その城下からは赤穂浪士の頭領の家と、新選組最後の局長が出ています。忠臣蔵と幕末という、まるで別の物語の登場人物が、同じ山のふもとから世に出ているのです。

杉林の斜面に現れる笠間城の石垣。苔むした野面積みで、決して大きくはないが、はっきりと角を持っている。
杉林の斜面に現れる笠間城の石垣。苔むした野面積みで、決して大きくはないが、はっきりと角を持っている。
目次

この城下町が、幕末とつながる三つの点

笠間城は幕末まで現役の城でした。山の上に本丸を置いたまま明治を迎えています。ここが、私がこれまで歩いてきた「幕末には城でなかった城跡」とは違うところです。

そして幕末史とは、三つの点でつながっています。

  • 新選組最後の局長。近藤勇と土方歳三を失ったあとの新選組に幕を引いた相馬主計は、常陸笠間の出とされます(→新島「主計の扇子」
  • 牧野八万石。幕末の藩主・牧野貞寧の家は、越後長岡藩牧野家の分家です。本家が河井継之助のもとで焦土になったのに対し、笠間は戦火を免れました
  • 天狗党元治元年に挙兵の地となった筑波山は、笠間から南西へすぐの場所にあります

そこへもう一つ、元禄の話が混じります。赤穂浪士の大石家が浅野家の家老になったのは、この土地でのことでした。忠臣蔵と幕末が同じ城下町から出ている——それがこの町の面白さです。

承久元年の山城

現地の案内板によれば、笠間城の築城は承久元年(1219年)、築城者は笠間時朝、形態は山城とあります。鎌倉時代です。

以後この城は笠間氏の居城として続きました。天正十八年(1590年)に笠間氏が没落すると宇都宮氏の家臣・玉生氏が入り、慶長三年(1598年)には蒲生郷成が城主となります。案内板は、この郷成が笠間城を近世城郭に変貌させたと考えられる、と書いています。

三百七十年ほど、ひとつの家の城だった山が、十年たらずのあいだに三度も主を替えたことになります。戦国の終わりとは、そういう時間の流れ方をするものなのでしょう。

茨城県で、唯一の石垣

山を登っていくと、杉林の斜面に石垣が現れます。苔むした野面積みでした。

案内板にはこうあります——茨城県では唯一本格的な石垣が築かれており、当時の姿を見ることができる。

控えめな書き方ですが、実際にはかなり異例のことです。関東の城は土の城が基本です。土塁と空堀でつくります。石が採れないからでもありますし、石垣を積む職人が東国にいなかったからでもあります。私が歩いた本佐倉城も、真壁藩の真壁城跡も、残っているのは土塁と堀でした。

その関東に、石垣があります。持ち込んだのは蒲生郷成——蒲生氏郷の家臣で、西から来た人です。近江や会津で積まれてきた技術が、常陸の山にまで運ばれてきました。石垣ひとつで、その城を誰が作ったかが分かることがあります。

石垣の前で。関東の城でこの光景に出会えるのは、ここだけだという。
石垣の前で。関東の城でこの光景に出会えるのは、ここだけだという。

幕末まで、山の上の城だった

もうひとつ、この城には珍しい点があります。

近世の城は、たいてい山を降ります。政務に不便だからです。笠間も同じで、麓に下屋敷が建てられました。ところが案内板によれば、下屋敷ができたあとも山城の部分は維持されたといいます。

つまり笠間藩は、幕末まで山の上に城を持ち続けていたことになります。江戸時代の城といえば平城か平山城を思い浮かべますが、ここは違いました。

笠間市教育委員会の案内板。縄張図と地形図が並び、調査の経過まで書き込まれている。
笠間市教育委員会の案内板。縄張図と地形図が並び、調査の経過まで書き込まれている。

近年は本格的な調査が続いています。天守曲輪の石垣の応急処置、本丸跡の地下探査、古文書の調査。「正保の城絵図」と現在の地形を突き合わせられるようになり、これまで城郭として把握されていなかった範囲にも遺構があると確認されたそうです。国指定史跡を目指している、とも書かれていました。

案内板の隅には、周辺は樹木に覆われていて倒木や落枝の危険があるので、強風時や台風の接近時は登城を控えるように、という注意書きもありました。整備された観光地ではなく、いまも山なのです。

大石邸址——浅野家の家老になったのは、この土地でだった

山を下りて町へ出ると、原っぱのなかに石柱が立っています。「史蹟 大石邸址」。まわりにタンポポが一面に咲いていました。

「史蹟 大石邸址」の石柱。原っぱの中にぽつりと立っている。
「史蹟 大石邸址」の石柱。原っぱの中にぽつりと立っている。

赤穂浪士の大石内蔵助——その家です。

順を追うとこうなります。浅野長政の三男・長重は、常陸の真壁と笠間の藩主でした。その長重に永代家老として取り立てられたのが大石良勝。内蔵助の曽祖父にあたります。

つまり大石家が浅野家の家老になったのは、播磨赤穂ではなく、この常陸の地でだったということになります。

のちに長重の長男・長直が赤穂へ転封になると、大石家も主家について播磨へ移ります。内蔵助が生まれたのは万治二年(1659年)、赤穂城内でした。祖父の良欽は赤穂藩の筆頭家老となり、内蔵助は若くしてその跡を継ぎます。

大石内蔵助良雄像。陣笠をかぶり、采配を掲げ、腰に陣太鼓を提げている。討ち入りの場面である。
大石内蔵助良雄像。陣笠をかぶり、采配を掲げ、腰に陣太鼓を提げている。討ち入りの場面である。

赤穂で討ち入りをした男の像が、なぜ常陸の笠間に立っているのか。答えは、この町が大石家の出発点だからです。

私は以前、赤穂城と大石神社を歩いています。城跡も神社も、義士たちの物語で埋め尽くされていました。その物語の、いちばんはじめの一行がここに置かれています。

そして浅野家は、真壁から笠間へ、笠間から赤穂へと移っています。私は真壁藩の城跡にも足を運びました。三つの土地が一本の線でつながっていることに、歩いたあとで気づきました。

新選組最後の局長も、笠間の人だった

もうひとつ、この城下から出た人物がいます。相馬主計。新選組の最後の局長です。

近藤勇が処刑され、土方歳三が箱館で戦死したあと、この集団に静かに幕を引いたのが相馬でした。彼は常陸国笠間の出とされます。入隊は慶応三年六月ごろで、新選組の歴史のなかではかなり遅いほうです。それでも実直な人柄と才覚で頭角を現し、最後を看取る役目を担うことになりました。

戦後、相馬は流刑となって新島へ送られます。島にはいま「主計の扇子」と呼ばれる石碑があって、開いた扇の上に「誠」の一字が刻まれています。私はその碑も見に行きました——新島「主計の扇子」

忠臣蔵と新選組。元禄と幕末。まるで交わらない二つの物語が、笠間という一つの城下町から出ています。歩いていて、そのことがいちばん不思議でした。

幕末の笠間藩

幕末の笠間藩主は牧野貞寧、八万石です。この牧野家は、越後長岡藩の牧野家の分家にあたります。

戊辰戦争で長岡は河井継之助のもとで武装中立を掲げ、北越戦争を戦い抜いて城下を焼かれました。同じ牧野の名を持ちながら、笠間はそこまでの戦火には巻き込まれていません。分家として本家の路線から距離を取れたことが、この藩を救った面はあるでしょう。

常陸はもともと難しい土地です。水戸藩の尊皇攘夷が藩内抗争に発展し、元治元年には筑波山で天狗党が挙兵しました。その筑波山は、笠間から南西にすぐの場所にあります。城が戦場にならなかったからといって、平穏だったわけではありません。

稲荷の門前で

城を降りたあとは、笠間稲荷神社へ回りました。

笠間稲荷神社の大鳥居。門前の通りに露店が並び、人が絶えない。
笠間稲荷神社の大鳥居。門前の通りに露店が並び、人が絶えない。

朱塗りの大鳥居が、門前の通りにまっすぐ立っています。参道には露店が出て、人通りが絶えません。日本三大稲荷を称する社で、この賑わいは江戸時代から続いています。城が山の上にあったぶん、町の中心はむしろこちら側にあったのでしょう。

この日は、母と叔母と妻と、四人での日帰りでした。御朱印と御城印をいただきました。城跡は舗装もされていない山道で、正直なところ年配の二人には楽な道ではなかったと思います。それでも石垣の前までは、みんなで登りました。

苔むした石を見上げながら、この石を積んだ蒲生の職人も、大石の家も、相馬主計も、みんなここから出て行ったのだな、と思いました。城下町というのは、人を育てて送り出す場所なのかもしれません。残っているのは、石垣と、原っぱの石柱だけです。

【笠間城・場所・アクセス・地図】

笠間城跡は茨城県笠間市笠間。JR水戸線・笠間駅から徒歩でおよそ三十分、車なら千人溜(せんにんだまり)跡の駐車場まで上がれます。そこから大手門跡・石垣・天守曲輪へと山道が続きます。足元は整備されていないので、歩きやすい靴でどうぞ。

大石邸址は市街地の中、笠間稲荷神社は駅から北へ徒歩十五分ほど。三か所は歩いて回れる距離にあります。

この記事の取材と情報源について

現地を訪ねて撮影した写真と、現地に設置されている解説の記載をもとに書いています。主に参照したのは次のとおりです。

  • 笠間市教育委員会(現地解説板の設置者)

掲載写真はすべて運営者が撮影したものです。裏の取れない事柄は本文にその旨を記し、諸説あるものは併記しています。誤りにお気づきの際はお問い合わせからご指摘ください。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次