甲子丸【佐賀藩 仮装軍艦 幕末軍艦】

甲子丸
藩名 佐賀藩
藩主 鍋島直正(閑叟)
船種 バーク船
機関 蒸気内車
備砲 8門
材質 鉄製
馬力 240馬力
写真 絵図

■ 詳細
1857年建造のイギリス製「鉄製スクリュー蒸気船」です。原名は「カルチーテ」、240馬力・長28間4尺・500トン。

1864年9月長崎にて英国商人より佐賀藩が購入しました。本来は輸送船として建造されたが、鉄製の大型艦であったので武装して軍艦として使用しました。購入当初は長崎湾警備などを行っていました。

目次

所属した佐賀藩と、精煉方

この軍艦・甲子丸を運用したのも、佐賀藩(鍋島家)です。佐賀藩の近代技術を支えた研究機関が、精煉方(せいれんかた)でした。

ここでは佐野常民や、からくり儀右衛門と呼ばれた発明家・田中久重らが、蒸気機関や電信、写真、火器などの研究に取り組みました。西洋の科学を実地に消化しようとしたこの取り組みが、反射炉やアームストロング砲、蒸気船といった佐賀の成果を生んだのです。甲子丸は、その技術立藩・佐賀の一隻です。

幕末軍艦一覧リスト

元治元年に買った、五百トンの鉄の船です

原名はカルチーテ。千八百五十七年のイギリス製で、二百四十馬力、長二十八間四尺、五百トンの鉄製スクリュー蒸気船です。元治元年九月、長崎でイギリス商人から佐賀藩が買いました。もとは輸送のために造られた船ですが、鉄でできた大きな船だったので、武装して軍艦として使っています。買った当初は長崎湾の警備にあたりました。

佐賀藩が長崎を守っていた理由

この藩が長崎の警備を担っていたのには、古い経緯があります。文化五年八月十五日のフェートン号事件です。イギリスの軍艦がオランダ船を装って長崎へ入り、人質を取って薪と水を要求しました。このとき警備の当番だった佐賀藩は、少数の兵しか置いていませんでした。長崎奉行の松平康英はその夜に切腹しています。以来この藩にとって長崎の海は、負い目と備えの両方がある場所でした。甲子丸の買い足しも、その延長にあります。

買った船を、軍艦に仕立て直しています

甲子丸も、二年後に買った皐月丸も、もとは輸送船でした。それを武装して軍艦として使っています。幕末の藩が持っていた軍艦の多くは、こうして商船を仕立て直したものでした。大砲を積む場所と、それに耐える船体があればよかったのです。鉄製の大型船がとくに好まれたのは、そのためでした。

分からないこと

原名カルチーテの綴り、仲介した商人の名、戊辰戦争での動き、そのあとの船歴。いずれも確かめられませんでした。

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