東海地方– category –
石高順にまとめた 東海の藩一覧(幕末) もあります。
東海地方(静岡・愛知・岐阜・三重)の藩をまとめています。御三家の尾張藩・紀州藩の伊勢領、桑名藩・大垣藩・岡崎藩など、徳川家の本拠に近い譜代の藩が多い地方です。幕末に会津と並んで京都を守った桑名藩の動きも読めます。
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深溝藩/板倉家1万5千石:板倉重昌 島原の乱にて戦死 嫡子重矩が藩庁を三河中島藩へ移転したため廃藩
深溝藩(板倉家1万5千石、板倉重昌)。島原の乱にて戦死 嫡子重矩が藩庁を三河中島藩へ移転したため廃藩。慶長十九年(1614年)七月、山城国において千石を領していた「板倉重昌」は深溝にて千二百三十石を加増されました。 -
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三河中島藩/板倉家5万石:板倉重矩 幕府要職を歴任し下野烏山藩へ移封のため廃藩
三河中島藩(板倉家5万石、板倉重矩)。幕府要職を歴任し下野烏山藩へ移封のため廃藩。「板倉重矩」は家督相続のとき藩庁を深溝から中島に移し三河中島藩一万石が立藩しました。 -
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奥殿藩/松平家1万6千石:松平乗謨 信濃国佐久郡田野口へ移転し龍岡五稜郭建造のため廃藩
奥殿藩(松平家1万6千石、松平乗謨)。信濃国佐久郡田野口へ移転し龍岡五稜郭建造のため廃藩。第7代藩主となった奥殿藩主「松平乗利」は有能な名君で、文武を奨励して演武場、藩校・明徳館などを創設しています。 -
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伊保藩/本多家1万5千石:本多忠晴 遠江相良藩へ移封のため廃藩
伊保藩(本多家1万5千石、本多忠晴)。遠江相良藩へ移封のため廃藩。慶長五年(1600年)の「関ヶ原の戦い」で東軍に与した岩崎城七千石の領主である「丹羽氏次」は、戦後に恩賞として三千石を加増されたことから一万石の大名として伊保藩を立藩し… -
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足助藩/本多家7千石:本多忠陳 1万石大名となるが勤務怠慢のため減封となり廃藩
足助藩(本多家7千石、本多忠陳)。1万石大名となるが勤務怠慢のため減封となり廃藩。徳川四天王で有名な「本多忠勝」の孫「本多忠義」の五男である「本多忠周」は加茂郡足助村に陣屋を置き七千石の交代寄合となりました。 -
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畑村藩(大垣新田藩)/戸田家1万石:戸田氏良 戊辰戦争では北越戦争にも従軍した大垣新田藩
畑村藩(大垣新田藩)(戸田家1万石、戸田氏良)。戊辰戦争では北越戦争にも従軍した大垣新田藩。元禄元年(1688年)七月、「戸田氏利」の後を継いだ「戸田氏成」のときに兄の戸田氏定から美濃国内の新田三千石を分与され、さらに養父の氏利の所領… -
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新城藩/菅沼家7千石:菅沼定長 大坂定番や海軍奉行を歴任した幕末の新城藩主 菅沼定長
新城藩(菅沼家7千石、菅沼定長)。大坂定番や海軍奉行を歴任した幕末の新城藩主 菅沼定長。菅沼の初代領主「菅沼定実」の時代に、川舟の中継地点として栄える基盤が整えられました。 -
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作手藩/松平家1万7千石:松平忠明 伊勢亀山藩へ移封のため廃藩
作手藩(松平家1万7千石、松平忠明)。伊勢亀山藩へ移封のため廃藩。「奥平信昌」と「徳川家康」の長女「亀姫」との間に生まれた四男の「松平忠明」は、外祖父家康の養子となって松平姓を名乗ること、兄である「松平家治」の遺領、上野国長根に七千石… -
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半原藩/安部家2万250石:安部信発 武蔵岡部陣屋から半原陣屋へと藩庁を移した幕末の藩主 安部信発
半原藩(安部家2万250石、安部信発)。武蔵岡部陣屋から半原陣屋へと藩庁を移した幕末の藩主 安部信発。半原藩は岡部藩が慶応四年(1868年)四月に藩庁所在地を三河国八名郡半原村(現在の愛知県新城市富岡)に移転したことによって成立した藩です。 -
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吉田藩(豊橋藩)/松平家7万石:松平信古 尾張藩の斡旋にて新政府軍に恭順し伊予吉田藩と同名のため豊橋藩へ改名
吉田藩(豊橋藩)(松平家7万石、松平信古)。尾張藩の斡旋にて新政府軍に恭順し伊予吉田藩と同名のため豊橋藩へ改名。寛延二年(1749年)、「松平信復(信祝の子)」が七万石で入封し藩主家が定着します。 -
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西端藩/本多家1万500石:本多忠鵬 いち早く新政府軍に与して陣屋を官軍へ提供した西端藩
西端藩(本多家1万500石、本多忠鵬)。いち早く新政府軍に与して陣屋を官軍へ提供した西端藩。元治元年(1864年)、第10代領主「本多忠寛」が江戸警備の功績などにより一万五百石への高直しを許され、ここに本多氏は大名となり西端藩を立藩し… -
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西大平藩/大岡家1万石:大岡忠敬 鳥羽伏見の戦いで旧幕府軍が敗れると新政府軍に恭順した西大平藩
西大平藩(大岡家1万石、大岡忠敬)。鳥羽伏見の戦いで旧幕府軍が敗れると新政府軍に恭順した西大平藩。将軍「徳川吉宗」の信任を受け江戸南町奉行として「享保の改革」を実行した「大岡忠相」が寛延元年(1748年)、奏者番に就任し、それまでの功… -
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岡崎藩/本多家5万石:本多忠民 幕末時に佐幕派・尊皇派に分裂した岡崎藩
岡崎藩(本多家5万石、本多忠民)。幕末時に佐幕派・尊皇派に分裂した岡崎藩。岡崎藩第5代藩主「本多忠民」は財政改革を行ない、農村有力者と協力して藩政再建に当たりました。 -
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大給藩/松平家1万2千石:松平乗真 藩庁が手狭となったため奥殿へ移転した大給藩
大給藩(松平家1万2千石、松平乗真)。藩庁が手狭となったため奥殿へ移転した大給藩。大給松平家は「徳川家康」の5代前の松平家当主「松平親忠」の次男「松平乗元」より始まり代々松平宗家に譜代の家臣として仕えました。 -
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重原藩/板倉家2万8千石:板倉勝達 奥羽越列藩同盟に加盟したため減封の上三河国へ移封となり重原藩を立藩
重原藩(板倉家2万8千石、板倉勝達)。奥羽越列藩同盟に加盟したため減封の上三河国へ移封となり重原藩を立藩。重原藩領は元々刈谷藩の領内だったが、寛政二年(1790年)、刈谷藩第3代藩主「土井利制」の時代に「寛政一揆」が発生しました。 -
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挙母藩/内藤家2万石:内藤文成 戊辰戦争では新政府軍に駿府警護のため一小隊を派遣した挙母藩
挙母藩(内藤家2万石、内藤文成)。戊辰戦争では新政府軍に駿府警護のため一小隊を派遣した挙母藩。嘉永四年(1851年)、「内藤政優」に嗣子なく死去すると、井伊家から「内藤政文」が養子として迎えられ第6代藩主となりました。 -
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遠江久野藩/北条家1万石:北条氏重 下総関宿へ加増転封のため廃藩
遠江久野藩(北条家1万石、北条氏重)。下総関宿へ加増転封のため廃藩。慶長三年(1598年)、「松下之綱」が死去し、後を子の「松下重綱」が継ぎました。重綱は「関ヶ原の戦い」においては徳川家康率いる東軍に与して大垣城の牽制に務め所領を安堵… -
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掛塚藩/加々爪家1万3千石:加々爪直清 旗本成瀬正章と争い所領没収の上改易
掛塚藩(加々爪家1万3千石、加々爪直清)。旗本成瀬正章と争い所領没収の上改易。「加々爪忠澄」は「関ヶ原の戦い」「大坂の陣」で武功を挙げたため、加増を受けて、寛永十年(1633年)に九千五百石を与えられました。 -
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堀江藩/大沢家1万石:大沢基寿 明治維新のどさくさに紛れて諸侯に列した高家出身の堀江藩
堀江藩(大沢家1万石、大沢基寿)。明治維新のどさくさに紛れて諸侯に列した高家出身の堀江藩。幕末から明治維新の頃の当主である第20代「大沢基寿」は、和宮親子内親王降嫁に際してはその付添役を務め、「徳川慶喜」の「大政奉還」ではその旨を朝廷… -
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相良藩 /田沼家1万石:田沼意正 上総国小久保藩へ移封のため廃藩
相良藩(田沼家1万石、田沼意正)。上総国小久保藩へ移封のため廃藩。天明六年(1786年)、将軍「徳川家治」が死去すると「松平定信」の粛清にあって「田沼意次」は失脚し強制的に隠居させられました。 -
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横須賀藩 /西尾家2万5千石:西尾忠篤 譜代大名として佐幕派・尊皇派に分裂したが戊辰戦争時は尊皇で統一した横須賀藩
横須賀藩(西尾家2万5千石、西尾忠篤)。譜代大名として佐幕派・尊皇派に分裂したが戊辰戦争時は尊皇で統一した横須賀藩。天和二年(1682年)、「本多利長」は江戸城にて罪状を読み上げられた上で横須賀藩を改易されました。
