| 石田入道 | |||
| 職名 | 平隊士 | ||
| 出身 | 不明 | ||
| 終焉場所 | 不明 | ||
| 終焉方法 | 不明 | ||
慶応4年に入隊するがその後の詳細は不明です。
目次
石田入道をもっと深く——慶応四年に入った隊士
「入道」という名乗りが目を引きます。慶応四年に入隊したこと以外、何も伝わっていません。
慶応四年に入るということ
この年に新選組へ入るのが、どういうことだったのかを書いておきます。
- 正月三日——鳥羽・伏見で敗れ、江戸へ引き揚げ
- 三月——甲陽鎮撫隊として甲州へ。勝沼で敗北
- 四月三日——流山で近藤勇が捕縛される
- 四月二十五日——板橋で近藤勇が斬首
- 閏四月〜七月——白河口、白石で奥羽越列藩同盟
- 八月——母成峠で敗走、会津落城へ
- 十月——蝦夷へ渡海
負け続けた一年です。この年に入隊するというのは、勝ち目がないと分かったうえで加わるということでした。
それでも人は入ってきました
不思議なことに、この年の新選組には人が集まっています。
新井破摩男は戊辰が始まってから入隊しました。青山次郎は会津藩士ら二十人を連れて加わっています。青木連は蝦夷へ渡ったあとの入隊でした。仙台では唐津・桑名・備中松山の藩士が乗り込んでいます。
幕府が崩れていく過程で、行き場を失った人間の受け皿になっていたということでしょう。勝つために入るのではなく、ほかに行くところがないから入る。
そのあとは分かりません
石田入道が蝦夷まで行ったのか、江戸で消えたのかは記録がありません。入隊した、という一点だけが名簿に残っています。
当サイトの隊士ページを順に見ていただくと、こうした人が並んでいるのが分かると思います。新選組の隊士名簿とは、大半がこの程度の情報しか伝えてくれないものです。その事実自体が、この集団の実像でもあります。
新選組隊士全456名情報

