全藩一覧—幕末の藩を地域・名前から探す– category –
江戸時代に置かれた藩を、地方別にまとめています。幕末まで続いた藩だけでなく、江戸時代の初めに取りつぶされたり国替えで消えたりした小さな藩も含め、およそ530の藩を一つずつ取り上げました。各ページでは藩が生まれた経緯、藩主家の移り変わり、幕末から廃藩置県までの動き、いまの城跡・陣屋跡の場所を紹介しています。
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揖斐藩/西尾家3万石:西尾嘉教 無嗣断絶により改易・廃藩
揖斐藩(西尾家3万石、西尾嘉教)。無嗣断絶により改易・廃藩。戦国時代「西尾光教」は斎藤氏、織田氏、豊臣氏に仕えて曽根に二万石を領していました。「関ヶ原の戦い」で西軍の「大谷吉継」の制止を振り切って「徳川家康」に与したため、吉継によって… -
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高須藩(尾張藩支藩)/松平家3万石:松平義勇 幕末に活躍した藩主を多く養子に出した高須藩
高須藩(尾張藩支藩)(松平家3万石、松平義勇)。幕末に活躍した藩主を多く養子に出した高須藩。信濃伊那郡・高井郡・水内郡内に三万石の所領を得ていた尾張藩第2代藩主「徳川光友」の次男「松平義行」は元禄十三年(1700年)三月二十五日、所領… -
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加賀野井藩
加賀野井藩の歩み 「加賀野井藩」という藩は、諸藩の一覧に見あたらません。ここにあったのは加賀野井城であり、その城主だった加賀井重望という武将の話です。美濃国羽栗郡加賀野井、現在の岐阜県羽島市にあたります。 関ヶ原の本戦より前に、東軍の武将... -
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今尾藩(尾張藩附家老)/竹腰家3万石:竹腰正旧 代々尾張藩の附家老にて明治維新と共に独立大名となった今尾藩
今尾藩(尾張藩附家老)(竹腰家3万石、竹腰正旧)。代々尾張藩の附家老にて明治維新と共に独立大名となった今尾藩。今尾城を領していた「市橋長勝」は「関ヶ原の戦い」で東軍に与したことで所領を安堵されました。 -
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尾張黒田藩/一柳家3万石:一柳直盛 伊勢神戸藩へ加増転封のため廃藩
尾張黒田藩(一柳家3万石、一柳直盛)。伊勢神戸藩へ加増転封のため廃藩。戦国時代の尾張は織田信長の領国であったが、信長が尾張を完全に制圧する前には「織田伊勢守家」に仕えていた「山内盛豊」が治めていました。ちなみに盛豊の次男が「山内一豊」です。 -
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緒川藩/水野家9千820石:水野分長 徳川家康の従兄弟でもあり重宝された水野氏 三河新城藩へ移封のため廃藩
緒川藩(水野家9千820石、水野分長)。徳川家康の従兄弟でもあり重宝された水野氏 三河新城藩へ移封のため廃藩。緒川の地は、戦国時代初期から中期にかけての水野氏の本拠地でした。 -
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三河水野藩/水野家1万石:水野忠胤 与力武将の刃傷沙汰と職務不手際の罪で切腹となり廃藩
三河水野藩(水野家1万石、水野忠胤)。与力武将の刃傷沙汰と職務不手際の罪で切腹となり廃藩。「水野勝成」の弟「水野忠胤」は「関ヶ原の戦い」において戦功を挙げ、なおかつ「徳川家康」の従弟に当たるということから、戦後に三河国内に一万石を与え… -
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大浜藩/水野家1万4千石:水野忠友 駿河沼津藩へ移封のため廃藩
大浜藩(水野家1万4千石、水野忠友)。駿河沼津藩へ移封のため廃藩。明和五年(1768年)、信濃国佐久郡に九千石を領していた「水野忠友」が若年寄、そして奥勤兼側衆となって五千石を新たに加増されたため、一万四千石の大名として大浜藩を立藩し… -
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形原藩/松平家1万石:松平家信 摂津高槻藩へ加増転封となり廃藩
形原藩(松平家1万石、松平家信)。摂津高槻藩へ加増転封となり廃藩。「松平家信」は徳川家康に仕えて度々功を挙げたことから、三河形原に五千石を与えられました。元和四年(1618年)九月に安房国内において五千石を加増されて一万石の大名となり… -
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深溝藩/板倉家1万5千石:板倉重昌 島原の乱にて戦死 嫡子重矩が藩庁を三河中島藩へ移転したため廃藩
深溝藩(板倉家1万5千石、板倉重昌)。島原の乱にて戦死 嫡子重矩が藩庁を三河中島藩へ移転したため廃藩。慶長十九年(1614年)七月、山城国において千石を領していた「板倉重昌」は深溝にて千二百三十石を加増されました。 -
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三河中島藩/板倉家5万石:板倉重矩 幕府要職を歴任し下野烏山藩へ移封のため廃藩
三河中島藩(板倉家5万石、板倉重矩)。幕府要職を歴任し下野烏山藩へ移封のため廃藩。「板倉重矩」は家督相続のとき藩庁を深溝から中島に移し三河中島藩一万石が立藩しました。 -
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奥殿藩/松平家1万6千石:松平乗謨 信濃国佐久郡田野口へ移転し龍岡五稜郭建造のため廃藩
奥殿藩(松平家1万6千石、松平乗謨)。信濃国佐久郡田野口へ移転し龍岡五稜郭建造のため廃藩。第7代藩主となった奥殿藩主「松平乗利」は有能な名君で、文武を奨励して演武場、藩校・明徳館などを創設しています。 -
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伊保藩/本多家1万5千石:本多忠晴 遠江相良藩へ移封のため廃藩
伊保藩(本多家1万5千石、本多忠晴)。遠江相良藩へ移封のため廃藩。慶長五年(1600年)の「関ヶ原の戦い」で東軍に与した岩崎城七千石の領主である「丹羽氏次」は、戦後に恩賞として三千石を加増されたことから一万石の大名として伊保藩を立藩し… -
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足助藩/本多家7千石:本多忠陳 1万石大名となるが勤務怠慢のため減封となり廃藩
足助藩(本多家7千石、本多忠陳)。1万石大名となるが勤務怠慢のため減封となり廃藩。徳川四天王で有名な「本多忠勝」の孫「本多忠義」の五男である「本多忠周」は加茂郡足助村に陣屋を置き七千石の交代寄合となりました。 -
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畑村藩(大垣新田藩)/戸田家1万石:戸田氏良 戊辰戦争では北越戦争にも従軍した大垣新田藩
畑村藩(大垣新田藩)(戸田家1万石、戸田氏良)。戊辰戦争では北越戦争にも従軍した大垣新田藩。元禄元年(1688年)七月、「戸田氏利」の後を継いだ「戸田氏成」のときに兄の戸田氏定から美濃国内の新田三千石を分与され、さらに養父の氏利の所領… -
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新城藩/菅沼家7千石:菅沼定長 大坂定番や海軍奉行を歴任した幕末の新城藩主 菅沼定長
新城藩(菅沼家7千石、菅沼定長)。大坂定番や海軍奉行を歴任した幕末の新城藩主 菅沼定長。菅沼の初代領主「菅沼定実」の時代に、川舟の中継地点として栄える基盤が整えられました。 -
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作手藩/松平家1万7千石:松平忠明 伊勢亀山藩へ移封のため廃藩
作手藩(松平家1万7千石、松平忠明)。伊勢亀山藩へ移封のため廃藩。「奥平信昌」と「徳川家康」の長女「亀姫」との間に生まれた四男の「松平忠明」は、外祖父家康の養子となって松平姓を名乗ること、兄である「松平家治」の遺領、上野国長根に七千石… -
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半原藩/安部家2万250石:安部信発 武蔵岡部陣屋から半原陣屋へと藩庁を移した幕末の藩主 安部信発
半原藩(安部家2万250石、安部信発)。武蔵岡部陣屋から半原陣屋へと藩庁を移した幕末の藩主 安部信発。半原藩は岡部藩が慶応四年(1868年)四月に藩庁所在地を三河国八名郡半原村(現在の愛知県新城市富岡)に移転したことによって成立した藩です。 -
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吉田藩(豊橋藩)/松平家7万石:松平信古 尾張藩の斡旋にて新政府軍に恭順し伊予吉田藩と同名のため豊橋藩へ改名
吉田藩(豊橋藩)(松平家7万石、松平信古)。尾張藩の斡旋にて新政府軍に恭順し伊予吉田藩と同名のため豊橋藩へ改名。寛延二年(1749年)、「松平信復(信祝の子)」が七万石で入封し藩主家が定着します。 -
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西端藩/本多家1万500石:本多忠鵬 いち早く新政府軍に与して陣屋を官軍へ提供した西端藩
西端藩(本多家1万500石、本多忠鵬)。いち早く新政府軍に与して陣屋を官軍へ提供した西端藩。元治元年(1864年)、第10代領主「本多忠寛」が江戸警備の功績などにより一万五百石への高直しを許され、ここに本多氏は大名となり西端藩を立藩し… -
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西大平藩/大岡家1万石:大岡忠敬 鳥羽伏見の戦いで旧幕府軍が敗れると新政府軍に恭順した西大平藩
西大平藩(大岡家1万石、大岡忠敬)。鳥羽伏見の戦いで旧幕府軍が敗れると新政府軍に恭順した西大平藩。将軍「徳川吉宗」の信任を受け江戸南町奉行として「享保の改革」を実行した「大岡忠相」が寛延元年(1748年)、奏者番に就任し、それまでの功…
