全藩一覧—幕末の藩を地域・名前から探す– category –
江戸時代に置かれた藩を、地方別にまとめています。幕末まで続いた藩だけでなく、江戸時代の初めに取りつぶされたり国替えで消えたりした小さな藩も含め、およそ530の藩を一つずつ取り上げました。各ページでは藩が生まれた経緯、藩主家の移り変わり、幕末から廃藩置県までの動き、いまの城跡・陣屋跡の場所を紹介しています。
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八田藩/加納家1万3千石:加納久儔 飛地である上総国一宮へ陣屋移転のため廃藩
八田藩(加納家1万3千石、加納久儔)。飛地である上総国一宮へ陣屋移転のため廃藩。三河国出身の「加納久直」が徳川家康に仕えて紀州藩に属するのが始まりです。久直の孫「加納久通」は紀州藩主「徳川吉宗」の将軍就任に従って江戸城に入り、延享二年… -
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久居藩(津藩支藩)/藤堂家5万8千700石:藤堂高邦 本藩に従い新政府軍に恭順した久居藩
久居藩(津藩支藩)(藤堂家5万8千700石、藤堂高邦)。本藩に従い新政府軍に恭順した久居藩。寛文九年(1669年)、津藩の第2代藩主「藤堂高次」が隠居して家督を子の「藤堂高久」に譲ったとき、次男の「藤堂高通」に五万石を分与して津藩の支… -
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菰野藩/土方家1万1千石:土方雄永 いち早く新政府に恭順し十三代二百七十年を保った菰野藩
菰野藩(土方家1万1千石、土方雄永)。いち早く新政府に恭順し十三代二百七十年を保った菰野藩。藩祖は「土方雄久」の長男「土方雄氏」です。雄氏は織田信雄、豊臣秀吉に仕えて伊勢菰野に一万石を領していたが、慶長4年(1599年)に徳川家康暗殺… -
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美濃脇坂藩/脇坂家1万石:脇坂安信 池田家の世継ぎ分与問題の不始末により改易の上で廃藩
美濃脇坂藩(脇坂家1万石、脇坂安信)。池田家の世継ぎ分与問題の不始末により改易の上で廃藩。「加藤清正」や「福島正則」と並ぶ賤ヶ岳の七本槍の一人として知られる「脇坂安治」の三男「脇坂安信」は「徳川家康」に仕えていました。 -
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美濃長谷川藩/長谷川家1万石:長谷川守知 子の正尚が弟の守勝に分与したため旗本となり廃藩
美濃長谷川藩(長谷川家1万石、長谷川守知)。子の正尚が弟の守勝に分与したため旗本となり廃藩。「長谷川宗仁」の子「長谷川守知」は織田信長、豊臣秀吉に仕えました。慶長五年(1600年)の「関ヶ原の戦い」では西軍に与して石田三成の居城である… -
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野村藩/戸田家1万3千石:戸田氏良 版籍奉還の年に大垣新田藩から野村藩に改名
野村藩(戸田家1万3千石、戸田氏良)。版籍奉還の年に大垣新田藩から野村藩に改名。慶長五年(1600年)の「関ヶ原の戦い」で、織田長孝(織田有楽斎長益の長男)は東軍に与して戦功を挙げたため、大野などに一万石を与えられて野村藩を立藩しました。 -
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曽根藩/西尾家2万石:西尾光教 美濃揖斐藩に加増転封のため廃藩
曽根藩(西尾家2万石、西尾光教)。美濃揖斐藩に加増転封のため廃藩。戦国時代、曽根城は斎藤道三、織田信長に仕えた西美濃三人衆の一人「稲葉良通(一鉄)」が治めていました。 -
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清水藩/稲葉家1万2千石:稲葉通重 京都祇園で乱行のため改易となり廃藩
清水藩(稲葉家1万2千石、稲葉通重)。京都祇園で乱行のため改易となり廃藩。「斎藤道三」や「織田信長」に仕えた西美濃三人衆の一人「稲葉良通(一鉄)」は、嫡男の「稲葉貞通」に家督を譲っていました。 -
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美濃高松藩<松ノ木藩>/徳永家3万石:徳永寿昌 関ヶ原の戦いの功績で美濃高須藩へ移封のため廃藩
美濃高松藩<松ノ木藩>(徳永家3万石、徳永寿昌)。関ヶ原の戦いの功績で美濃高須藩へ移封のため廃藩。美濃高松城にははじめ、吉村信実・吉村氏吉が入封していました。吉村親子は「織田信長」に仕えたが、信長没後はその次男である「織田信雄」に仕え… -
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徳野藩/平岡家1万石:平岡頼資 家督争いの為廃藩となり旗本として残った平岡家
徳野藩(平岡家1万石、平岡頼資)。家督争いの為廃藩となり旗本として残った平岡家。慶長五年(1600年)の「関ヶ原の戦い」で東軍に寝返ったことで有名な「小早川秀秋」だが、その寝返り工作をした家老に「稲葉正成」と「平岡頼勝」がいました。 -
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金山藩/松平家2万5千石:松平忠頼 遠州浜松藩へ移封のため廃藩
金山藩(松平家2万5千石、松平忠頼)。遠州浜松藩へ移封のため廃藩。天正十年(1582年)三月の「甲州討伐」で武功を挙げたため、「鬼武蔵」と称された「森長可」は金山と北信濃4郡、あわせて二十万九千七百石を与えられました。 -
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岩滝藩/本庄家1万石:本庄道章 石畑へ藩庁を移したため廃藩
岩滝藩(本庄家1万石、本庄道章)。石畑へ藩庁を移したため廃藩。「本庄道章」の祖父「本庄道芳」は時の将軍「徳川綱吉」の母「桂昌院」の異母兄であったため、道章は宝永二年(1705年)三月に一万石の大名として取り立てられました。 -
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上有知藩/金森家2万石:金森長光 長近が分与して立藩されたが6歳にして夭折したため廃藩
上有知藩(金森家2万石、金森長光)。長近が分与して立藩されたが6歳にして夭折したため廃藩。「豊臣秀吉」は「佐藤秀方」に上有知城二万五千石を与えて統治させました。 -
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関藩/大島家1万8千石:大島光義 家督を継いだ光成が兄弟へ分与したため大名から旗本となり廃藩
関藩(大島家1万8千石、大島光義)。家督を継いだ光成が兄弟へ分与したため大名から旗本となり廃藩。関藩の藩祖は「大島光義」です。光義は織田信長・豊臣秀吉に仕え、慶長三年(1598年)に一万一千二百石を与えられて大名となりました。 -
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高富藩/本庄家1万石:本庄道美 幕末時には藩財政が破綻し新政府軍にいち早く恭順した高富藩
高富藩(本庄家1万石、本庄道美)。幕末時には藩財政が破綻し新政府軍にいち早く恭順した高富藩。第10代藩主「本庄道美」が当主の時に藩財政は完全に破綻し、慶応四年(1868年)には藩内で打ちこわし、百姓一揆が起こりました。 -
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十七条藩/稲葉家1万石:稲葉正成 越後糸魚川藩へ加増転封のため廃藩
十七条藩(稲葉家1万石、稲葉正成)。越後糸魚川藩へ加増転封のため廃藩。「小早川秀秋」の家老「稲葉正成」は「関ヶ原の戦い」で「平岡頼勝」とともに秀秋の東軍裏切り工作を行なった人物として有名であるが、秀秋没後に浪人します。 -
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多良藩/関家3万石:関一政 関ヶ原の恩賞として旧領伊勢亀山藩へ移封のため廃藩
多良藩(関家3万石、関一政)。関ヶ原の恩賞として旧領伊勢亀山藩へ移封のため廃藩。織田信長・豊臣秀吉に仕えた「関盛信」には「関一政」という息子がいました。一政は天正十年(1582年)から天正十六年(1588年)まで多良を支配していたが、… -
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青野藩/稲葉家1万2千石:稲葉正休 江戸城内で大老堀田正俊を刺殺したため改易の上で廃藩
青野藩(稲葉家1万2千石、稲葉正休)。江戸城内で大老堀田正俊を刺殺したため改易の上で廃藩。元和四年(1618年)、「稲葉正成」の子「稲葉正次」が幕府に仕えて五千石を与えられました。 -
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福束藩
福束藩の歩み 「福束藩」は、江戸時代の藩としては数えられていません。このページで紹介するのは、福束城と、その城主だった丸毛兼利の話です。美濃国安八郡福束、現在の岐阜県安八郡輪之内町にあたります。 関ヶ原の半月前に、一夜で落ちた城 丸毛氏は応... -
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大垣新田藩(大垣藩支藩)/戸田家1万石:戸田氏良 戊辰戦争では新政府軍に恭順し北越戦争に従軍した別名野村藩
大垣新田藩(大垣藩支藩)(戸田家1万石、戸田氏良)。戊辰戦争では新政府軍に恭順し北越戦争に従軍した別名野村藩。明暦元年(1655年)、戸田氏鉄の次男「戸田氏経」は兄の「戸田氏信」から美濃国大野郡内の新田四千石を加増されて六千二百石の知… -
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黒野藩/加藤家4万石:加藤貞泰 関ヶ原の戦いでは途中から東軍へ加担し家名を保ち最後は米子藩へ移封のため廃藩
黒野藩(加藤家4万石、加藤貞泰)。関ヶ原の戦いでは途中から東軍へ加担し家名を保ち最後は米子藩へ移封のため廃藩。「豊臣秀吉」の家臣であった「加藤貞泰(加藤光泰の子)」は、文禄四年(1595年)に美濃黒野に四万石を与えられました。
