飛龍丸【江戸幕府 スクリュー汽船 幕末軍艦】

飛龍丸
藩名 江戸幕府
藩主 徳川慶喜
船種 スクリュー汽船
機関 蒸気内車
備砲 0門
材質 木製
馬力 90馬力
写真

■ 詳細
長26間半・幅5間。

目次

所属した江戸幕府と、神戸海軍操練所

この船・飛龍丸を運用したのも、江戸幕府です。幕府海軍を語るうえで欠かせないのが、勝海舟が開いた神戸海軍操練所です。

元治元年(1864)に設けられたこの操練所には、幕臣だけでなく、脱藩浪士だった坂本龍馬ら諸国の若者も集いました。身分を超えて海軍人材を育てようとした勝の理想の場でしたが、まもなく閉鎖されます。ここで学んだ龍馬は、のちに海援隊を興しました。飛龍丸は、その幕府海軍の一隻です。全体像は幕末の軍艦のページへ。

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小倉藩が買い、負けて幕府へ差し出した船です

この船の来歴は少し込み入っています。原名はアメリカの商船プロミス。慶応元年、まず小倉藩が買いました。ところが翌慶応二年の第二次長州征討で小倉藩は敗れ、この船を幕府へ献上することになります。幕府が長崎で受け取ったのは慶応三年六月二十九日で、帳簿の上では八万ドルで買った形にしてありました。九十馬力、全長五十三メートル、幅八・四メートル、大砲二門。建造の年は安政五年とする説と千八百六十四年とする説があって、定まっていません。

今度は新政府に捕られました

慶応四年五月二十三日、浦賀で新政府軍に捕らえられ、その年の八月に買い取られて運送船となります。小倉藩から幕府へ、幕府から新政府へ。持ち主が三度変わった船です。明治元年九月十八日には、富士山丸、武蔵とともに清水港で咸臨丸を捕らえています。かつて幕府の顔だった船を、かつて幕府の船だったものが捕まえたことになります。

箱館では、陸兵二百五十人を運びました

明治二年三月八日に品川を出て函館へ向かい、四月九日の乙部への上陸戦では陸兵二百五十名を運びました。陽春丸などとともに宮古湾海戦の艦隊にも加わっています。

最後は、船の代金の一部になりました

明治四年七月十二日、東京丸を買うときの代金の一部として、飛隼丸、行速丸とともに八万円相当としてイギリス人へ渡されました。船を買うために船で払ったわけです。そのあとはアメリカ人の持ち船となって横浜丸と名を変え、明治六年にまた日本へ売られています。

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