九州地方– category –
四十一藩を石高順にまとめた 九州の藩一覧(幕末) もあります。
九州の藩をまとめています。薩摩藩・佐賀藩・熊本藩・福岡藩などの大藩から、人吉藩・大村藩・小倉藩などの中小の藩、佐賀藩の支藩の蓮池藩・鹿島藩まで。幕末に雄藩として動いた藩と、その周りの藩の動きを比べて読めます。
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府内藩/松平家2万2200石:松平近説 幕府要職にあったため新政府から謹慎を命じられた豊後府内藩
府内藩(松平家2万2200石、松平近説)。幕府要職にあったため新政府から謹慎を命じられた豊後府内藩。豊後府内は、もともと大友氏の本拠でした。ところが大友吉統は、朝鮮へ出兵した文禄の役で味方を見捨てて退いたとされ、豊臣秀吉の怒りを買って… -
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高田藩/松平家3万2千石:松平英親 杵築藩へ移封のため廃藩
高田藩(松平家3万2千石、松平英親)。杵築藩へ移封のため廃藩。高田藩は寛永九年(1632年)、「松平重直」が摂津国三田藩より三万七千石にて豊前国竜王(大分県宇佐市安心院町)の竜王城跡地に竜王陣屋を構え入封したことに始まります。 -
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杵築藩/松平家3万2千石:松平親貴 親子で藩論が割れたが新政府軍に従い会津戦争にも加わった杵築藩
杵築藩(松平家3万2千石、松平親貴)。親子で藩論が割れたが新政府軍に従い会津戦争にも加わった杵築藩。杵築の城は、もともと大友家の家臣・木付氏の城でした。文禄二年(1593年)、主家の大友義統が朝鮮での失態から豊臣秀吉の怒りを買って領地… -
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中津藩/奥平家10万石:奥平昌邁 福沢諭吉や西南戦争で西郷軍に加わった増田宋太郎を排出した中津藩
中津藩(奥平家10万石、奥平昌邁)。福沢諭吉や西南戦争で西郷軍に加わった増田宋太郎を排出した中津藩。天正十五年(1587年)の「豊臣秀吉」による九州征伐の論功行賞で播磨宍粟山崎から「黒田孝高」が入封し、十二万三千石を領有しました。 -
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対馬府中藩(厳原藩)/宗家2万石:宗義達 藩内では佐幕・尊皇で混乱を極めたが戊辰戦争では大坂まで兵を進めた対馬藩
対馬府中藩(厳原藩)(宗家2万石、宗義達)。藩内では佐幕・尊皇で混乱を極めたが戊辰戦争では大坂まで兵を進めた対馬藩。天正十五年(1587年)、豊臣秀吉が九州を平定したとき、宗氏は秀吉に従うことを決め、対馬の領地をそのまま認められました。 -
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琉球藩/尚氏8万9千石:尚泰 明治政府より琉球藩王に任命されるも最後は東京へ連行された尚泰
琉球藩(尚氏8万9千石、尚泰)。明治政府より琉球藩王に任命されるも最後は東京へ連行された尚泰。1872年(明治五年)、廃藩置県の翌年、琉球国王「尚泰」は明治政府により「琉球藩王」とされるとともに大日本帝国の華族の身分を与えられ、これに… -
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薩摩藩(鹿児島藩)/島津家77万石:島津忠義 鳥羽伏見の戦いから五稜郭まで戦い抜き維新を実現させた薩摩藩
薩摩藩(鹿児島藩)(島津家77万石、島津忠義)。鳥羽伏見の戦いから五稜郭まで戦い抜き維新を実現させた薩摩藩。1600年(慶長五年)の関ヶ原の戦いでは西軍につくが、徳川四天王の一人「井伊直政」の取りなしで本領を安堵され、島津義弘の三男「… -
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富岡藩(天草藩)/戸田家2万1千石:戸田忠昌 島原の乱で荒廃したあと天領となった富岡藩
富岡藩(天草藩)(戸田家2万1千石、戸田忠昌)。島原の乱で荒廃したあと天領となった富岡藩。関ヶ原のあとの慶長六年(1601年)から、天草は海を隔てた唐津藩の飛び地(四万二千石)になっていました。 -
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高瀬藩(熊本藩支藩)/細川家3万5千石:細川利永 幕府に従順だったが無事に幕末を乗り切った高瀬藩
高瀬藩(熊本藩支藩)(細川家3万5千石、細川利永)。幕府に従順だったが無事に幕末を乗り切った高瀬藩。肥後新田藩は熊本藩の支藩で、寛文六年(1666年)熊本藩3代藩主「細川綱利」の弟「細川利重」が熊本藩の蔵米より三万五千石を分与され立藩… -
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富江藩(五島藩支藩)/五島家3千石:五島盛明 幕末期に本藩である福江藩に併呑されかけたが農民一揆が勃発した富江藩
富江藩(五島藩支藩)(五島家3千石、五島盛明)。幕末期に本藩である福江藩に併呑されかけたが農民一揆が勃発した富江藩。五島氏第23代目当主「五島盛次」の弟「五島盛清(富江五島家初代当主)」が、寛文元年(1661年)、宗家「福江藩」より分… -
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大村藩/大村家2万7千石:大村純熈 鳥羽・伏見の戦い直前に大津を抑え幕府軍の援軍を防いだ大村藩
大村藩(大村家2万7千石、大村純熈)。鳥羽・伏見の戦い直前に大津を抑え幕府軍の援軍を防いだ大村藩。第12代当主「大村純忠」は、天正十五年(1587年)の「豊臣秀吉」の九州平定に長子「大村喜前」を従軍させ、戦後の九州論功行賞で領地を安堵… -
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鹿島藩(佐賀藩支藩)/鍋島家2万石:鍋島直彬 本藩の佐賀藩と行動をともにし新政府軍に従った鹿島藩
鹿島藩(佐賀藩支藩)(鍋島家2万5千石、鍋島直彬)。本藩の佐賀藩と行動をともにし新政府軍に従った鹿島藩。鹿島藩は鹿島(佐賀県鹿島市)周辺を領有した佐賀藩の支藩です。 -
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平戸新田藩(平戸藩支藩)/松浦家1万石:松浦脩 新政府の要請により上洛し恭順
平戸新田藩(平戸藩支藩)(松浦家1万石、松浦脩)。新政府の要請により上洛し恭順。平戸新田藩は平戸藩の支藩で、藩庁は館山(長崎県平戸市)に陣屋を構えました。平戸館山藩とも言われています。 -
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松崎藩(久留米藩支藩)/有馬家1万石:有馬豊祐 親族の窪田藩主土方雄隆継嗣問題に巻き込まれて廃藩
松崎藩(久留米藩支藩)(有馬家1万石、有馬豊祐)。親族の窪田藩主土方雄隆継嗣問題に巻き込まれて廃藩。松崎藩は江戸時代前期に存在した久留米藩の支藩です。藩庁は筑後国御原郡松崎(福岡県小郡市松崎)の松崎陣屋に置かれていました。 -
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東蓮寺藩(福岡藩支藩)/黒田家5万石:黒田長清 二度立藩し二度廃藩となった直方の藩
東蓮寺藩(福岡藩支藩)(黒田家5万石、黒田長清)。二度立藩し二度廃藩となった直方の藩。東蓮寺藩(直方藩)は、福岡藩の支藩として藩庁は東蓮寺(福岡県直方市)に置かれ陣屋が置かれました。 -
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立石藩/木下家5千石:木下俊清 幕末時は本藩日出藩と共に行動をした立石藩
立石藩(木下家5千石、木下俊清)。幕末時は本藩日出藩と共に行動をした立石藩。「木下延俊」は豊後日出藩主として入封したが、後継者が男子が二人いました。息子の「俊治」と「延由」です。 -
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佐伯藩/毛利家2万石:毛利高謙 早くから藩主が勤王派で鳥羽伏見の戦い後に恭順した佐伯藩
佐伯藩(毛利家2万石、毛利高謙)。早くから藩主が勤王派で鳥羽伏見の戦い後に恭順した佐伯藩。文禄三年(1594年)、毛利高政が、それまで豊臣家の直轄地の代官として治めていた豊後玖珠郡の角牟礼城と、宮城豊盛が治めていた日田郡の日隈城、あわ… -
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森藩/久留島家1万2500石:久留島通靖 来島水軍の末裔で大政奉還後いち早く新政府軍に与した森藩
森藩(久留島家1万2500石、久留島通靖)。来島水軍の末裔で大政奉還後いち早く新政府軍に与した森藩。瀬戸内海で村上水軍の一軍として活躍した来島水軍の後裔である「来島長親(康親)」は伊予国来島(愛媛県今治市)に一万四千石を領していました。 -
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日出藩/木下家3万石:木下俊愿 佐幕と勤皇で藩論が割れるが最終的には新政府軍に与した日出藩
日出藩(木下家3万石、木下俊愿)。佐幕と勤皇で藩論が割れるが最終的には新政府軍に与した日出藩。藩祖は「豊臣秀吉」の正室「高台院(ねね)」の兄「木下家定」の三男である「木下延俊」です。 -
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千束藩(小倉藩支藩)/小笠原家1万石:小笠原貞正 小倉藩宗家とともに長州藩と戦うも惨敗し熊本藩領まで逃れた千束藩
千束藩(小倉藩支藩)(小笠原家1万石、小笠原貞正)。小倉藩宗家とともに長州藩と戦うも惨敗し熊本藩領まで逃れた千束藩。千束藩は小倉藩の支藩で当初は小倉新田藩と称しました。 -
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小倉藩/小笠原家15万石:小笠原忠忱 幕長戦争(四境戦争)では小倉口を担当した高杉晋作に惨敗して小倉城を自焼 藩庁を移転した小倉藩
小倉藩(小笠原家15万石、小笠原忠忱)。幕長戦争(四境戦争)では小倉口を担当した高杉晋作に惨敗して小倉城を自焼 藩庁を移転した小倉藩。慶長五年(1600年)の関ヶ原の戦いで、細川忠興は徳川家康の東軍について戦いました。
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