| 空蝉丸 | |||
| 藩名 | 土佐藩 | ||
| 藩主 | 山内容堂 | ||
| 船種 | 輸送船 | ||
| 機関 | 不明 | ||
| 備砲 | 0門 | ||
| 材質 | 不明 | ||
| 馬力 | 150馬力 | ||
| 写真 | 無 | ||

建造場所ははっきりせず、国産とも伝わります。
後に明治政府に献上したが、機械の破損が激しく修理を加えなければ遠洋に耐えられないと診断されました。
所属した土佐藩と、天誅組の吉村虎太郎
この軍艦・空蝉丸を運用したのも、土佐藩(山内家)です。土佐からは、時代に先駆けて挙兵した志士も出ています。
吉村虎太郎です。土佐を脱藩した吉村は、文久三年(1863)、公家の中山忠光を擁して大和で挙兵する「天誅組の変」を起こしました。しかし情勢が急変して孤立し、幕府方に攻められて戦死します。時期尚早の悲劇に終わりましたが、討幕の先駆けとして語り継がれる行動でした。空蝉丸は、その土佐の一隻です。
源氏物語の第三帖から取った名です
空蝉は『源氏物語』の第三帖の名です。土佐藩の洋式船が若紫丸、夕顔丸、空蝉丸、箒木丸、胡蝶丸、乙女、紅葉賀と源氏の巻名で揃っていたことが、この船の名の由来をそのまま説明します。
慶応三年の秋に、故障しています
慶応三年九月、空蝉丸は故障しました。兵庫で応急の修理をしたあと長崎へ回して本格的に直しましたが、船体も機械も古く、商いに使うには向かないと判断されています。伝わる記述では明治政府へ献上したあとに遠洋へ耐えられないと診断された、としていますが、慶応三年の時点ですでに同じ見立てが下っていたことになります。
直していた人が、石川島造船所を興しました
長崎でこの船の機関を見ていたのは、平野富次郎という人です。慶応三年三月から十二月まで、月に二十五両で土佐藩の若紫丸、夕顔丸、そして空蝉丸に機関方として乗り組んでいました。のちに平野富二と名を改め、石川島造船所を興した人物です。いまに続く造船会社の始まりにいた人が、二十代のころ、土佐藩の壊れかけた船の機関をのぞき込んでいたことになります。
国産かどうかは分かりません
当ページは国産とも伝わると書いていますが、土佐藩が洋式の蒸気船を自前で造った記録は見あたりませんでした。確かめられるのは幕末より前、岡孫八が造った洋式帆船の曜霊船、積載三百七十石の三本マストの船だけです。土佐藩の洋式船はグラバー商会やオルト商会から買ったものが中心でした。明治政府へ献上された日付も、診断したのが誰だったのかも分かりません。
機関手の手当が、記録に残っています
この船を直していた平野富次郎、のちの平野富二については、本人の自筆の記録が残っています。そこにはこうあります。慶応三年三月から十二月まで、月手当二十五両に七人扶持で、「汽船夕顔、若紫、空蝉号等の一等機関手を相勤る」。
月二十五両というのは、当時の職としてかなりの待遇です。しかも三隻を掛け持ちしています。蒸気機関を扱える人が、それだけ少なかったということでもあります。この人がのちに石川島造船所を興して日本の造船業の土台を作るのですが、その出発点が土佐藩の汽船の機関室だったことになります。
空蝉丸が慶応三年九月に故障し、兵庫で仮の修理をして長崎で本修理にかかったのも、この期間のうちです。そして船体も機械も老朽していて商用の船としては使えないと判断されました。買ってから数年の船に、そういう判定が下ります。
要目について伝わること
一方で、百四十六トン・百五十馬力・1863年建造・慶応二年購入とする記述もあります。もっとも出どころは出典の記載がない資料で、原名と購入価格は空欄のままです。
百五十馬力という数字は、そのまま今の馬力として読めません。当時の船の馬力は公称馬力といって、シリンダーの寸法から決まる目安の値です。計算は、シリンダー直径をインチで二乗し、ストロークをフィートで測った立方根を掛けて四十七で割る、というもので、燃焼も回転数も入りません。十九世紀の技術書は「機関が実際に出す出力を公称馬力から導くことはできない」と明言し、別の技術年鑑は公称馬力が指示馬力のおよそ六分の一だとしています。つまり実際の出力は、公称の数字より大きいことになります。
国産かどうかについては、土佐藩が洋式の蒸気船を自前で建造した記録は見つかっていません。源氏物語の巻名から取った名であることは、平野富二の事績を調べた古谷昌二が挙げる八隻(若紫・夕顔・空蝉・箒木・胡蝶・羽衣・乙女・紅葉賀)に「空蝉」が入っていることで裏が取れます。
空蝉丸を船の型と持ち主から読む
空蝉丸は蒸気機関を積んだ船ですが、外輪かスクリューかを伝える記録は見つかっていません(外輪とスクリュー)。船種は「輸送船」。人や荷を運ぶ輸送船です(軍艦の格)。
当サイトで紹介している土佐藩の船は、この空蝉丸を含めて10隻あり、そのうち帆船は3隻です。同じ土佐藩の船には、箒木丸(輸送船)、羽衣丸(スクーナー級輸送船)、南海丸(スクリュー汽船)、蜻蛉丸(スクリュー汽船)、胡蝶丸(輸送船)、乙女丸(輸送船)、横笛丸(木製スクーナー)、若紫丸(砲艦)などがあります。
持ち主の土佐藩の幕末をふり返ると、大政奉還を建白。戊辰戦争では板垣退助の率いる新政府軍。空蝉丸も、そうした藩の歩みのなかで使われた一隻です(藩ごとの船と幕末の立場)。



