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金山藩/松平家2万5千石:松平忠頼 遠州浜松藩へ移封のため廃藩
【藩名】 金山藩 【説明】 天正10年(1582年)3月の「甲州討伐」で武功を挙げたため、「鬼武蔵」と称された「森長可」は金山と北信濃4郡、あわせて20万9700石を与えられました。同年6月、信長が「本能寺の変」にて明智光秀により討たれると上杉氏や武田氏... -
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岩滝藩/本庄家1万石:本庄道章 石畑へ藩庁を移したため廃藩
【藩名】 岩滝藩 【説明】 「本庄道章」の祖父「本庄道芳」は時の将軍「徳川綱吉」の母「桂昌院」の異母兄であったため、道章は宝永2年(1705年)3月に1万石の大名として取り立てられました。そして諸侯に列して岩滝藩を立藩しました。はじめは美濃各務郡... -
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上有知藩/金森家2万石:金森長光 長近が分与して立藩されたが6歳にして夭折したため廃藩
【藩名】 上有知藩 【説明】 「豊臣秀吉」は「佐藤秀方」に上有知城2万5,000石を与えて統治させました。その子の「佐藤方政」は慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」で西軍に加担して岐阜城の戦いにおいて戦線離脱したため改易されました。 一方、方政の叔... -
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関藩/大島家1万8千石:大島光義 家督を継いだ光成が兄弟へ分与したため大名から旗本となり廃藩
【藩名】 関藩 【説明】 関藩の藩祖は「大島光義」です。光義は織田信長・豊臣秀吉に仕え、慶長3年(1598年)に1万1200石を与えられて大名となりました。 慶長5年(1600年)に勃発した「関ヶ原の戦い」では、西軍参謀「石田三成」に妻子を人質に取られたが... -
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高富藩/本庄家1万石:本庄道美 幕末時には藩財政が破綻し新政府軍にいち早く恭順した高富藩
【藩名】 高富藩 【説明】 第10代藩主「本庄道美」が当主の時に藩財政は完全に破綻し、慶応4年(1868年)には藩内で打ちこわし、百姓一揆が起こりました。この頃、高富藩は20万7400両もの借財を抱えていました。藩内の庄屋をはじめとする豪農にも多額の借... -
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十七条藩/稲葉家1万石:稲葉正成 下野真岡藩へ加増転封のため廃藩
【藩名】 十七条藩 【説明】 「小早川秀秋」の家老「稲葉正成」は「関ヶ原の戦い」で「平岡頼勝」とともに秀秋の東軍裏切り工作を行なった人物として有名であるが、秀秋没後に浪人します。やがて「徳川家康」に召し出され、慶長12年(1607年)、美濃国内に... -
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多良藩/関家3万石:関一政 関ヶ原の恩賞として旧領伊勢亀山藩へ移封のため廃藩
【藩名】 多良藩 【説明】 織田信長・豊臣秀吉に仕えた「関盛信」には「関一政」という息子がいました。一政は天正10年(1582年)から天正16年(1588年)まで多良を支配していたが、やがて「蒲生氏郷」の与力大名として会津に移されたため、多良は大垣城主... -
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青野藩/稲葉家1万2千石:稲葉正休 江戸城内で大老堀田正俊を刺殺したため改易の上で廃藩
【藩名】 青野藩 【説明】 元和4年(1618年)、「稲葉正成」の子「稲葉正次」が幕府に仕えて5000石を与えられました。寛永5年(1628年)5月に正次は死去し、嗣子の稲葉正能は幼少のため、弟の「稲葉正吉」が後を継ぎました。明暦2年(1656年)12月に正吉の... -
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福束藩
【藩名】 福束藩 【説明】 「福束藩」という藩名も、諸藩の一覧には見あたらません。福束城と、その城主だった丸毛兼利の話です。美濃国安八郡福束、現在の岐阜県安八郡輪之内町にあたります。 関ヶ原の半月前に、一夜で落ちた城 丸毛氏は応永三十五年(14... -
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大垣新田藩(大垣藩支藩)/戸田家1万石:戸田氏良 戊辰戦争では新政府軍に恭順し北越戦争に従軍した別名野村藩
【藩名】 大垣新田藩(大垣藩支藩) 【説明】 明暦元年(1655年)、戸田氏鉄の次男「戸田氏経」は兄の「戸田氏信」から美濃国大野郡内の新田4,000石を加増されて6,200石の知行を得ました。その後、「戸田氏利」が後を継ぎ、元禄元年(1688年)7月、さらに... -
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黒野藩/加藤家4万石:加藤貞泰 関ヶ原の戦いでは途中から東軍へ加担し家名を保ち最後は米子藩へ移封のため廃藩
【藩名】 黒野藩 【説明】 「豊臣秀吉」の家臣であった「加藤貞泰(加藤光泰の子)」は、文禄4年(1595年)に美濃黒野に4万石を与えられました。「関ヶ原の戦い」で貞泰は最初、西軍に与していたが途中から東軍に寝返り、本戦では「井伊直政」軍に属して活... -
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揖斐藩/西尾家3万石:西尾嘉教 無嗣断絶により改易・廃藩
【藩名】 揖斐藩 【説明】 戦国時代「西尾光教」は斎藤氏、織田氏、豊臣氏に仕えて曽根に2万石を領していました。「関ヶ原の戦い」で西軍の「大谷吉継」の制止を振り切って「徳川家康」に与したため、吉継によって曽根城は焼き払われました。その後、光教... -
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高須藩(尾張藩支藩)/松平家3万石:松平義勇 幕末に活躍した藩主を多く養子に出した高須藩
【藩名】 高須藩(尾張藩支藩) 【説明】 信濃伊那郡・高井郡・水内郡内に3万石の所領を得ていた尾張藩第2代藩主「徳川光友」の次男「松平義行」は元禄13年(1700年)3月25日、所領の半分である1万5000石を高井郡・水内郡の領地と美濃国石津郡・海西郡内の... -
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加賀野井藩
【藩名】 加賀野井藩 【説明】 「加賀野井藩」という藩は、諸藩の一覧に見あたらません。ここにあったのは加賀野井城であり、その城主だった加賀井重望という武将の話です。美濃国葉栗郡加賀野井、現在の岐阜県羽島市にあたります。 関ヶ原の本戦より前に... -
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今尾藩(尾張藩附家老)/竹腰家3万石:竹腰正旧 代々尾張藩の附家老にて明治維新と共に独立大名となった今尾藩
【藩名】 今尾藩(尾張藩附家老) 【説明】 今尾城を領していた「市橋長勝」は「関ヶ原の戦い」で東軍に与したことで所領を安堵されました。慶長15年(1610年)、「中村一忠」の改易により長勝は伯耆矢橋藩へ転封となったため、元和5年(1619年)に「竹腰... -
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尾張黒田藩/一柳家3万石:一柳直盛 伊勢神戸藩へ加増転封のため廃藩
【藩名】 尾張黒田藩 【説明】 戦国時代の尾張は織田信長の領国であったが、信長が尾張を完全に制圧する前には「織田伊勢守家」に仕えていた「山内盛豊」が治めていました。ちなみに盛豊の次男が「山内一豊」です。盛豊が戦死した後、黒田の地は織田氏の一... -
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緒川藩/水野家9千820石:水野分長 徳川家康の従兄弟でもあり重宝された水野氏 三河新城藩へ移封のため廃藩
【藩名】 緒川藩 【説明】 緒川の地は、戦国時代初期から中期にかけての水野氏の本拠地でした。第4代当主「水野忠政」の次男「水野信元」、三男「水野忠守」、九男「水野忠重」が領主を歴任しながら、徳川家康の旗下として各地で奮戦しました。慶長5年(16... -
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三河水野藩/水野家1万石:水野忠胤 与力武将の刃傷沙汰と職務不手際の罪で切腹となり廃藩
【藩名】 三河水野藩 【説明】 「水野勝成」の弟「水野忠胤」は「関ヶ原の戦い」において戦功を挙げ、なおかつ「徳川家康」の従弟に当たるということから、戦後に三河国内に1万石を与えられ、大名となりました。 しかし、慶長14年(1609年)9月、遠州浜松... -
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大浜藩/水野家1万4千石:水野忠友 駿河沼津藩へ移封のため廃藩
【藩名】 大浜藩 【説明】 明和5年(1768年)、信濃国佐久郡に9000石を領していた「水野忠友」が若年寄、そして奥勤兼側衆となって5000石を新たに加増されたため、1万4000石の大名として大浜藩を立藩しました。 安永3年(1774年)7月、忠友は「田沼意次」... -
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形原藩/松平家1万石:松平家信 摂津高槻藩へ加増転封となり廃藩
【藩名】 形原藩 【説明】 「松平家信」は徳川家康に仕えて度々功を挙げたことから、三河形原に5000石を与えられました。元和4年(1618年)9月に安房国内において5000石を加増されて1万石の大名となり、形原藩を立藩しました。しかし藩政においては家信は... -
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深溝藩/板倉家1万5千石:板倉重昌 島原の乱にて戦死 嫡子重矩が藩庁を三河中島藩へ移転したため廃藩
【藩名】 深溝藩 【説明】 慶長19年(1614年)7月、山城国において1,000石を領していた「板倉重昌」は深溝にて1,230石を加増されました。その後も家康の側近として活躍し、家康死去の時点では5,230石を領する大身の旗本となっていました。 寛永元年(1624...
