都心の真ん中に、江戸時代からの大名庭園が今も静かに広がっています。小石川後楽園(こいしかわこうらくえん)——ここは、幕末の思想的な震源地となった水戸徳川家(水戸藩)の、江戸屋敷の庭園です。美しい庭を歩きながら、その背後にある幕末とのつながりをたどってきました。

小石川後楽園とは——水戸徳川家の庭園
小石川後楽園は、江戸時代の初め、水戸藩の江戸上屋敷の庭園として造られました。造成を始めたのは水戸藩初代藩主の徳川頼房(よりふさ)、そして完成させたのが二代藩主の徳川光圀(みつくに)——いわゆる「水戸黄門」その人です。「後楽園」という名は、光圀が、中国・宋の范仲淹(はんちゅうえん)の言葉「先憂後楽(せんゆうこうらく/天下の憂いに先んじて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ)」から名づけたと伝えられます。園内には、中国の学者・朱舜水(しゅしゅんすい)の意見を取り入れた円月橋や西湖の堤など、中国趣味を凝らした景観が随所に見られます。

水戸藩と幕末——思想の震源地
この庭園を持った水戸藩は、幕末において特別な存在でした。徳川御三家の一つでありながら、天皇を尊ぶ「尊王」の思想を育んだ「水戸学」の中心地だったのです。二代・光圀が始めた歴史書『大日本史』の編纂事業は、その水戸学の源流となりました。
そして幕末、水戸藩は日本を揺るがす舞台の中心となります。九代藩主・徳川斉昭(なりあき/烈公)は、藤田東湖らとともに藩政改革と尊王攘夷論を推し進めました。斉昭の子は、のちに最後の将軍となる徳川慶喜(よしのぶ)です。大老・井伊直弼を討った桜田門外の変を起こしたのも水戸の脱藩浪士たちであり、天狗党の乱もまた水戸で起こりました。小石川後楽園は、そうした幕末の激動の中心にあった水戸徳川家の、江戸における拠点の庭だったのです。
庭園に込められた「知」
単なる美しい庭ではなく、「先憂後楽」という為政者の心得を名に冠し、中国の学問を取り入れた小石川後楽園。ここには、光圀に始まる水戸徳川家の学問への深い関心が息づいています。その学問の伝統が、やがて水戸学へと結実し、幕末の尊王思想を生み、日本を維新へと動かしていった——そう考えると、この庭園を歩く時間が、いっそう味わい深いものに感じられます。
現地を歩いて感じたこと
ビルに囲まれた一角に足を踏み入れると、そこには別世界のような静けさが広がっていました。大泉水の水面に緑が映り、円月橋の優美な石のアーチが水にまるい影を落とす。都会の喧騒を忘れさせるこの庭が、実は幕末を動かした水戸徳川家の庭だったと知ると、風景の見え方まで変わってきます。歴史を知って歩く庭園は、格別です。


アクセス(所在地)
小石川後楽園は東京都文京区後楽にあります。JR・地下鉄の飯田橋駅や、東京メトロの後楽園駅から徒歩すぐ。東京ドームのすぐ隣という、まさに都心のオアシスです。開園時間や入園料が定められているので、訪問前に確認しておくとよいでしょう。
まとめ
小石川後楽園は、水戸徳川家(水戸藩)の江戸屋敷に造られた大名庭園で、二代・徳川光圀が「先憂後楽」の理想を込めて完成させた名園です。水戸学を育み、徳川斉昭や徳川慶喜を生んだ水戸藩の江戸拠点として、幕末の歴史と深く結びついています。庭の美しさとともに、その背後にある「知」と「志」の物語を感じてみてください。水戸藩の歩みは全藩情報もあわせてどうぞ。

