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三上藩/遠藤家1万2千石:遠藤胤城 徳川慶喜側近のため佐幕派を貫き領地没収となった三上藩【幕末維新写真館】
【藩名】 三上藩 【説明】 嘉永5年12月(1853年)、第5代藩主「遠藤胤統」は江戸城西の丸造営の功績を賞されて2000石の加増を受けた。幕末の万延元年(1860年)には城主格に格上げされている。胤統は文久3年(1863年)に隠居し、後を孫の「遠藤胤城」が継... -
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山上藩/稲垣家1万3千石:稲垣太祥 当初佐幕派だったが途中から新政府に属した山上藩【幕末維新写真館】
【藩名】 山上藩 【説明】 元禄11年(1698年)3月7日、若年寄であった「稲垣重定」が常陸国から山上1万3000石にて移封され山上藩が立藩された。歴代藩主の多くが若年寄や大坂加番、大番頭や奏者番などの要職を歴任したことで、藩財政のひっ迫を招いた。 幕... -
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大森藩/最上家1万石:最上義智 出羽山形藩から移封し幼少のため藩地半減により廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 大森藩 【説明】 大森藩は滋賀県東近江市に陣屋を構え、江戸時代前期に存在した藩である。元和8年(1622年)、お家騒動により改易された出羽山形藩主「最上義俊」が蒲生郡・愛知郡・甲賀郡、三河国内に1万石を与えられ大森藩を立藩した。 義俊は... -
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堅田藩/堀田家1万3千石:堀田正敦 藩政や城下町の整備に力を注いだが下野佐野へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 堅田藩 【説明】 戦国時代、堅田は堅田水軍と呼ばれる水軍衆が存在し、安土城を本拠とする織田信長にとって堅田は重要な拠点だった。徳川家康が天下を統一すると、元禄11年(1698年)3月7日、下野国佐野藩主であった「堀田正高」が1万石で堅田に... -
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彦根新田藩(彦根藩支藩)/井伊家1万石:井伊直定 井伊彦根藩宗家を継いだため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 彦根新田藩(彦根藩支藩) 【説明】 彦根新田藩は江戸時代中期の正徳4年(1714年)より享保19年(1734年)まで存した藩である。井伊直興の14男「井伊直定」が1万石を分与され立藩された。享保17年(1732年)、直定は奏者番に就任したが享保19年(... -
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近江宮川藩/堀田家1万3千石:堀田正養 近江国内の諸藩が新政府に従ったためやむなく恭順した宮川藩【幕末維新写真館】
【藩名】 近江宮川藩 【説明】 万治3年(1660年)、堀田正信は老中「松平信綱」と対立したため所領を没収され改易となった。正信の嫡男「堀田正休」が父の罪を許されて天和2年(1682年)3月に1万石の大名として復帰を許され、上野国吉井藩に封じられた。正... -
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朝日山藩/水野家5万石:水野忠弘 奥羽越列藩同盟で敗れた山形藩が移封されて立藩した朝日山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 朝日山藩 【説明】 朝日山藩は現在の滋賀県長浜市に存在した藩である。明治3年7月17日(1870年8月13日)から明治4年7月14日(1871年8月29日)の「廃藩置県」までの約1年間存在した。奥羽越列藩同盟に与して新政府軍に敗れた山形藩主「水野忠弘」... -
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井生藩
【藩名】 井生藩 【説明】 ※作成中 【場所・アクセス・地図】 (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); -
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田丸藩/久野家1万石:久野純固 紀州藩付家老として幕末を無事に乗り切った田丸藩【幕末維新写真館】
【藩名】 田丸藩 【説明】 田丸藩は伊勢国に存在した藩で藩庁は田丸城にあった。遠江久野城城主であった「久野宗成」は駿府藩主であった「徳川頼宣」に付属させられ、頼宣の紀州転封に際し紀州へ移ってきた。頼宣は宗成に1万石を与え田丸城主として田丸領6... -
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伊勢岩手藩/稲葉家4万5千700石:稲葉道通 関ヶ原の戦いの功により田丸藩へ加増転封となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 伊勢岩手藩 【説明】 「豊臣秀吉」の家臣で、斎藤道三や織田信長に仕えた西美濃三人衆の一人「稲葉良通(稲葉一鉄)」の孫で、一族の「牧村政倫」の養子となった「牧村利貞」は、小田原征伐後に2万石の所領を与えられて岩出に入封した。その後、... -
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竹原藩<八知藩>
【藩名】 竹原藩<八知藩> 【説明】 ※作成中 【場所・アクセス・地図】 (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); -
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雲出藩/蒔田家1万石:蒔田広定 関ヶ原の戦いでは西軍に与したがほどなく許され備中浅尾藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 雲出藩 【説明】 雲出城は「豊臣秀吉」の家臣の「蒔田広定」が1万石の大名としてこの地を治めていた。慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」で石田三成の西軍に与した広定は、毛利秀元や吉川広家らと共に伊勢侵攻の一翼を担ったた。しかし西軍が9... -
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伊勢林藩/織田家1万石:織田信重 家督相続を巡り改易された藩祖織田信包の林藩【幕末維新写真館】
【藩名】 伊勢林藩 【説明】 「織田信包」の長男「織田信重」は、慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」で徳川家康率いる東軍に与したため、林1万石の所領を安堵され、林藩を立藩した。しかし実権は父の信包が握っていた。その信包が「大坂冬の陣」直前に72... -
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伊勢西条藩(南林崎藩)/有馬家1万石:有馬氏恕 上総国五井に陣屋を移転したため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 伊勢西条藩(南林崎藩) 【説明】 伊勢西条藩は、筑後久留米藩主家の分家であり、久留米藩初代藩主「有馬豊氏」の三男「有馬頼次」を藩祖とする。頼次は「徳川忠長」に仕えて1万石を得ていたが、忠長改易に伴って所領を失った。頼次の継嗣「有馬... -
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八田藩/加納家1万3千石:加納久儔 飛地である上総国一宮へ陣屋移転のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 八田藩 【説明】 三河国出身の「加納久直」が徳川家康に仕えて紀州藩に属するのが始まりである。久直の孫「加納久通」は紀州藩主「徳川吉宗」の将軍就任に従って江戸城に入り、延享2年(1745年)に吉宗が隠居したときには若年寄に任じられて吉宗... -
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久居藩(津藩支藩)/藤堂家5万8千700石:藤堂高邦 本藩に従い新政府軍に恭順した久居藩【幕末維新写真館】
【藩名】 久居藩(津藩支藩) 【説明】 寛文9年(1669年)、津藩の第2代藩主「藤堂高次」が隠居して家督を子の「藤堂高久」に譲ったとき、次男の「藤堂高通」に5万石を分与して津藩の支藩である久居藩を立藩した。築城は幕府より許可されず久居陣屋と城下... -
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菰野藩/土方家1万2千石:土方雄志 幕末では新政府軍に恭順し家名を保った菰野藩【幕末維新写真館】
【藩名】 菰野藩 【説明】 藩祖は「土方雄久」の長男「土方雄氏」である。雄氏は織田信雄、豊臣秀吉に仕えて伊勢菰野に1万石を領していたが、慶長4年(1599年)に徳川家康暗殺事件に巻き込まれて所領を没収され、常陸国太田に追放となった。しかし「関ヶ原... -
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美濃脇坂藩/脇坂家1万石:脇坂安信 池田家の世継ぎ分与問題の不始末により改易の上で廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 美濃脇坂藩 【説明】 「加藤清正」や「福島正則」と並ぶ賤ヶ岳の七本槍の一人として知られる「脇坂安治」の三男「脇坂安信」は「徳川家康」に仕えていた。大坂の陣では、「酒井忠世」と協力して多くの武功を挙げたため、美濃国内に1万石を与えら... -
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美濃長谷川藩/長谷川家1万石:長谷川守知 弟の守勝に分与したため旗本となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 美濃長谷川藩 【説明】 「長谷川宗仁」の子「長谷川守知」は織田信長、豊臣秀吉に仕えた。慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」では西軍に与して石田三成の居城である佐和山城に籠もっていたが、9月15日の関ヶ原の本戦で西軍が壊滅し、東軍の「小... -
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野村藩/戸田家1万3千石:戸田氏良 版籍奉還後に大垣新田藩から野村藩に改名【幕末維新写真館】
【藩名】 野村藩(大垣新田藩) 【説明】 慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」で、織田長孝(織田有楽斎長益の長男)は東軍に与して戦功を挙げたため、大野などに1万石を与えられて野村藩を立藩した。だが、寛永8年(1631年)7月、長孝の子「織田長則」が... -
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曽根藩/西尾家2万石:西尾光教 美濃揖斐藩に加増転封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 曽根藩 【説明】 戦国時代、曽根城は斎藤道三、織田信長に仕えた西美濃三人衆の一人「稲葉良通(一鉄)」が治めていた。しかし良通の孫「稲葉典通」は天正15年(1587年)の九州征伐において不手際があったことから、豊臣秀吉の怒りをかって蟄居さ...
