全藩一覧—幕末の藩を地域・名前から探す– category –
江戸時代に置かれた藩を、地方別にまとめています。幕末まで続いた藩だけでなく、江戸時代の初めに取りつぶされたり国替えで消えたりした小さな藩も含め、およそ530の藩を一つずつ取り上げました。各ページでは藩が生まれた経緯、藩主家の移り変わり、幕末から廃藩置県までの動き、いまの城跡・陣屋跡の場所を紹介しています。
-
全藩
長峰藩/牧野家5万石:牧野忠成 長岡藩へ加増転封のため廃藩
長峰藩(牧野家5万石、牧野忠成)。長岡藩へ加増転封のため廃藩。越後を治めていた「松平忠輝」が改易された後を受けて「牧野忠成」が元和二年(1616年)七月、長峰藩へ五万石で入封しました。 -
全藩
藤井藩/稲垣家2万石:稲垣重綱 越後三条藩へ加増転封のため廃藩
藤井藩(稲垣家2万石、稲垣重綱)。越後三条藩へ加増転封のため廃藩。元和二年(1616年)、「稲垣重綱」が「大坂の陣」で挙げた戦功により、上野国「伊勢崎藩」一万石から藤井藩二万石に加増移封されました。 -
全藩
沢海藩(新発田藩支藩)/溝口家1万石:溝口政親 素行の悪さから改易・廃藩
沢海藩(新発田藩支藩)(溝口家1万石、溝口政親)。素行の悪さから改易・廃藩。沢海藩の藩祖は新発田藩藩祖「溝口秀勝」の次男「溝口善勝」です。善勝は秀勝に早くから五千石を与えられ、慶長十四年(1609年)には幕府から上野国内に二千石を与え… -
全藩
三条藩/稲垣家2万3千石:稲垣重綱 三河国刈谷藩へ移封のため廃藩
三条藩(稲垣家2万3千石、稲垣重綱)。三河国刈谷藩へ移封のため廃藩。慶長三年(1598年)、「堀秀治」が越後に入部したとき、三条にはその重臣「堀直政」が入城しました。 -
全藩
坂戸藩/堀家5万石:堀直寄 信濃国飯山藩4万石に減移封され廃藩
坂戸藩(堀家5万石、堀直寄)。信濃国飯山藩4万石に減移封され廃藩。慶長三年(1598年)、「堀秀治」が「上杉景勝」に代わって越後に入部したとき、堀直寄(堀直政の子)が坂戸城へ二万石にて入封しました。 -
全藩
糸魚川藩/松平家1万石:松平直静 越前福井藩の支藩
糸魚川藩(松平家1万石、松平直静)。越前福井藩の支藩。第7代藩「松平直廉」は「安政の大獄」で家督を追われた「松平慶永」に代わって越前松平家(宗家)を継ぐこととなります。 -
全藩
高柳藩/丹羽家1万石:丹羽薫氏 播磨三草藩へ移封のため廃藩
高柳藩(丹羽家1万石、丹羽薫氏)。播磨三草藩へ移封のため廃藩。高柳藩は、江戸時代中期に越後国頸城郡高柳に存在した藩です。美濃国岩村藩5代藩主「丹羽氏音」は、幕府よりお家騒動を咎められ、二万石から一万石に知行半減の上で元禄十五年(170… -
全藩
越後高田藩/榊原家15万石:榊原政敬 新政府軍に恭順するも一部の藩士は神木隊を結成し脱藩
越後高田藩(榊原家15万石、榊原政敬)。新政府軍に恭順するも一部の藩士は神木隊を結成し脱藩。越後高田藩は榊原氏6代の支配を経て明治維新を迎えます。戊辰戦争では当初、態度を曖昧にしていたが、官軍が迫ると隣接の天領にいた幕府側の歩兵隊(衝… -
全藩
椎谷藩/堀家1万石:堀之美 戊辰戦争では北越戦争の激戦の地となった椎谷藩
椎谷藩(堀家1万石、堀之美)。戊辰戦争では北越戦争の激戦の地となった椎谷藩。明治元年(1868年)の「戊辰戦争」において、椎谷藩領内は「北越戦争」における激戦の舞台となり、甚大な被害を受けました。 -
全藩
蔵王堂藩/堀家8万石:堀直寄 長岡藩へ移封のため廃藩
蔵王堂藩(堀家8万石、堀直寄)。長岡藩へ移封のため廃藩。慶長三年(1598年)に「上杉景勝」が会津に移封すると、かわって越後に入封した「堀秀治」の弟「堀親良」が四万石を与えられて「蔵王堂城主」となりました。 -
全藩
三根山藩(長岡藩支藩)/牧野家1万1千石:牧野忠泰 宗家長岡藩の落城により恭順
三根山藩(長岡藩支藩)(牧野家1万1千石、牧野忠泰)。宗家長岡藩の落城により恭順。幕末の文久三年(1863年)、三根山藩主「牧野忠泰」は開墾した新田分五千石を新たに打ち出し、高直しにより一万一千石となり「三根山藩」を立藩しました。 -
全藩
長岡藩/牧野家7万4千石:牧野忠訓 河井継之助が新政府軍に徹底抗戦した長岡藩
長岡藩(牧野家7万4千石、牧野忠訓)。河井継之助が新政府軍に徹底抗戦した長岡藩。幕末時に長岡藩筆頭家老に就任した「河井継之助」は最期まで中立の立場で武装講和を望んできました。 -
全藩
与板藩/井伊家2万石:井伊直安 井伊宗家の新政府恭順に伴い与板藩も恭順
与板藩(井伊家2万石、井伊直安)。井伊宗家の新政府恭順に伴い与板藩も恭順。慶応四年(1868年)、鳥羽・伏見の戦いで始まった戊辰戦争は、それまで政治の表舞台とは縁の薄かった二万石の小藩・与板藩も巻き込んでいきます。 -
全藩
村松藩/堀家3万石:堀直弘 藩主直賀は同盟に従い米沢へ逃れ、勤王派が直弘を立てて降伏した村松藩
村松藩(堀家3万石、堀直弘)。尊王派の藩士七人が処刑された村松七士事件で藩論が割れ、戊辰戦争では藩主直賀が米沢へ逃れる一方、勤王派の近藤安五郎らが新政府に降伏。幼い直弘が家督を継いで所領を守りました。 -
全藩
新発田藩/溝口家10万石:溝口直正 北越戦争では同盟軍を裏切り新政府軍へ身を投じた新発田藩
新発田藩(溝口家10万石、溝口直正)。北越戦争では同盟軍を裏切り新政府軍へ身を投じた新発田藩。「戊辰戦争」が勃発すると新発田藩では新政府軍よりの立場をとろうとするも、近隣諸藩が「奥羽越列藩同盟」に加盟したため、やむなくこれに加盟します。 -
全藩
三日市藩(郡山藩支藩)/柳沢家1万石:柳沢徳忠 新発田藩と共に新政府軍へ協力した三日市藩
三日市藩(郡山藩支藩)(柳沢家1万石、柳沢徳忠)。新発田藩と共に新政府軍へ協力した三日市藩。幕末期、三日市藩は外国船の到来に備えて「軍備増強」に多額の経費を投入した上、幕府から新潟港や青山海岸、江戸飛鳥山近辺の警備を命じられました。 -
全藩
黒川藩(郡山藩支藩)/柳沢家1万石:柳沢光邦 会津藩の誘いを受け奥羽越列藩同盟に加わるも消極的だったため家名を存続した黒川藩
黒川藩(郡山藩支藩)(柳沢家1万石、柳沢光邦)。会津藩の誘いを受け奥羽越列藩同盟に加わるも消極的だったため家名を存続した黒川藩。第7代藩主「柳沢光昭」は黒川陣屋内に藩校「弘道館」を設け、藩士の子弟教育に務めました。 -
全藩
村上藩/内藤家5万石:内藤信美 庄内藩と共に新政府軍に抗戦するも降伏
村上藩(内藤家5万石、内藤信美)。庄内藩と共に新政府軍に抗戦するも降伏。内藤氏は「徳川家康」の異母弟「内藤信成」の家系です。村上藩7代藩主「信思」の養嗣子で第8代藩主となった「内藤信民」は、幕末の混乱期に藩内における佐幕派・尊皇派の対… -
全藩
甲府新田藩/柳沢家2万石:柳沢時睦 本藩の大和郡山藩移封に伴い越後三日市藩を立藩し廃藩
甲府新田藩(柳沢家2万石、柳沢時睦)。本藩の大和郡山藩移封に伴い越後三日市藩を立藩し廃藩。「柳沢吉里」は家督相続の際に弟の「柳沢経隆」と「柳沢時睦」に山梨・八代両郡の内の新田高からそれぞれ一万石を分与し、ここに「甲府新田藩」が立藩しました。 -
全藩
徳美藩/伊丹家1万2千石:伊丹勝守 藩主自刃のため領地没収の上改易・廃藩
徳美藩(伊丹家1万2千石、伊丹勝守)。藩主自刃のため領地没収の上改易・廃藩。寛永十年(1633年)二月、武田遺臣でもある幕臣「伊丹康勝」は下総国相馬郡の内にあった九千石の所領から甲斐山梨郡三千石を加増されて一万二千石を領する大名となり… -
全藩
谷村藩/秋元家1万8千石:秋元喬知 川越藩へ移封のため廃藩
谷村藩(秋元家1万8千石、秋元喬知)。川越藩へ移封のため廃藩。秋元氏が城主の時代には藩政機構が整備されていたが、宝永元年(1704年)12月に「秋元喬知」が武蔵国「川越藩」に移封され、川越藩主であった「柳沢吉保」が甲府城主となり「谷村…
