癸亥丸【長州藩 ブリック級 幕末軍艦】

癸亥丸
藩名 長州藩
藩主 毛利慶親
船種 ブリック級
機関 帆走
備砲 10門
材質 木製
馬力 0馬力
写真

■ 詳細
原名ランリック。イギリスで建造され、1863年1月英国より購入しました。四カ国連合軍による長州征伐で大破しました。その後、廃艦扱いとされていたが、後に大改修を受け、慶応2年(1866年)6月に小倉口に出撃。丙寅丸、丙辰丸らと共に小倉藩の田野浦を砲撃しました。

目次

所属した長州藩と、禁門の変

この軍艦・癸亥丸を運用したのも、長州藩(毛利家)です。長州藩は幕末、一度は「朝敵」の汚名を着せられ、どん底に突き落とされました。

元治元年(1864)、京都から追われた長州は、勢力の回復をめざして御所へ兵を進めますが、会津・薩摩らに撃退されます(禁門の変)。長州は朝敵とされ、幕府の長州征伐を招きました。しかし藩はここから高杉晋作らの手で息を吹き返し、討幕へと転じていきます。癸亥丸は、その苦難と再起の長州の一隻です。

幕末軍艦一覧リスト

攘夷の口火を切った二隻のうちの一隻です

文久三年五月十一日の午前二時、癸亥丸は庚申丸とともに下関を出て、九州の田野浦の沖で潮待ちをしていたアメリカの商船ペンブローク号を撃ちました。十二発撃って三発当たったといいます。長州藩の攘夷の、最初の一発でした。

報復で、二度やられています

三週間後の六月一日、アメリカの軍艦ワイオミングが下関へ入り、港にいた癸亥丸、庚申丸、壬戌丸を攻めました。この攻撃で庚申丸と壬戌丸が沈みます。翌元治元年には四か国連合の艦隊が下関を攻め、癸亥丸はここで大破しました。いったんは廃艦の扱いになっています。

それでも直して、幕府と戦いました

ところがこの船は、大きな修理を受けてよみがえります。慶応二年六月、小倉口へ出撃し、丙寅丸丙辰丸とともに小倉藩の田野浦を砲撃しました。外国船を撃って外国船に沈められ、直されて幕府と戦う。庚申丸とまったく同じ道をたどった船です。

原名はランリック

イギリスで造られた船で、原名はランリック。長州藩が買ったのは千八百六十三年の一月ですから、買ってから四か月ほどでペンブローク号を撃っていることになります。攘夷を実行するために買い、実行し、報復で失い、また直して幕府と戦う。この藩の船の使い方が、そのまま出ています。

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