| 壬戌丸 | |||
| 藩名 | 長州藩 | ||
| 藩主 | 毛利慶親 | ||
| 船種 | 輸送船 | ||
| 機関 | 蒸気船 | ||
| 備砲 | 0門 | ||
| 材質 | 鉄製 | ||
| 馬力 | 0馬力 | ||
| 写真 | 無 | ||

■ 詳細
原名「ランスフィールド」。1862年8月英国より購入し、元々は商船でした。癸亥・庚申と共に馬関海峡に配置されたが、唯一の蒸気船として旗艦扱いだった為か余り出撃しませんでした。文久三年(1863年)六月一日、下関でアメリカ軍艦ワイオミングの反撃を受け、庚申丸とともに沈没しました。
後に船体はサルベージ(引上げ作業)され、幕府の長州征討に備える武器購入用の外貨獲得目的で、上海に回航されて売却されました。
所属した長州藩と、井上馨
この軍艦・壬戌丸を運用したのも、長州藩(毛利家)です。長州が世界へ目を向けた象徴的な出来事に、若者たちのイギリス密航があります。
そのひとりが井上馨でした。井上は伊藤博文らとともに、国禁を犯してひそかにイギリスへ渡り、西洋の実力を肌で知って帰国します(長州ファイブ)。攘夷に燃える藩内で開国・近代化を説き、維新後は外務卿や大蔵の要職を歴任しました。壬戌丸は、その長州藩の一隻です。
幕末軍艦一覧リスト
旗艦だったために、かえって動かなかった船です
壬戌丸は原名をランスフィールドといい、もとは商船でした。千八百六十二年八月にイギリスから買っています。癸亥丸、庚申丸とともに馬関海峡に配されましたが、三隻のうち唯一の蒸気船で旗艦の扱いだったためか、あまり出撃していません。文久三年の攘夷で実際に撃ちに出たのは、癸亥丸と庚申丸のほうでした。
沈められて、引き揚げられて、売られました
文久三年六月一日、アメリカの軍艦ワイオミングが下関へ入り、港にいた三隻を攻めます。この攻撃で壬戌丸は庚申丸とともに沈みました。ところが話はそこで終わりません。沈んだ船体は引き揚げられ、上海へ回されて売られています。その目的は、幕府の長州征討に備えて武器を買うための外貨を得ることでした。沈められた船を売った金で、鉄砲を買ったわけです。
三隻の、それぞれの行方
同じ日に撃たれた三隻のたどった先は、それぞれ違います。庚申丸は引き揚げられて直され、三年後の四境戦争で幕府と戦いました。癸亥丸は元治元年の四か国艦隊で大破しながら、大改修を受けて慶応二年の小倉口へ出ています。そして壬戌丸は、船としては戻らず、金に換わりました。
一万五千ドルで買って、三万五千ドルで売れました
壬戌丸の売り買いの数字を並べると、妙なことに気づきます。文久二年閏八月二十七日に買ったときの値は洋銀一万五千ドル。ところが沈んで引き揚げたあと、アメリカ商人ドレイクが買い入れを契約した値は三万五千ドルでした。撃ち沈められた船が、買ったときの二倍以上で売れたことになります。
理由は、幕府と戦うための鉄砲が欲しかったことにあります。この取引は、上海へ回して転売することを前提に買い取られたもので、代わりに長州藩はゲベール銃を仕入れました。売却先はアメリカのラッセル商会と推定されています。船としての値ではなく、銃と引き換える値が付いたわけです。
気をつけたいのは、長州藩が自分で上海へ持って行って売ったのではないことです。上海での転売を織り込んだ商人が、沈んだ船を買い取った。そういう構図でした。この一連の経緯は坂本卓也・松浦章・杉山伸也らの研究を典拠とする記述で知られるもので、公的機関の資料では確認できません。
引き揚げは、二度目でうまくいきました
沈んだ船を引き揚げるのも簡単ではありません。文久三年六月十七日に梅田虎次郎らが試みて失敗し、七月になって長崎で学んだ経験のある中島治平が命じられ、十一月にようやく成功しました。五か月かかっています。
引き揚げたあとは萩へ回して、元治元年五月ごろまで修理が続きました。もっとも、この船は買った直後からボイラーの劣化が激しく、航海中の蒸気漏れに悩まされていたと伝わります。旗艦扱いでありながらあまり出撃しなかったのは、格が高かったからというより、機関が心もとなかったからという読み方もできます。
原名ランスフィールドという名は、山口県文書館の解説シートでも「英名ランスフィールド号」と裏づけが取れます。建造は1855年のイギリス・グラスゴーとされますが、トン数と馬力については確かな数値を見つけられませんでした。
壬戌丸を船の型と持ち主から読む
壬戌丸は蒸気機関を積んだ船ですが、外輪かスクリューかを伝える記録は見つかっていません(外輪とスクリュー)。船種は「輸送船」。人や荷を運ぶ輸送船です(軍艦の格)。船体は鉄で造られていました。日本で鉄の船が造れるようになるのは明治以降で、鉄船はすべて外国から買われたものです。
当サイトで紹介している長州藩の船は、この壬戌丸を含めて11隻あり、そのうち帆船は4隻です。同じ長州藩の船には、丙辰丸(砲艦)、丙寅丸(バーク船)、庚申丸(砲艦)、癸亥丸(ブリッグ級)、乙丑丸(輸送船)、丁卯丸(スクーナー級)、第二丙寅(輸送船)、第二丁卯(バーク船)などがあります。
持ち主の長州藩の幕末をふり返ると、倒幕の中心。戊辰戦争では新政府軍の主力。壬戌丸も、そうした藩の歩みのなかで使われた一隻です(藩ごとの船と幕末の立場)。
参考資料:Wikipedia日本語版「壬戌丸」、Wikipedia日本語版「幕府海軍」ほか、博物館・自治体の公開資料。資料によって要目や日付が食い違う場合は、本文でその旨を書いています。


