| 丙寅丸 | |||
| 藩名 | 長州藩 | ||
| 藩主 | 毛利慶親 | ||
| 船種 | バーク船 | ||
| 機関 | 蒸気内車 | ||
| 備砲 | 6門 | ||
| 材質 | 鉄製 | ||
| 馬力 | 30馬力 | ||
| 写真 | 絵図 | ||
■ 詳細
英国製、原名オテントサマ号・長20間半・幅2間半・94トン。1866年5月に「高杉晋作」が独断で英国商人グラバーから3万9千価で購人しました。第二次長州征伐に備えての独断専行かと思われます。以後、高杉の乗艦として四境戦争(長州征伐)で活躍しました。
小倉方面の開戦時には、他の3隻を率いて先制攻撃を行い門司、田野浦を占領するなど、四境戦争の事実上の勝利に大きく貢献しています。戊辰戦争の後はオテント丸の名で、定期貨客船として博多~大阪間の航路に就役しました。
目次
所属した長州藩と、久坂玄瑞
この軍艦・丙寅丸を運用したのは、長州藩(毛利家)です。吉田松陰の松下村塾で、高杉晋作と並び「双璧」と称された俊英が、久坂玄瑞でした。
久坂は尊皇攘夷運動の先頭に立ち、長州藩を突き動かしました。しかし元治元年(1864)の禁門の変で、御所へ攻め上った長州軍が敗れると、久坂は志半ばで自刃します。松陰門下の希望と謳われた若者の死は、長州に大きな衝撃を与えました。丙寅丸は、その長州藩の一隻です。
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