旭日丸【江戸幕府 バーク船 幕末軍艦】

旭日丸
藩名 江戸幕府
藩主 徳川慶喜
船種 バーク船
機関 帆走
備砲 0門
材質 木製
馬力 0馬力
写真 スケッチ

■ 詳細
国産で江戸の小石川にて建造されます。水戸老侯(徳川斉昭)が督工させて幕府へ献納しました。
長23間1・幅5間2という船です。

目次

所属した江戸幕府と、水戸藩が造った「旭日丸」

この船・旭日丸は、江戸幕府の洋式軍艦ですが、じつは水戸藩の手で建造された一隻です。

幕末、海防の必要に迫られた幕府は、大船建造の禁を解きます。これを受けて水戸藩が江戸の石川島で洋式軍艦を造り、幕府に献上したのが旭日丸でした。徳川御三家の一つ・水戸藩は、尊皇思想の一大拠点であると同時に、こうした海防への取り組みでも幕府を支えたのです。旭日丸は、その協働の産物でした。幕府海軍は幕末の軍艦のページへ。

旭日丸をもっと深く——この船を造るために、石川島造船所ができた

幕末に造られた船のなかで、船そのものより造った場所のほうが有名になったという珍しい例です。

ペリー来航の直後に起工

起工式は嘉永七年正月二日。西暦でいえば1854年1月30日、ペリーが再来航する直前です。竣工は安政三年五月。

造ったのは水戸藩。徳川斉昭が藩をあげて軍備の近代化を進めていた時期にあたります。主任は鱸半兵衛、算術家の小幡算衛門、船大工棟梁の杢左衛門らが加わりました。

建造 日本・石川島(1856年竣工)
建造主体 水戸藩
排水量 約750トン(推定)
推進 帆走のみ(三檣シップ型)
備砲 片舷12門の砲眼

排水量およそ七百五十トン。竣工当時の日本で最大級の船でした。

「厄介丸」

ただし順調ではありませんでした。1854年11月29日、船体が重すぎて擱座し、横転する事故を起こしています。復旧に安政二年正月まで、一年以上かかったです。

そのため当時「厄介丸」と呼ばれたといいます。二百年以上大船を造らせてもらえなかった国が、いきなり七百五十トンの船を造ろうとしたのだから、無理も出ます。鳳凰丸昌平丸も同じ時期の手探りの産物です。

造船所のほうが残った

そしてここが肝心なところだ。この船を造るために開かれた石川島の造船所は、そのまま日本の造船業の出発点になりました。

石川島造船所はのちに幕府の千代田形を手がけ、明治以降も発展を続けて、現在のIHIにつながっています。船は消えても、船を造る場所が残りました。

船のその後

竣工後、旭日丸は水戸藩から幕府へ献上され、幕府海軍の輸送船として使われました。1859年10月には下関から江戸へ御用金を運び、慶応二年の第二次長州征討では大島口の戦いに参加しています。

そして戊辰戦争を生き延びました。明治以降も輸送船として働き、樽廻船の船主・嘉納治郎作の手に渡って沿岸海運に従事しています。厄介丸と呼ばれた船が、いちばん長く働きました。

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