関東地方– category –
-
関東地方
大宮藩/堀田家2万石:堀田正虎 福島藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 大宮藩 【説明】 下総古河藩主で、将軍「徳川綱吉」擁立で貢献した大老「堀田正俊」が貞享元年(1684年)に暗殺された。死後、その遺領13万石の内、家督と所領の大半は長男「堀田正仲」が継ぎ、正俊の次男「堀田正虎」は下野都賀郡で2万石を分与... -
関東地方
西方藩/藤田家1万5千石:藤田信吉 大坂夏の陣の失態にて改易【幕末維新写真館】
【藩名】 西方藩 【説明】 藩祖は「藤田信吉」である。信吉は畠山重忠の子孫と言われ、北条家や「武田勝頼」の家臣として仕えた。武田勝頼が「織田信長」によって滅ぼされると、越後の「上杉景勝」の家臣となった。信吉は慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦... -
関東地方
吹上藩/有馬家1万石:有馬氏弘 天狗党の乱の鎮圧や戊辰戦争では新政府軍に与した吹上藩【幕末維新写真館】
【藩名】 吹上藩 【説明】 天保13年(1842年)、五井藩主だった「有馬氏郁」が下野吹上に移封され「吹上藩」が立藩された。2代氏弘は「天狗党の乱」の鎮圧にあたり、「戊辰戦争」で新政府側に与して北関東や奥州に出兵している。 明治2年(1869年)3月には... -
関東地方
小山藩/本多家5万3千石:本多正純 宇都宮藩へ加増転封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 小山藩 【説明】 「本多正純」は徳川家康の謀臣であった「本多正信」の嫡子で、正純も父に劣らず知略に優れていた。家康が大御所になり「征夷大将軍」を秀忠に譲ると正純は家康側近として権勢を大いに振るった。家康没後は「徳川秀忠」に仕え、元... -
関東地方
皆川藩/米倉家1万5千石:米倉忠仰 武蔵六浦藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 皆川藩 【説明】 元禄12年(1699年)、上野・武蔵・相模などに1万石を領していた若年寄の「米倉昌尹」が5000石加増の1万5000石で入封する。昌尹は同年7月12日に死去し、その跡を継いだ第2代藩主「米倉昌明」のとき、弟「米倉昌仲」に3000石を分与... -
関東地方
下野富田藩/北条家1万石:北条氏重 遠江久野藩に移封され廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 下野富田藩 【説明】 慶長18年(1613年)、「北条氏勝」の養嗣子「北条氏重」が下総岩富藩から1万石で下野富田に入封して富田藩が立藩した。氏重はさらに「大坂の陣」で戦功を挙げ、江戸城の普請役や日光東照宮の普請役、そして伏見城の城番など... -
関東地方
榎本藩/本多家2万8千石:本多犬千代 5歳にして夭折により改易廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 榎本藩 【説明】 寛永8年(1631年)12月、「本多忠純」は46歳で死去し、跡を養嗣子の「本多政遂」が継いだ。政遂は寛永15年(1638年)7月、26歳で早世するとその跡を本「多犬千代」が継いだが、犬千代は寛永17年(1640年)5月、5歳にして夭折した... -
関東地方
足利藩/戸田家1万1千石:戸田忠行 大政奉還後は新政府軍に恭順した足利藩【幕末維新写真館】
【藩名】 足利藩 【説明】 宝永2年(1705年)1月、将軍世子である「徳川家宣」の御側役を務めていた「戸田忠時」が1万1000石を領することとなったため、大名に列して足利藩を立藩した。歴代藩主は藩政改革を行ない大坂定番や奏者番などを務めた。 明治2年... -
関東地方
下総山川藩/水野家3万5千石:水野忠善 駿河国田中藩に加増移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 下総山川藩 【説明】 慶長9年(1604年)に「松平定勝」の三男「松平定綱」は山川に5000石を与えられる。慶長14年(1609年)には1万石を加増され、1万5000石の大名となり「山川藩」を立藩した。 定綱は元和2年(1616年)、常陸国下妻藩に移封とな... -
関東地方
下野上田藩/西郷家1万石:西郷寿員 勤務怠慢により減封交替寄合格となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 下野上田藩 【説明】 元禄5年(1692年)2月7日、「徳川綱吉」の寵臣であった安房東条藩主「西郷寿員」は、下野国都賀郡・河内郡・芳賀郡に所領を移された。これにより、下野上田藩が立藩した。 だが、寿員の養父で隠居の「西郷延員」が不行状の咎... -
関東地方
真岡藩/稲葉家4万石:稲葉正勝 小田原へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 真岡藩 【説明】 寛永4年(1627年)、「堀親良」が下野烏山藩に加増移封された後、「稲葉正成」が2万石で入封した。正成は「小早川秀秋」の家老だったが、秀秋没後は徳川家の家臣となって福井藩主「松平忠昌」付家老を経て大名となった。しかしそ... -
関東地方
茂木藩/細川家1万6千2百石:細川興貫 谷田部藩の移封により立藩された茂木藩【幕末維新写真館】
【藩名】 茂木藩 【説明】 藩祖は「細川藤孝(幽斎)」の二男で、「細川忠興」の弟である「細川興元」である。慶長15年(1610年)の茂木氏の秋田転封の後をうけ、27ヶ村1万54石で入封した。元和2年(1616年)、興元は「大坂夏の陣」における軍功で常陸国筑... -
関東地方
鹿沼藩/内田家1万5千石:内田正親 下総国小見川藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 鹿沼藩 【説明】 正保4年(1647年)、小姓組番頭であった「朽木稙綱」は、鹿沼において5千石を加増され、2万5000石の大名として鹿沼藩を立藩した。しかし慶安2年(1649年)に稙綱は常陸国土浦藩に移され、代わって相模国・下総国・常陸国などで1... -
関東地方
板橋藩/大給松平家1万石:松平成重 三河西尾藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 板橋藩 【説明】 慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」の前哨戦「伏見城攻防戦」で「松平近正」は戦死した。家督は嫡子の「松平一生」が継ぎ、父の武功を賞されて5千石を加増され1万石の大名として諸侯に列した。そして板橋藩を立藩した。 「松平... -
関東地方
高徳藩/戸田家1万石:戸田忠綱 幕末の宇都宮城攻防戦では新政府軍側で参戦した高徳藩【幕末維新写真館】
【藩名】 高徳藩 【説明】 慶応2年(1866年)3月、「戸田忠至」は「天狗党の乱」で改易の危機に立たされた宇都宮藩を救い、山陵奉行として功績を挙げたことから、本家である宇都宮藩戸田家から1万石を分与され、大名となり高徳藩を立藩した。 領地は高徳・... -
関東地方
高徳藩/戸田家1万石:戸田忠綱 旧幕府軍と新政府軍の戦場にもなった高徳藩【幕末維新写真館】
【藩名】 高徳藩 【説明】 慶応2年(1866年)3月、「戸田忠至」は「天狗党の乱」で改易の危機に立たされた宇都宮藩を救い、山陵奉行として功績を挙げたことから、本家である宇都宮藩戸田家から1万石を分与され、大名となり、高徳藩を立藩した。 領地は高徳... -
関東地方
那須藩/那須家1万2千石:那須資祗 烏山藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 那須藩 【説明】 慶安元年(1648年)、無嗣断絶とされた信濃国小諸藩主「松平憲良」の弟「松平康尚」が名跡の継承を許されて那須城へ1万石で入封し、那須藩が再立藩された。翌慶安2年(1649年)、康尚は伊勢国長島藩へ移封となり那須藩は再び廃藩... -
関東地方
佐野藩/堀田家1万3千石:堀田正頌 幕末時には新政府軍に武器を献上し恭順した佐野藩【幕末維新写真館】
【藩名】 佐野藩 【説明】 唐沢山城を統治していた「佐野房綱」は豊臣秀吉に仕えていたが、ほどなく死去し、その跡を養子の「佐野信吉」が継いだ。しかし、信吉の代に佐野氏は徳川幕府より改易されてしまう。堅城を誇る唐沢山城を持つ佐野氏をどうにかして... -
関東地方
壬生藩/鳥居家3万石:鳥居忠宝 土壇場で新政府軍に恭順した壬生藩【幕末維新写真館】
【藩名】 壬生藩 【説明】 幕末期、壬生藩では尊皇攘夷をめぐっての争いが絶えず、文久2年(1862年)には勤王派が主導権を握って保守派の江戸家老「鳥居志摩」が失脚の上、自刃させられた。元治元年(1864年)に水戸藩で「天狗党の乱」が起こると、今度は... -
関東地方
宇都宮藩/戸田家7万7千石:戸田忠友 戊辰戦争では旧幕府軍と新政府軍との間で激戦となった宇都宮城【幕末維新写真館】
【藩名】 宇都宮藩 【説明】 元治元年(1864年)、常陸国筑波山にて「天狗党の乱」が起こり天狗党の一軍が宇都宮城にやって来た。この時、宇都宮藩兵は日光の守備、山陵の家臣派遣などで藩内に兵が少なかった。天狗党幹部の「藤田小四郎(藤田東湖の子息)... -
関東地方
烏山藩/大久保家2万石:大久保忠順 幕末時は特にめだったこともなく新政府軍に恭順した烏山藩【幕末維新写真館】
【藩名】 烏山藩 【説明】 幕末期の烏山藩は領内が荒廃していたこともあり、特に目立ったことはなかった。特に何ら処罰も受けていないので早くから新政府軍に恭順していたものと考えられる。明治2年(1869年)の「版籍奉還」にて「大久保忠順」は烏山藩知...
