横須賀の久里浜。この日まわったなかで、ここがいちばん「幕末の現場」らしい場所でした。
嘉永六年六月九日、東インド艦隊司令長官ペリーがアメリカ大統領の国書をたずさえてこの浜に上陸しました。日本の近代は、事実上この日この浜から始まります。
ただ、私がこの場所でいちばん驚いたのは、上陸そのものではありませんでした。いま立っているこの碑が、一度倒されているということでした。

嘉永六年、四隻が来た
ペリーの艦隊が浦賀沖に姿を現したのは嘉永六年六月三日。蒸気船二隻を含む四隻でした。幕府は退去を求めましたが、ペリーは大統領国書の受理を要求して動きません。
押し合いのすえ、幕府が折れます。六月九日、久里浜に応接所を仮設して国書を受け取ったのが、浦賀奉行の戸田氏栄と井戸弘道でした。ペリーは三日後に江戸湾を去り、「来春また来る」と言い置いていきます。
そして翌嘉永七年、ペリーは前回を上回る艦隊で再来航し、日米和親条約が結ばれました。開国です。
——ここから池田屋まで十一年、近江屋まで十四年、江戸城の無血開城まで十五年。幕末という時代の長さは、この浜からたった十五年です。
碑を建てたのは、日露戦争の四年前

黒い石の碑が、松林のなかに立っています。表に刻まれているのは、
北米合衆国水師提督伯理上陸紀念碑
——「伯理」でペリー。この文字を書いたのは伊藤博文です。裏面の上部には「嘉永六年六月九日上陸、明治三十四年七月十四日建立」とあり、下部には英文の説明が刻まれています。
建立を主導したのは米友協会。会長は金子堅太郎でした。きっかけを作ったのは、アメリカの退役海軍少将レスター・ビアズリーだったといいます。
除幕は明治三十四年七月十四日。——日露戦争が始まる三年前です。
この時期に、伊藤博文の字で、日米友好の碑が建つ。当時の日本にとってアメリカは、ロシアとの関係を考えるうえでも大事な相手でした。五十年前に「無理やり開国させられた」相手を、五十年後には友好の象徴として石に刻んでいる。そういう時代の空気で建った碑です。
昭和二十年二月八日、碑は倒された

そして、この碑にはもう一つの歴史があります。
昭和二十年二月八日、この碑は倒されました。倒したのは横須賀市の翼賛壮年団です。戦争中、敵国の提督を顕彰する碑がここに立っていることが許されなくなった。
倒された碑がどうなったか。同じ年の十一月には、もう建て直されています。
二月に倒して、八月に戦争が終わり、十一月に建て直す。同じ年のうちに、倒す側と建てる側が入れ替わっている。
私はこの説明板の前で、しばらく動けませんでした。石は何も言いません。倒されても、建て直されても、同じ文字を刻んだまま立っている。言葉を変えたのは石ではなく、そのまわりにいた人間のほうです。
この碑は、その後平成十九年三月十二日に横須賀市指定重要有形文化財となりました。碑の周辺は昭和二十九年に公園として整備され、昭和六十二年にはペリー記念館が開館しています。
歩いてみて
久里浜は、いまはごく普通の海辺の町です。フェリーターミナルがあり、住宅があり、公園に松が生えている。ここに黒船が来たと言われても、正直ぴんときません。
それでも、公園の外に出て海のほうを見ると、少し感じが変わります。湾が広く、遠浅で、大きな船を着けるには向いていない。だからこそ幕府はここを選んだのではないかと思いました。江戸から遠ざけたい、けれど拒みきれない。妥協の産物としての浜です。
この日は昼に三浦のあたりで海鮮丼を食べました。史跡めぐりの記事に食事の話は余計かもしれませんが、ペリーが上陸したのも、この海の幸を獲っていた漁村のすぐそばです。黒船に驚いた久里浜の漁師たちも、同じ海のものを食べていたはずで、そう思うとまったく無関係でもありません。
私はこれまで、幕末の史跡をずいぶん歩いてきました。会津若松城も筑波山も池田屋も。そのすべてが、この浜から始まっているのだと思うと、松林のなかの黒い石が急に重く見えました。
そして同じ日に、記念艦三笠を見ています。黒船に驚いた国が、五十年で自前の艦隊を持ち、当時の列強を破るところまで行った。その始まりと結果を、一日で、同じ市内で見てしまったわけです。
ばらばらの史跡のようでいて、お龍も東郷平八郎もペリーも、同じ二十年間を生きた同時代人でした。幕末という時代の短さと、そのあと彼らが生きた時間の長さ。その落差を一日で味わえるのが、横須賀というコースの面白さだと思います。
アクセスと地図
ペリー上陸記念碑(ペリー公園)/神奈川県横須賀市久里浜七丁目。京急の京急久里浜駅、JRの久里浜駅から徒歩十五分ほど、バスもあります。公園は無料で、いつでも碑を見られます。
園内のペリー記念館には、黒船来航の資料や久里浜の模型が展示されています(入館無料・休館日は要確認)。碑は表だけでなく、裏へ回ってください。建立の年月日と英文が刻まれています。
記念艦三笠・信楽寺のお龍の墓とあわせて、車なら半日で回れるコースです。
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この記事の取材と情報源について
現地を訪ねて撮影した写真と、現地に設置されている解説の記載をもとに書いています。主に参照したのは次のとおりです。
- 現地の案内板「ペリー上陸記念碑物語」
- ペリー記念館
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