| 青柳牧太夫 | |||
| 職名 | 勘定方 | ||
| 出身 | 武州 | ||
| 終焉場所 | 鳥羽伏見の戦い | ||
| 終焉方法 | 戦死 | ||
慶応元年5月、江戸にて入隊しました。
鳥羽伏見の戦いで戦死したとも江戸帰還中に船内で死亡したとも伝えられています。
勘定方という役
青柳牧太夫の役は勘定方でした。刀を振るう役ではなく、隊の金の出入りを預かる役です。新選組は会津藩から金を受け、隊士に給金を払い、屯所の暮らしを賄っていましたから、その帳面を握る者が要りました。表に出ることは少ないものの、隊を組織として成り立たせていたのはこうした役です。武州の出で、慶応元年五月に江戸で入隊しています。前の年の池田屋事件で名を上げた隊が、江戸で人を集めていた時期でした。
最期に二つの説があります
この記事が伝えるとおり、鳥羽伏見の戦いで戦死したという説と、江戸へ帰る船のなかで亡くなったという説があります。慶応四年正月、鳥羽伏見に敗れた新選組は大坂から富士山丸と順動丸に分乗して江戸へ引き上げました。傷を負った者を乗せた船の中で息を引き取った者もいたはずで、戦場で死んだのか船で死んだのかが分かれるのは、この混乱を映しています。表には戦死とありますが、どちらとも決めかねる、というのが正しいところです。

橋本という場所と、小荷駄方という役
最期に二つの説があることは上に書きましたが、戦死したとする側の説では、死んだ場所が橋本と伝わります。慶応四年正月六日、淀から退いた旧幕府軍は淀川の対岸、男山のふもとの橋本に陣を取りました。ところが対岸の高浜台場を守っていた津藩が新政府側に転じて砲を撃ちかけ、挟み撃ちにされた幕府軍はここで総崩れになります。鳥羽・伏見の四日間で、最後に崩れたのが橋本でした。淀藩に城を閉ざされ、橋本で味方に撃たれる—負け戦の最後の一日が、この二つの地名に詰まっています。
もう一つの説は、船の中です
江戸へ帰る船のなかで息を引き取ったという説もあり、こちらをとると死んだ場所は海の上になります。同じ二説が伝わる隊士がもう一人いて、今井祐次郎も「淀で戦死」と「江戸帰還船の中で死亡」の両方が記録されています。鳥羽・伏見で傷を負った者が富士山丸と順動丸で運ばれ、江戸へ着いた手負いが医学所で手当を受けたところまでは幕府の公文書に残っているのですが、船の上で死んだ者の名までは残りませんでした。二説に割れるのは、船に乗ったのか乗る前に死んだのかを見ていた人がいなかったからだろうと思われます。享年三十一と伝わります。
勘定方から、小荷駄方へ
この隊士は天保九年に武州で生まれ、慶応元年五月に土方歳三が江戸で行った募集に応じて上洛したとされます。慶応三年六月の幕臣取立では平士として見廻組並御雇の格を受け、隊のなかでは勘定方、伍長、小荷駄方を歴任しました。小荷駄方というのは兵糧や弾薬を運ぶ役で、戦場では隊の後ろに付きます。刀を振るう役ではありませんが、これがなければ軍は動きません。橋本で崩れたとき、荷を運ぶ者がどこにいたのかを考えると、この人の最期が二通りに伝わることにも合点がいきます。板橋の新選組供養塔には、この人の名が刻まれています。

青柳牧太夫の生きた時代—新選組の勘定方
隊の財布を預かる役 青柳牧太夫が務めた勘定方は、新選組の金銭の出し入れを受け持つ役目でした。新選組は会津藩の預かりで、隊の費用や隊士の手当は会津藩や幕府から出されていました。慶応三年(1867)に隊士が幕臣に取り立てられてからは、幕府から正式に禄が支払われるようになります。
戊辰の戦場へ 隊の会計を預かる役人であっても、戊辰戦争が始まると戦場に立たなければなりませんでした。慶応四年(1868)、新選組は鳥羽伏見から甲州、関東、会津へと転戦し、多くの隊士が命を落としています。青柳もその一人でした。
入隊したころの新選組の顔ぶれ
江戸から加わった隊士たち
青柳牧太夫が江戸で入隊した慶応元年五月ごろ、新選組は江戸で隊士を募り、加わった者たちを京都へ送っていました。池田屋事件ののち名を上げた隊には志願者が集まり、総勢は百三十人を超え、最も多いときにはおよそ二百人に達したとされます。屯所も壬生から西本願寺へ移り、隊の組織は十の組に分けられました。このころの主な幹部は次のとおりです。
- 局長:近藤勇
- 副長:土方歳三
- 総長:山南敬助(慶応元年二月に切腹)
- 参謀:伊東甲子太郎
- 一番組:沖田総司/二番組:永倉新八/三番組:斎藤一
- 四番組:松原忠司/五番組:武田観柳斎/六番組:井上源三郎
- 七番組:谷三十郎/八番組:藤堂平助/九番組:鈴木三樹三郎/十番組:原田左之助
隊の財布を預かる勘定方
二百人近い隊士を抱える新選組では、給金や屯所の費え、武具の手配など、金の出入りは大きなものでした。それを受け持ったのが勘定方です。剣の腕だけでなく、読み書きと算盤のできる者が選ばれました。武州の出身とされる青柳がこの役に就いたことは、隊が武芸の集団から、多くの人と金を動かす組織へと変わっていたことを示しています。
参考資料:Wikipedia日本語版「青柳牧太夫」「新選組」、新人物往来社編『新選組大人名事典』、永倉新八『新撰組顛末記』ほか。隊士の生没年・出身・役職は、名簿や資料によって異なることがあります。
新選組の隊士を続けて読む(名簿番号順)
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