鈴木三樹三郎【新選組隊士 九番隊隊長 幕末】

鈴木三樹三郎
職名 九番隊隊長
出身 常陸
終焉場所 不明
終焉方法 病没

伊東甲子太郎の実弟です。
兄の甲子太郎ととも新選組に入隊するがまもなく脱退し「御陵衛士」となります。
油小路事件では血路を開き薩摩藩に匿われました。
その後赤報隊幹部を経て軍曹となり会津にも転戦します。
維新後は司法畑などを歴任して、大正八年に没します

鈴木三樹三郎の肖像
鈴木三樹三郎の肖像(Wikimedia Commons、パブリックドメイン)
目次

伊東甲子太郎の弟

鈴木三樹三郎は、常陸・志筑の出身で、新選組参謀・伊東甲子太郎の実弟にあたります。兄とともに新選組に加わり、九番隊組長を務めました。やがて兄・伊東が尊皇の立場から新選組を離れると、三樹三郎もこれに従い、御陵衛士(高台寺党)の一員となります。

会津若松の鶴ヶ城(福島県会津若松市)
会津若松の鶴ヶ城(福島県会津若松市)。新選組は戊辰戦争で会津藩とともに戦いました(現地取材の記事・筆者撮影)

油小路を生き延びて

1867年(慶応三年)、兄・伊東が新選組に暗殺された油小路事件では、三樹三郎は難を逃れて生き延びました。その後は新政府側に身を投じて戊辰戦争を戦い、維新後も長く生きて、幕末の激動を後世に伝える証人の一人となりました。兄と道をともにしながら、生き残って時代の変転を見届けた隊士です。

兄を討たれ、逃げ延びて、警察署長になりました

鈴木三樹三郎は天保八年七月十五日、常陸志筑藩士で郷目付の鈴木専右衛門忠明の二男として生まれました。兄が伊東甲子太郎です。元治元年十月、藤堂平助の隊士募集に応じ、兄や篠原泰之進らと京へ上って新選組に入り、慶応元年に九番隊組長となります。慶応三年三月、兄らとともに隊を離れて御陵衛士に移りました。

その年の十一月十八日の油小路事件で、兄の甲子太郎が討たれます。三樹三郎は遺体を引き取りに出たところを待ち伏せされ、乱闘を切り抜けて、加納鷲雄・富山弥兵衛とともに薩摩藩邸へ逃れました。この日、藤堂平助・服部武雄・毛内有之助は討たれています。

鳥羽伏見では、薩摩の側から新選組と戦いました

鳥羽伏見の戦いでは薩摩藩の中村半次郎の下、薩摩藩一番隊に入り、伏見奉行所の新選組と戦いました。かつての同志と刃を交えたことになります。その後は赤報隊の二番隊隊長として北越、会津の戦線を転戦しました。

明治十二年、鶴岡警察署長

明治二年七月に弾正台少巡察となり、廃藩置県ののちに忠良と改名。司法省、伊那県、千葉県、山形県と、主に司法と警察の仕事に就きました。明治十二年には鶴岡警察署長。明治十八年正月に福島県二等属を最後に役を退き、茨城県石岡町で余生を送りました。亡くなったのは大正八年七月十一日、八十二歳です。墓は石岡市の東耀寺にあります。新選組を離れた隊士のなかでも、とりわけ長く生きた一人でした。

この隊士が関わった油小路事件については、油小路事件とは—伊東甲子太郎と御陵衛士が斬られた夜で詳しくまとめています。

新選組の役職と、それぞれを務めた隊士は、新選組の組織と役職—局長・副長・組長・監察・勘定方・伍長、誰が何を務めたのかにまとめています。

鈴木三樹三郎の生きた時代—兄・伊東甲子太郎と赤報隊

兄とともに 鈴木三樹三郎は、新選組の参謀・伊東甲子太郎の実の弟です。慶応三年(1867)三月、兄とともに新選組を離れて御陵衛士となり、十一月十八日の油小路の変で兄を新選組に討たれました。鈴木はこのとき難を逃れ、薩摩藩邸にかくまわれます。

その後 鈴木はその後、相楽総三らの赤報隊に加わり、二番隊を率いて東山道を進みました。赤報隊が「偽官軍」として処罰されたとき、鈴木の隊は難を免れています(赤報隊と相楽総三)。兄を討った新選組と、のちに戊辰の戦場で対する立場に立ったのです。

九番組長・鈴木三樹三郎と、組長たち

兄とともに加わった隊

鈴木三樹三郎は、兄の伊東甲子太郎とともに元治元年の秋に新選組に加わりました。江戸へ下った近藤勇が、新しい隊士として迎え入れた一団です。伊東は参謀兼文学師範となり、鈴木はやがて九番組の組長を任されています。慶応元年ごろの幹部の顔ぶれは次のとおりです。

  • 局長:近藤勇
  • 副長:土方歳三
  • 総長:山南敬助(慶応元年二月に切腹)
  • 参謀:伊東甲子太郎
  • 一番組:沖田総司/二番組:永倉新八/三番組:斎藤一
  • 四番組:松原忠司/五番組:武田観柳斎/六番組:井上源三郎
  • 七番組:谷三十郎/八番組:藤堂平助/九番組:鈴木三樹三郎/十番組:原田左之助

常陸から出た兄弟

伊東と鈴木の兄弟は、常陸の志筑藩士の家の出身です。常陸の国では水戸藩が尊王攘夷の考えを強く打ち出しており、兄弟もその影響を受けて育ちました。のちに兄弟が新選組を離れて御陵衛士を結成したのも、尊王の志を新選組とは別の形で貫こうとしたためといわれます。

参考資料:Wikipedia日本語版「鈴木三樹三郎」「新選組」、新人物往来社編『新選組大人名事典』、永倉新八『新撰組顛末記』ほか。隊士の生没年・出身・役職は、名簿や資料によって異なることがあります。

新選組の隊士を続けて読む(名簿番号順)

◀ 前の隊士:藤堂平助(八番隊隊長)
次の隊士 ▶:原田左之助(十番隊隊長)

新選組隊士全456名の一覧 / 新選組の年表 / 新選組とは何者だったのか / 隊士名簿はなぜ食い違うのか / 切腹・粛清一覧 / 壬生・八木邸(現地取材) / 池田屋騒動の跡(現地取材)

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