| 奇捷丸 | |||
| 藩名 | 江戸幕府 | ||
| 藩主 | 徳川慶喜 | ||
| 船種 | スクリュー汽船 | ||
| 機関 | 蒸気内車 | ||
| 備砲 | 0門 | ||
| 材質 | 鉄製 | ||
| 馬力 | 150馬力 | ||
| 写真 | 無 | ||
■ 詳細
長36間5尺・幅5間・517トン。
目次
所属した江戸幕府と、旗艦・開陽丸
この船・奇捷丸を運用したのも、江戸幕府です。幕府海軍の象徴といえば、オランダで建造された旗艦・開陽丸でした。
榎本武揚みずからオランダに留学して受け取り、日本へ回航した最新鋭艦です。しかし戊辰戦争のさなか、榎本が蝦夷地へ向かう途上、開陽丸は暴風のため江差沖で座礁・沈没してしまいます。旗艦を失ったことは、旧幕府軍にとって大きな痛手となりました。奇捷丸も、その幕府海軍が持った一隻です。全体像は幕末の軍艦のページへ。
幕末軍艦一覧リスト
幕府の一覧に名はありますが、それだけです
奇捷丸は、幕府海軍の艦船を並べた一覧に確かに載っています。ところが、そこには船名しか書かれておらず、ほかの船に付いている「明治政府へ移管」といった注記もありません。原名も、どこの国でいつ造られたのかも、いつ誰からいくらで買ったのかも、幕府海軍でどう使われ、そのあとどうなったのかも、調べた範囲では分かりませんでした。読み方すら、ふりがなを振った資料が見つかりません。
この記事にある数字の出どころ
長三十六間五尺・幅五間・五百十七トン、百五十馬力のスクリュー汽船という要目は、幕末の幕府艦船の諸元を調べるときの大本になる勝海舟の『海軍歴史』の船譜から来ているのかもしれません。ただし、そこまでは確かめられていません。五百十七トンという大きさは幕府の船のなかでは中くらいで、備砲が無いことからも、兵や物を運ぶための船だったとみられます。名前だけが残って中身の分からない船が幕府海軍にも何隻かあり、奇捷丸はその一つです。

