全藩一覧—幕末の藩を地域・名前から探す– category –
江戸時代に置かれた藩を、地方別にまとめています。幕末まで続いた藩だけでなく、江戸時代の初めに取りつぶされたり国替えで消えたりした小さな藩も含め、およそ530の藩を一つずつ取り上げました。各ページでは藩が生まれた経緯、藩主家の移り変わり、幕末から廃藩置県までの動き、いまの城跡・陣屋跡の場所を紹介しています。
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備中松山藩/板倉家5万石:板倉勝静 老中主座を務めた藩主自ら函館五稜郭まで転戦した備中松山藩
備中松山藩(板倉家5万石、板倉勝静)。老中主座を務めた藩主自ら函館五稜郭まで転戦した備中松山藩。元禄八年(1695年)、上野国高崎藩より「安藤重博」が六万五千石で入封します。 -
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庭瀬藩/板倉家2万石:板倉勝弘 戊辰戦争では伊予松山藩攻めにも参戦した庭瀬藩
庭瀬藩(板倉家2万石、板倉勝弘)。戊辰戦争では伊予松山藩攻めにも参戦した庭瀬藩。慶長五年(1600年)、「関ヶ原の戦い」で西軍主力となった宇喜多秀家の家臣「戸川達安」は、宇喜多家の内紛により徳川家康率いる東軍方に味方しました。 -
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足守藩/木下家2万5千石:木下利恭 備中松山藩討伐軍に加わり大坂で適塾を開いた緒方洪庵を輩出した足守藩
足守藩(木下家2万5千石、木下利恭)。備中松山藩討伐軍に加わり大坂で適塾を開いた緒方洪庵を輩出した足守藩。豊臣秀吉の妻・北政所(ねね)の兄で、播磨姫路二万五千石の城主だった木下家定が、慶長六年(1601年)に同じ二万五千石でこの地へ移… -
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長州藩(萩藩、毛利藩)/毛利家36万石:毛利元徳 鳥羽・伏見の戦いを制し戊辰戦争を戦い抜いた長州藩
長州藩(萩藩、毛利藩)(毛利家36万石、毛利元徳)。鳥羽・伏見の戦いを制し戊辰戦争を戦い抜いた長州藩。長州藩は「関ヶ原の戦い」前までは安芸を中心とした百十二万石を領する大大名でした。 -
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岩国藩(長州藩支藩)/吉川家3万石:吉川経幹 四境戦争では芸州口で幕府軍を撃退した岩国藩
岩国藩(長州藩支藩)(吉川家3万石、吉川経幹)。四境戦争では芸州口で幕府軍を撃退した岩国藩。慶長五年(1600年)、「関ヶ原の戦い」で「吉川広家」は徳川家康率いる東軍に内通し、毛利勢の動きを封じ、関ヶ原の本戦に参加させませんでした。 -
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広島藩(芸州藩)/浅野家42万6千石:浅野長訓 軍を京都に送るも鳥羽・伏見の戦いには参戦しなかった広島藩
広島藩(芸州藩)(浅野家42万6千石、浅野長訓)。軍を京都に送るも鳥羽・伏見の戦いには参戦しなかった広島藩。広島は元々は毛利輝元の主城であったが、「関ヶ原の戦い」で萩へ押し込められ、変わって同戦で戦功のあった「福島正則」が入封しました。 -
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備後福山藩/阿部家10万石:阿部正桓 函館戦争に参加し榎本脱走軍と戦った福山藩
備後福山藩(阿部家10万石、阿部正桓)。函館戦争に参加し榎本脱走軍と戦った福山藩。元治元年(1864年)、福山藩は幕府から第一次長州征討への出陣を命じられます。 -
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鳥取藩/池田家32万5千石:池田慶徳 戊辰戦争では新政府に与し河田左久馬・北垣晋太郎らを輩出した鳥取藩
鳥取藩(池田家32万5千石、池田慶徳)。戊辰戦争では新政府に与し河田左久馬・北垣晋太郎らを輩出した鳥取藩。慶長五年(1600年)、「関ヶ原の戦い」の後、「池田恒興」の三男(嫡男輝政の弟)の「池田長吉」が六万石で入封し鳥取藩が立藩しました。 -
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松江藩/松平家18万6千石:松平定安 ご親藩のため藩論が割れたが結局は新政府軍に従った松江藩
松江藩(松平家18万6千石、松平定安)。ご親藩のため藩論が割れたが結局は新政府軍に従った松江藩。寛永十五年(1638年)、徳川家康の次男・結城秀康の三男にあたる松平直政が、信濃松本から十八万六千石で入りました。 -
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津和野藩/亀井家4万3千石:亀井茲監 長州藩の隣藩ということもあり早くから新政府に属した津和野藩
津和野藩(亀井家4万3千石、亀井茲監)。長州藩の隣藩ということもあり早くから新政府に属した津和野藩。元和三年(1617年)七月二十日、因幡の鹿野から亀井政矩が四万三千石で入り、以後明治まで亀井家が藩主を務めました。 -
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浜田藩/松平家6万1千石:松平武聰 長州藩大村益次郎の軍に惨敗し城を捨てて敗走した浜田藩
浜田藩(松平家6万1千石、松平武聰)。長州藩大村益次郎の軍に惨敗し城を捨てて敗走した浜田藩。第4代藩主「松平康爵」は天保七年(1836年)、三月十二日に陸奥棚倉藩へ懲罰的な転封となりました。 -
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津山藩/松平家10万石:松平慶倫 幕末時は尊皇攘夷派を排斥したが無事に戊辰戦争を乗り切った津山藩
津山藩(松平家10万石、松平慶倫)。幕末時は尊皇攘夷派を排斥したが無事に戊辰戦争を乗り切った津山藩。慶長八年(1603年)、信濃川中島藩より「森可成」の末子「森忠政」が美作一国十八万六千五百石で入封し、津山藩が立藩しました。 -
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鹿野藩/池田家1万石:池田政直 播磨国福本へ移封のため廃藩
鹿野藩(池田家1万石、池田政直)。播磨国福本へ移封のため廃藩。天正十年(1582年)、尼子氏の遺臣「亀井茲矩」が「豊臣秀吉」に一万三千五百石を与えられ鹿野城主となりこの地を治めました。 -
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阿波徳島藩/蜂須賀家25万7千石:蜂須賀茂韶 佐幕派と尊皇派で藩論が割れて新政府軍への協力が縮小された徳島藩
阿波徳島藩(蜂須賀家25万7千石、蜂須賀茂韶)。佐幕派と尊皇派で藩論が割れて新政府軍への協力が縮小された徳島藩。「豊臣秀吉」股肱の臣で播磨国龍野を領していた「蜂須賀正勝」は、天正十三年(1585年)の「四国征伐」の後に阿波国を与えられ… -
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姫路藩/酒井家15万石:酒井忠邦 最後まで徳川家に忠節を貫いたことで朝敵とされ追討軍まで編成された姫路藩
姫路藩(酒井家15万石、酒井忠邦)。最後まで徳川家に忠節を貫いたことで朝敵とされ追討軍まで編成された姫路藩。幕末には藩主「酒井忠績」が大老となり勤王派の制圧に力を振るいましたが、慶応三年(1867年)二月に隠居しました。 -
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今治藩/松平家3万5千石:松平定法 早くから新政府軍に従い江戸や会津征伐まで参戦した今治藩
今治藩(松平家3万5千石、松平定法)。早くから新政府軍に従い江戸や会津征伐まで参戦した今治藩。慶長五年(1600年)、伊予の板島(いまの宇和島)で七万石を持っていた藤堂高虎は、関ヶ原の戦いの働きで二十万石に増やされました。 -
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淡路洲本藩/稲田家1万4千石:稲田邦植 幕末には徳島藩とは別に新政府軍に従い一層溝が深まった淡路洲本城代稲田家
淡路洲本藩(稲田家1万4千石、稲田邦植)。幕末には徳島藩とは別に新政府軍に従い一層溝が深まった淡路洲本城代稲田家。慶長五年(1600年)の「関ヶ原の戦い」においては、「脇坂安治」は石田三成率いる西軍に与したが、早くから「藤堂高虎」と内… -
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竹田藩/赤松家2万2千石:赤松広秀(斎村政広)関ヶ原の戦いの地方戦で鳥取城を攻めるも城下が火災に包まれた責を負い切腹となり廃城
竹田藩(赤松家2万2千石、赤松広秀(斎村政広))。関ヶ原の戦いの地方戦で鳥取城を攻めるも城下が火災に包まれた責を負い切腹となり廃城。最後の城主である「赤松広秀(斎村政広)」は「関ヶ原の戦い」では石田三成率いる西軍に属し、田辺城(舞鶴城… -
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出石藩/仙石家3万石:仙石政固 幕府から家老を押し付けられたがこれを切腹 新政府軍に属した出石藩
出石藩(仙石家3万石、仙石政固)。幕府から家老を押し付けられたがこれを切腹 新政府軍に属した出石藩。慶長五年(1600年)の関ヶ原の戦いで、小出吉政は父の秀政とともに西軍に加わり、細川家の丹後田辺城を攻めました。 -
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明石藩/松平家8万石:松平直致 御家門(親藩)の関係で鳥羽・伏見の戦いでは幕府軍として参戦するもその後新政府に恭順した明石藩
明石藩(松平家8万石、松平直致)。御家門(親藩)の関係で鳥羽・伏見の戦いでは幕府軍として参戦するもその後新政府に恭順した明石藩。江戸時代播磨一国を支配する姫路藩は池田氏の所領でした。 -
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赤穂藩/森家2万石:森忠儀 赤穂浪士で有名な浅野家改易後森家が入封し幕末明治を迎えた赤穂藩
赤穂藩(森家2万石、森忠儀)。赤穂浪士で有名な浅野家改易後森家が入封し幕末明治を迎えた赤穂藩。元禄十四年(1701年)、第3代藩主「浅野長矩(内匠頭)」は江戸城中で高家旗本「吉良義央(上野介)」に斬りつけ、長矩は切腹し浅野家は改易とな…
