小松帯刀(こまつ たてわき)は、二十八歳で薩摩藩の家老になり、薩長同盟と大政奉還を裏側で回し、三十六歳で死んだ人です。西郷隆盛や大久保利通ほどには名が知られていませんが、二人を引き上げたのはこの人でした。坂本龍馬を霧島へ湯治に連れて行ったのも、長崎の小菅修船場に金を出したのも小松です。
喜入の領主の子で、小松家の養子でした

天保六年十月、薩摩国喜入の領主・肝付兼善の子として生まれました。のちに小松清猷の養子となり、小松家を継ぎます。本姓は肝付、名は清廉(きよかど)、幼名は尚五郎。「帯刀」は通称です。
藩主・島津斉彬の小姓を務め、文久元年ごろに島津久光の側役となりました。
二十八歳で家老になりました

文久二年、家老。二十代の家老というのは、三十五万石を超える大藩ではかなり異例です。
この立場で、小松は大久保利通をはじめとする下級武士を引き上げました。薩摩が動けた理由のひとつは、家格の低い実力者を上に出す回路が開いていたことで、その回路の入口に小松がいたわけです。
駐日英国公使館のアーネスト・サトウは、小松を「最も魅力的な日本人」と評しています。
慶応二年、薩長同盟
慶応二年一月、西郷隆盛や木戸孝允らとともに薩長の連合を結びました。国立国会図書館の記述も、ブリタニカの「裏面で働いた」という表現も、小松がこの場にいたことを認めています。
舞台になったのは京都の小松の屋敷でした。表に出る人と、場を用意する人がいる。小松は後者でした。
龍馬を、霧島へ連れて行きました
寺田屋で襲われて手に傷を負った坂本龍馬に、霧島の温泉での療養をすすめたのが小松です。西郷とともに、龍馬とおりょうを鹿児島まで連れて行きました。日本で最初の新婚旅行といわれる旅です。
龍馬の「会社」については「坂本龍馬がつくった“会社”—亀山社中と海援隊」で扱っています。
船については—確かなのは小菅修船場への出資です
小松は薩摩の船に深く関わった人物として語られることがあります。ただ、軍艦や汽船の購入と小松を直接結びつける公的な記録は、調べた範囲では見つかりませんでした。主要な辞典もどれも、小松と軍艦購入を結んでいません。
確かなのはひとつです。文化庁の国指定文化財の解説が、小菅修船場についてこう書いています。慶応三年、五代才助を中心に事業が進められ、小松帯刀とイギリス商人のトーマス・ブレーク・グラバーが出資した。長崎市の文化財課も「五代才助と小松帯刀、グラバーの努力によって創設」としています。
船を買うのではなく、船を直す場所に金を出した。竣工は明治元年十二月六日。明治二年に政府が買い上げ、明治二十年に三菱へ払い下げられて、いまの三菱重工業長崎造船所になりました。小松が出した金は、百五十年以上たったいまも動いている造船所の土台になっています。
薩摩名義で長州のために船と銃を買った、いわゆるユニオン号(乙丑丸)の一件についても、小松がどう動いたかを示す公的な記録は見つかりませんでした。国立国会図書館が書いているのは「坂本龍馬が薩摩藩名義で長州藩のために小銃や蒸気船を購入し、薩長同盟につながった」という水準までです。船そのものは「乙丑丸」で扱っています。
慶応三年十月、大政奉還を進言しました
将軍・徳川慶喜に大政奉還を進言したのが小松です。鹿児島県の資料は「慶喜を説得し大政奉還を実現させた」とし、その直後に病で政務を離れたとしています。
明治元年には総裁局顧問、玄蕃頭、外国官副知事を務めましたが、明治二年五月、病気のため辞官しました。
明治三年、大阪で没しました
七月二十日、大阪で死去。三十六歳。辞官から一年以上の病臥があったことになります。死因の詳しいところは分かりませんでした。
維新の三年後です。この人が五十まで生きていたら明治はどうなっていたか、と書きたくなりますが、そこは書かないでおきます。
墓は鹿児島県日置市吉利の園林寺跡にあり、小松家の一族が並んで眠っています。
訪ねるなら

- 園林寺跡(鹿児島県日置市日吉町吉利)。小松帯刀と一族の墓
- 小菅修船場跡(長崎市小菅町)。世界遺産構成資産
- 鹿児島市内の小松帯刀像
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- 乙丑丸【長州藩 輸送船 幕末軍艦】
- 坂本龍馬がつくった“会社”—亀山社中と海援隊
参考にした資料
- 国立国会図書館「近代日本人の肖像」小松帯刀、同「幕末・明治初期の商社誕生に関わった人々」
- 鹿児島県広報誌「グラフかごしま」、鹿児島県の記念像モニュメント一覧
- 文化庁 文化遺産オンライン「小菅修船場跡」、長崎市文化財課


