| 晨風丸 | |||
| 藩名 | 久留米藩 | ||
| 藩主 | 有馬慶親 | ||
| 船種 | スクリュー輸送船 | ||
| 機関 | 蒸気内輪 | ||
| 備砲 | 6門 | ||
| 材質 | 木製 | ||
| 馬力 | 100馬力 | ||
| 写真 | 無 | ||

1864年米国ワシントン製で、1866年9月に久留米藩が購入した木製蒸気内輪船で100馬力。大砲は6門搭載されていました。原名は「マルチインウアイト」、長18間5・幅3間2・100トンです。
所属した久留米藩と、久留米藩難事件
この軍艦・晨風丸を運用したのも、久留米藩(有馬家)です。維新後の久留米藩を揺るがしたのが、久留米藩難事件でした。
明治四年(1871)、久留米藩の攘夷派が、新政府の開明的な方針に反発して政府転覆をくわだてたとして摘発された事件です。尊皇攘夷の熱がとりわけ強かった久留米ならではの騒動で、多くの藩士が処分されました。晨風丸は、そんな激しい思想の渦のなかにあった久留米藩の一隻です。
久留米藩は、七隻の軍艦を持っていました
久留米市の資料によれば、久留米藩は元治元年以降、七隻の軍艦を持ちました。千歳丸、雄飛丸、晨風丸、翔風丸、遼鶴丸、玄鳥丸、神雀丸。幕府を除けば、薩摩、佐賀、土佐に次ぐ規模だったといいます。二十一万石の藩としては、かなりの数です。
ボストンで造られ、五万三千ドルで買いました
晨風丸は元治元年にアメリカで造られた木造の汽船です。伝わる記述ではワシントン製としていますが、ボストンとする資料があります。買ったのは慶応二年九月十二日、長崎でロビネットという商人から、五万三千ドル。百馬力で大砲を六門積み、原名はマルチインウアイトといいました。
箱館へ向かい、竜飛崎で終わりました
明治二年三月八日、新政府の艦隊の一隻として品川を出て函館へ向かいます。三月二十五日の宮古湾海戦では、軍用の輸送船四隻のうちの一隻でした。豊安丸、飛龍丸と同じ役どころです。ところがこの船は、函館の戦いの決着を見届けていません。明治二年四月十三日、新暦でいえば五月二十四日、三厩の竜飛崎の近くで座礁して壊れました。
佐賀藩にも、同じ名前の船があります
当サイトには晨風丸のページがもう一つあり、そちらは佐賀藩の船です。晨風丸のページをご覧ください。安政五年に長崎で造られた五十トンの帆船で、まったく別の船です。
佐賀藩の晨風丸は、この船より八年古い船です
上で「佐賀藩にも同じ名前の船がある」と書きましたが、その後の調べで手がかりが出てきました。
幕末の艦船取得を網羅的に整理した朴栄濬の研究の表には、佐賀藩の船として「晨風丸」が安政五年の欄に、しかも購入ではなく建造として載っています。久留米藩の晨風丸は慶応二年の購入ですから、八年の差があります。つまり佐賀で建造された晨風丸と、久留米が長崎で買った晨風丸は、別の船と考えるのが自然です。
この佐賀藩の晨風丸を日本製・1858年とする記述は個人サイトにも見られます。安政五年は、佐賀藩が三重津に御船手稽古所を設けた年でもあります。同じ年に造船が動いていたことは、話としてよく合います。
七隻のうち、この船だけが遠くまで行きました
久留米藩の晨風丸には、もうひとつ確かめたい記述があります。明治二年三月八日に七隻の一隻として品川を出港して箱館へ向かい、四月十三日に三厩の北西にある達鼻岬、いまの竜飛崎で坐礁して壊れたというものです。典拠はアジア歴史資料センターの『記録材料・海軍省報告書第一』、『海軍歴史』の船譜、造船協会編『日本近世造船史 明治時代』とされています。
時期を考えると、箱館戦争の最中です。この船が新政府の指揮下に入っていたことになりますが、それが献納だったのか徴用だったのかはわかっていません。慶応二年に久留米藩が長崎でロビネットから五万三千ドルで買った船が、三年後には津軽海峡の突端で終わったわけです。
要目についても、研究の表は百トン・木造蒸気・内車・備砲六門としています。この記事の百馬力・大砲六門・長十八間五・幅三間二・百トンという数字と、トン数と砲の数はよく合っています。
同じ名前の船について
幕末の船は売り買いで持ち主が変わることが多く、同じ名前が別の船に付けられることもありました。当サイトには、晨風丸と同じ(または近い)名前の船のページがほかにもあります。
- 晨風丸(佐賀藩・カッター級輸送船・帆走)—要目が違い、名前が同じ別の船と考えられます
晨風丸を船の型と持ち主から読む
晨風丸の機関は「内車」、つまり水の中のスクリュー(プロペラ)を回す方式です。推進器が外から見えず砲弾に当たりにくいため、幕末の軍艦の主流になった型です(外輪とスクリュー)。船種は「スクリュー輸送船」。人や荷を運ぶ輸送船です(軍艦の格)。
当サイトで紹介している久留米藩の船は、この晨風丸を含めて7隻あり、そのうち帆船は3隻です。同じ久留米藩の船には、遼鶴丸(スクーナー輸送船)、雄飛丸(商業蒸気船)、千歳丸(商業用蒸気船)、神雀丸(輸送船)、翔風丸(バーク船)、玄鳥丸(バーク船)があります。
持ち主の久留米藩の幕末をふり返ると、佐幕派と勤王派が争い、明治元年に勤王派が実権。新政府側。晨風丸も、そうした藩の歩みのなかで使われた一隻です(藩ごとの船と幕末の立場)。



