関東地方– category –
石高順にまとめた 関東の藩一覧(幕末) もあります。
関東地方の藩をまとめています。佐倉藩・古河藩・水戸藩などのほか、房総や常陸の1万石前後の小藩が多いのが特徴です。徳川家康の関東入りで生まれ、江戸時代の初めに消えた藩も数多く取り上げています。
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館山藩/稲葉家1万石:稲葉正巳 幕府要職を歴任した名君を排出した館山藩
館山藩(稲葉家1万石、稲葉正巳)。幕府要職を歴任した名君を排出した館山藩。寛政元年(1789年)七月、「稲葉正明」は隠居して嫡子の「稲葉正武」が後を継ぎました。そして寛政三年(1791年)、城山の南麓に「館山陣屋」が建設されています。 -
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安房勝山藩/酒井家1万2千石:酒井忠美 戊辰戦争では一部の藩士が人見勝太郎の旧幕府軍遊撃隊に参加した安房勝山藩
安房勝山藩(酒井家1万2千石、酒井忠美)。戊辰戦争では一部の藩士が人見勝太郎の旧幕府軍遊撃隊に参加した安房勝山藩。安房勝山藩は現在の千葉県安房郡鋸南町勝山に藩庁を置いた藩です。 -
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赤沼藩(赤松藩)/内藤家1万5千石:内藤正友 信濃国岩村田藩へ移封のため廃藩
赤沼藩(赤松藩)(内藤家1万5千石、内藤正友)。信濃国岩村田藩へ移封のため廃藩。内藤正勝は武蔵国比企郡をはじめ、常陸国・下総国・上野国・上総国などで五千石を領していました。 -
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六浦藩(武州金沢藩)/米倉家1万2千石:米倉昌言 戊辰戦争ではいち早く新政府軍に恭順
六浦藩(武州金沢藩)(米倉家1万2千石、米倉昌言)。戊辰戦争ではいち早く新政府軍に恭順。金沢文庫で知られる久良岐郡金沢付近の六浦に陣屋を置いたため「武州金沢藩」や「武蔵金沢藩」とも呼ばれます。藩庁は六浦陣屋に置かれました。 -
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喜多見藩/喜多見家2万石:喜多見重政 一族の刃傷沙汰に連座して改易の上廃藩
喜多見藩(喜多見家2万石、喜多見重政)。一族の刃傷沙汰に連座して改易の上廃藩。天正十八年(1590年)の「小田原征伐」で北条氏が敗北すると、「江戸勝忠」は「徳川家康」の家臣となり、姓を喜多見に改め、以降は喜多見勝忠と名乗りました。 -
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鳩ヶ谷藩/阿部家3万石:阿部正次 上総国大多喜藩へ移封のため廃藩
鳩ヶ谷藩(阿部家3万石、阿部正次)。上総国大多喜藩へ移封のため廃藩。小田原征伐後、関東に入封した「徳川家康」は、譜代の家臣「阿部正勝」に鳩ヶ谷で五千石を与えました。 -
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一宮藩/加納家1万3千石:加納久宜 幕末時は新政府軍に恭順した一宮藩
一宮藩(加納家1万3千石、加納久宜)。幕末時は新政府軍に恭順した一宮藩。第4代藩主「加納久宜」は「戊辰戦争」のとき、新政府側に与しました。当初は鳥羽伏見の戦いに参戦するため海路京都へと向かったが、途中大時化にあい断念しました。 -
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原市藩/西尾家1万2千石:西尾忠永 上野国白井藩へ移封のため廃藩
原市藩(西尾家1万2千石、西尾忠永)。上野国白井藩へ移封のため廃藩。豊臣秀吉の小田原攻めのあと関東に入った徳川家康は、尾張出身の古くからの家臣・西尾吉次にこの地で五千石を与えました。 -
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武蔵小室藩/伊奈家1万3千石:伊奈忠勝 忠勝が夭折したため無嗣断絶にて廃藩
武蔵小室藩(伊奈家1万3千石、伊奈忠勝)。忠勝が夭折したため無嗣断絶にて廃藩。豊臣秀吉による「小田原征伐」後、関東に入封した「徳川家康」は、譜代の家臣「伊奈忠次」に小室一万三千石を与えました。これが小室藩の立藩です。 -
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石戸藩/牧野家1万1千石:牧野信成 下総国関宿藩に加増移封のため廃藩
石戸藩(牧野家1万1千石、牧野信成)。下総国関宿藩に加増移封のため廃藩。石戸藩は、現在の埼玉県上尾市北西部から鴻巣市南西部にかけてを統治した藩です。領内の川田谷(現在の桶川市川田谷)に陣屋を設置しました。石戸藩祖は「牧野信成」です。 -
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久喜藩/米津家1万1千石:米津通政 出羽長瀞藩へ移封のため廃藩
久喜藩(米津家1万1千石、米津通政)。出羽長瀞藩へ移封のため廃藩。譜代大名の「米津政武」が武蔵国久喜に領地を与えられ陣屋を設置し久喜藩が立藩されます。寛政十年(1798年)七月、5代藩主「米津通政」が武蔵国内の所領六千四百石を出羽国村… -
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高坂藩(掛塚藩)/加賀爪家1万3千石:加賀爪直清 成瀬家との領地争いにより廃藩
高坂藩(掛塚藩)(加賀爪家1万3千石、加賀爪直清)。成瀬家との領地争いにより廃藩。「加々爪忠澄」は「関ヶ原の戦い」、「大坂の陣」で武功を挙げたため、加増を受けて寛永十年(1633年)に九千五百石を与えられました。 -
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野本藩/渡辺家1万3千5百石:渡辺基綱 大庭寺藩へ移封のため廃藩
野本藩(渡辺家1万3千5百石、渡辺基綱)。大庭寺藩へ移封のため廃藩。野本藩初代藩主の「渡辺吉綱」は「槍半蔵(渡辺守綱)」の孫で4代将軍「徳川家綱」に仕えたのち、寛文元年(1661年)に大坂定番となり、河内・和泉両国に一万石を加増されて… -
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武蔵松山藩/松平家3万石:松平忠頼 遠江国浜松藩に加増移封のため廃藩
武蔵松山藩(松平家3万石、松平忠頼)。遠江国浜松藩に加増移封のため廃藩。「豊臣秀吉」の「北条征伐」後に「徳川家康」が関東入国すると、天正十八年(1590年)に「松平家広」が武蔵松山一万石を与えられて武州松山藩を立藩しました。 -
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騎西藩(私市藩)/大久保家2万石:大久保忠職 美濃加納藩へ加増移封のため廃藩
騎西藩(私市藩)(大久保家2万石、大久保忠職)。美濃加納藩へ加増移封のため廃藩。豊臣秀吉の「北条征伐」後、関東に入った「徳川家康」は松井松平家の「松平康重」に騎西二万石を与えて騎西藩(私市藩)が立藩されました。 -
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東方藩/戸田家1万石:戸田康長
東方藩(戸田家1万石、戸田)。康長。武蔵国幡羅郡東方—現在の埼玉県深谷市東方に、わずか十一年だけ存在した一万石の藩です。藩主は一人しかいません。松平康長、ただ一代で終わりました。 -
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深谷藩/酒井家5万石:酒井忠勝 川越藩へ移封のため廃藩
深谷藩(酒井家5万石、酒井忠勝)。川越藩へ移封のため廃藩。元和八年(1622年)、「酒井忠勝」が一万石で入封し「深谷藩」が立藩されます。忠勝は寛永元年(1624年)八月、上総・武蔵・下総国内に二万石を加増され、老中に列せられます。 -
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岡部藩/安部家2万2250石:安部信発 幕末の動乱の中三河国半原藩へ移封のため廃藩
岡部藩(安部家2万2250石、安部信発)。幕末の動乱の中三河国半原藩へ移封のため廃藩。安部氏の歴代藩主の多くは、大坂定番・加番などを務めています。第7代藩主「安部信允」も大坂定番を務め、藩校「就将館」を設置しています。 -
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八幡山藩/松平家1万石:松平家清 三河国吉田に加増転封のため廃藩
八幡山藩(松平家1万石、松平家清)。三河国吉田に加増転封のため廃藩。豊臣秀吉の北条征伐後に「徳川家康」が関東に入封し、江戸城に本拠を構えると、「松平家清」に児玉郡八幡山一万石を与え、八幡山藩を立藩させました。 -
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本庄藩/小笠原家1万石:小笠原信之 下総古河藩へ加増転封のため廃藩
本庄藩(小笠原家1万石、小笠原信之)。下総古河藩へ加増転封のため廃藩。本庄城には、新しい城主として小笠原信嶺が入りました。信嶺は入城から8年目の慶長三年(1598年)に亡くなり、跡を継いだ小笠原信之が本庄藩の二代藩主となります。 -
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岩槻藩/大岡家2万3千石:大岡忠恕 江戸薩摩藩邸焼討に参戦するも一転恭順して家名を保った岩槻藩
岩槻藩(大岡家2万3千石、大岡忠恕)。江戸薩摩藩邸焼討に参戦するも一転恭順して家名を保った岩槻藩。岩槻藩は「大岡忠恕」の時代に幕末の動乱に加え天災が重なり、さらには岩槻城の本丸焼失などの不幸が相次いで、財政は破綻寸前となりました。
