| 翔風丸 | |||
| 藩名 | 久留米藩 | ||
| 藩主 | 有馬慶親 | ||
| 船種 | バーク船 | ||
| 機関 | 帆走 | ||
| 備砲 | 6門 | ||
| 材質 | 木製 | ||
| 馬力 | 0馬力 | ||
| 写真 | 無 | ||
1863年シンガポール製。原名「メレセン」長16間2尺・幅3間4尺・140トンの木製帆船で、1866年ポルトガル商人より久留米藩が購入しました。
久留米藩は元治元年(1864年)1月に、英国から蒸気艦船「雄飛丸」を購入して洋式海軍を創設。翌年には米国から木造帆船「玄鳥丸」を購入し、英国からは木造蒸気船「晨風丸(100馬力)」と、木造帆船「翔風丸」「遼鶴丸」、蒸気艦船「神雀丸(8馬力)」の3隻を購入して兵式も西洋方式とし、幕府、薩摩藩、佐賀藩につぐ強力な海軍力をつくり上げました。
なお、翔風丸には大砲が6門設置されていました。
所属した久留米藩と、水天宮
この軍艦・翔風丸を運用したのも、久留米藩(有馬家)です。久留米には、全国に知られる水の神さま・水天宮が鎮座しています。
幕末に活躍した久留米の尊攘志士・真木和泉は、この水天宮の神職の家に生まれました。安産や水運の守り神として信仰を集めた水天宮を背景に、久留米では神道と結びついた尊皇思想が育っていきます。翔風丸は、そうした土地柄の久留米藩が持った一隻です。
幕末軍艦一覧リスト
シンガポールで造られた、変わり種の一隻
久留米市の資料によれば、久留米藩が持った七隻のうち、シンガポールで造られたのは翔風丸だけです。ほかは雄飛丸・千歳丸・遼鶴丸・神雀丸がイギリス、晨風丸と玄鳥丸がアメリカとされています。当サイトに並ぶ幕末の軍艦を見渡しても、イギリスかアメリカで造られた船が大半を占めますので、東南アジア生まれというのは目を引く出自です。値は八千ドルで、八万五千ドルの千歳丸や七万五千ドルの雄飛丸と比べれば、ずいぶん安い買い物でした。
売り手の顔ぶれもばらばらでした
翔風丸をもたらしたのはポルトガル商人でしたが、久留米藩の船は売り手もさまざまで、雄飛丸はイギリス商人のトーマス・グラバー、晨風丸はロビネット、千歳丸はアメリカ人商人のウォールスから買っています。長崎に集まった各国の商人から、藩が一隻ずつ買い足していった様子がうかがえます。
建造国について、資料が食い違います
この記事の本文は久留米藩が英国から晨風丸・翔風丸・遼鶴丸・神雀丸を買ったとしていますが、久留米市の資料は翔風丸をシンガポール製、晨風丸をアメリカ製としています。買った相手の国と船の造られた国は別ですから、ただちに矛盾とはかぎりませんけれども、そのまま読むと食い違って見えますので、ここに書き添えておきます。
帆船に大砲六門
翔風丸には大砲が六門据えられていました。久留米市の資料が千歳丸を六門としており、雄飛丸が明治元年の兵員輸送のときに積んでいたのが二門ですから、八千ドルの帆船としては少なくありません。もっとも船の備砲は時期によって積み替えられるものですので、この数字だけで船の強さを比べられるわけではありません。

