横笛丸【土佐藩 木製輸送帆船 幕末軍艦】

横笛丸
藩名 土佐藩
藩主 山内容堂
船種 木製スクーナー
機関 帆走
備砲 0門
材質 木製
馬力 0馬力
写真

■ 詳細
慶応3年に土佐藩が17,000ドルで購入した265トンの木製スクーナー帆船です。
同年のイカルス号事件翌日、横笛丸と砲艦「若紫」が相次いで長崎港を出港したため、英国公使パークスはこれを怪しみ、厳重に調べるよう長崎奉行に依頼しました。

海援隊士への嫌疑ははれ、のちに北越戊辰戦争(戊辰戦争)に向かう官軍の「東北遊撃軍」を輸送するために使用され、長崎に残っていた海援隊士も横笛丸に乗って東北遊撃軍に参加しています。

目次

所属した土佐藩と、板垣退助

この軍艦・横笛丸を運用したのは、土佐藩(山内家)です。土佐が生んだ武人・政治家に、板垣退助がいます。

板垣は戊辰戦争で土佐の迅衝隊を率い、甲州から会津へと転戦して武名を上げました。維新後は、藩閥政治に対抗して自由民権運動を起こし、「板垣死すとも自由は死せず」の言葉とともに、国会開設を求める国民運動の先頭に立ちます。横笛丸は、その板垣を生んだ土佐の一隻です。

幕末軍艦一覧リスト

イカルス号事件の夜、長崎を出た船です

慶応三年七月六日の夜、長崎の丸山でイギリス軍艦イカルス号の水兵二人が斬られました。その直後に長崎を出た土佐藩の船が二隻あり、一隻がこの横笛丸、もう一隻が若紫丸、つまり南海丸です。犯人を逃がしたのではないかと疑われ、海援隊に嫌疑がかかりました。ただし記録によれば、横笛の乗組員は事件の夜、花月楼という料亭で飲んでいたともいいます。嫌疑が取り下げられたのは千八百六十七年十月四日、証拠がないという理由でした。真犯人は筑前藩士の金子才吉で、それが分かったのは翌年の秋です。

名は、源氏物語の第三十七帖から

横笛は『源氏物語』の第三十七帖です。土佐藩の船は若紫丸夕顔丸空蝉丸箒木丸胡蝶丸、乙女、紅葉賀と、源氏の巻名で揃えられていました。ただし土佐藩の船を並べた資料の一覧に横笛の名は入っておらず、一覧のほうに漏れがあるようです。

船種の記述が食い違っています

当ページはこの船を木製の輸送帆船としていますが、イカルス号事件を扱った研究や英語の資料は、横笛と若紫をどちらも汽船と書いています。どちらが正しいかを決められる資料は見つかりませんでした。買った経緯も値段も、そのあとも分かっていません。

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