菰野藩/土方家1万2千石:土方雄志 幕末では新政府軍に恭順し家名を保った菰野藩

【藩名】
菰野藩

【説明】
藩祖は「土方雄久」の長男「土方雄氏」です。雄氏は織田信雄、豊臣秀吉に仕えて伊勢菰野に1万石を領していたが、慶長4年(1599年)に徳川家康暗殺事件に巻き込まれて所領を没収され、常陸国太田に追放となりました。しかし「関ヶ原の戦い」直前にその罪を許され、伊勢・近江国にて1万2000石の所領を与えられて菰野に陣屋を構えました。そして菰野藩が立藩されました。

第2代藩主「土方雄高」は陣屋と城下町を建設し、商工業者を招いて新たに東町・河原町を新設します。また、藩の体制を整備して藩政の基礎を固めました。幕末の菰野藩は特に目立ったことはなく、いち早く新政府に恭順したものと見られます。

明治4年(1871年)、廃藩置県により廃藩の上、菰野県、安濃津県となり、翌年には三重県に編入されました。江戸期から明治維新まで一揆がなかった珍しい藩として知られています。

目次

伊勢菰野の土方家

菰野藩は、伊勢国三重郡(現在の三重県菰野町)に置かれた一万二千石の藩で、藩主は土方家、陣屋を構える小藩でした。鈴鹿山脈のふもと、御在所岳を望む菰野の地を治め、伊勢と近江を結ぶ街道筋に位置していました。

恭順して家名を保つ

幕末の菰野藩は、戊辰戦争にあたって新政府軍に恭順し、家名を保ちました。小藩ゆえに大きな軍事的役割こそ担いませんでしたが、時流を的確に読んで無用な戦火を避けた、堅実な判断がうかがえます。廃藩置県まで、その歩みを穏やかに続けた藩です。

【場所・アクセス・地図】

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