【現地取材】新島「主計の扇子」 ― 新選組最後の局長・相馬主計、流刑の島に生きる

東京から南へ、太平洋に浮かぶ新島。サーフィンと温泉で知られるこの島の一角に、扇を大きく開いた形の、変わった石碑が立っている。扇の上には「誠」の一字。新選組の旗印である。「主計の扇子(かずえのせんす)」——これは、新選組”最後の局長”となった男、相馬主計が、流刑の身でこの島に生きた証をとどめる碑である。江戸から遠く離れた海の孤島にまで、幕末の激動は確かに及んでいた。

目次

相馬主計とは ― 新選組”最後の局長”

相馬主計は、常陸国(茨城県)笠間の出とされる武士である。新選組に加わったのは慶応三年(一八六七)六月ごろと、比較的おそい時期だった。しかしその実直な人柄と才覚で頭角を現し、やがて新選組の最後を看取る役目を担うことになる。近藤勇、土方歳三という二人の指導者を失ったのち、この集団に静かに幕を引いたのが、相馬主計だったのである。

京都から鳥羽伏見、そして甲州勝沼へ

入隊まもない慶応三年十二月、相馬は京都・大坂での天満屋事件に加わり、新選組の一員としての戦いを始めた。翌慶応四年(一八六八)一月の鳥羽伏見の戦いにも参戦し、敗れて江戸へ退く。再起を図る新選組が甲陽鎮撫隊と名を変えて甲州へ向かうと、相馬は局長付組頭として隊士を指揮する立場に立ち、三月の甲州勝沼の戦いに臨んだ。しかし近代装備の新政府軍の前に、隊はもろくも敗れ去った。

流山の別れ ― 近藤勇とともに捕らわれる

そして運命の地、下総・流山が訪れる。ここで局長・近藤勇が新政府軍に捕らえられそうになり、隊を守るために自ら出頭した。このとき相馬も近藤と行動を共にし、板橋で近藤の助命を求めて動いたが、近藤の仲間として捕らえられてしまう。処刑は免れなかったはずだが、近藤自身の嘆願によって相馬は命を救われ、笠間藩へお預けの身となった。近藤はまもなく板橋で斬首される。師との、これが今生の別れであった。

北へ ― 会津・宮古湾をめぐって

お預けの身となった相馬が、その後どのように戦列へ戻ったのか、実ははっきりしない部分が多い。伝えられるところでは、彼はやがて旧幕府の陸軍隊に身を投じ、各地を転戦しながら北へと向かったという。会津方面での戦いに関わった可能性も指摘されるが、確かな記録は乏しい。また、蝦夷地(北海道)へ渡ったのち、明治二年の宮古湾海戦——敵艦へ乗り移って奪う「アボルダージュ(登舷突撃)」で名高いあの海戦——に、同志の野村利三郎とともに参加したとする説もある。この説では野村は戦死し、相馬は傷を負ったと伝わる。ただし、これも異説があり、断定はできない。いずれにせよ相馬は、敗走を重ねながらも戦いをやめず、ついに最後の拠点・箱館へたどり着いた。

箱館・五稜郭 ― 新選組に幕を引く

箱館では、相馬は軍監として土方歳三の指揮下に入り、市中の取り締まりにあたった。だが明治二年(一八六九)五月十一日、土方は箱館の戦いで壮絶な戦死を遂げる。近藤に続き、土方までも失った新選組。その最後の局長に指名されたのが、相馬主計だった。五月十五日、彼は箱館奉行・永井玄蕃のもとで新選組局長に就任し、そして恭順の書状に署名する。京都で産声をあげ、幕末を駆け抜けた新選組は、この相馬の署名をもって、静かにその歴史を閉じたのである。

新島への流罪 ― 刀の代わりに扇子を差して

五稜郭の降伏ののち、相馬を待っていたのは流罪だった。明治三年(一八七〇)十一月、彼は伊豆・新島へ「終身」の流罪となる。理由には、坂本龍馬を暗殺したのは新選組だと疑われたことや、同志・伊東甲子太郎の暗殺への関与を疑われたことがあったという。案内板によれば、島での相馬は刀の代わりにいつも扇子を腰に差し、姿勢を崩すことなく毅然としていた。寺子屋を開いて島民に読み書きを教え、大工仕事もこなし、島の人々から厚い信望を集めたと伝わる。世話になった大工棟梁・植村甚兵衛の娘マツを妻に迎えたのも、この島でのことだった。

「主計の扇子」の案内板。流罪となった相馬主計の、島での毅然とした姿と数奇な後半生が記されている
「主計の扇子」の案内板。流罪となった相馬主計の、島での毅然とした姿と数奇な後半生が記されている

「楽な道は選ばない」 ― 主計の最期

明治五年(一八七二)十月、相馬は赦免となり、妻マツを伴って新島を去った。東京へ戻った彼は、その後、明治政府から県知事に推挙されるほどに認められる。案内板は、鳥取県知事に推された相馬が、困窮する元新選組隊士たちの姿を目にして「楽な道は選ばない」と辞退した、と伝える。そしてその直後、彼は自ら命を絶った。時代に敗れた仲間たちを見捨てて、自分だけが栄達の道を歩むことを、彼はよしとしなかったのだろう。新選組”最後の局長”は、最後まで新選組の男として生き、そして死んだのである。

誠の扇子の碑を訪ねて

新島へは、東京の竹芝から高速ジェット船に揺られてたどり着く。青い海に囲まれたのどかなリゾートの島に、まさか新選組最後の局長の史跡があろうとは、訪れるまで想像もしなかった。刀を捨て、扇子を差し、島の子どもたちに文字を教えた男。その毅然とした後ろ姿を、扇の碑はいまも静かに伝えている。華々しい京都の新選組の物語の、はるか後日談として、この海の孤島に刻まれた一人の生涯。幕末という時代の余韻の深さを、潮風のなかでしみじみと感じた。

あわせて読みたい:新選組とは壬生・八木邸(新選組屯所)坂本龍馬・中岡慎太郎 遭難の地(主計の流罪の一因となった疑い)/会津藩

「主計の扇子」の碑へのアクセス・地図

東京・竹芝桟橋から高速ジェット船または大型客船で新島へ。碑は新島本村の集落内にあります。島内は自転車やバスでめぐれます。

あわせて読みたい

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次