乙女丸【土佐藩 輸送船 幕末軍艦】

乙女丸
藩名 土佐藩
藩主 山内容堂
船種 輸送船
機関 帆走
備砲 0門
材質 木製
馬力 0馬力
写真

■ 詳細
原名は「オーサカ」。1866年に建造され、1867年に英国商人オールトから土佐藩が1万7千ドルで購入しました。
長21間4尺・幅4間4尺・386トンでした。

目次

所属した土佐藩と、吉田東洋

この軍艦・乙女丸を運用したのも、土佐藩(山内家)です。幕末の土佐藩政を主導した実力者に、参政・吉田東洋がいます。

東洋は藩主・山内容堂に登用され、殖産興業や軍備の近代化など、思い切った藩政改革を進めました。後藤象二郎や板垣退助といった人材も、東洋のもとで育っています。しかし急進的な手法は反発を招き、文久二年(1862)、土佐勤王党の刺客に暗殺されました。乙女丸は、その改革者を擁した土佐の一隻です。

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土佐藩の船は、源氏物語の巻の名で揃っています

乙女丸という名は、人の名ではありません。『源氏物語』の巻の名です。土佐藩が幕末に持った洋式の船は、若紫丸夕顔丸空蝉丸箒木丸胡蝶丸、乙女、紅葉賀と、揃って源氏の巻から名を取っていました。藩ぐるみで一つの物語から船名を選んでいたわけです。なお乙女を坂本龍馬の姉・坂本乙女にちなむ名とする説明を見かけることがありますが、それを裏づける資料は見あたりませんでした。巻名で揃っている以上、姉の名から取ったとは考えにくいところです。

長崎の若い商人から買いました

原名はオーサカ。千八百六十六年に造られ、翌年、イギリス商人オールトから土佐藩が一万七千ドルで買いました。長二十一間四尺・幅四間四尺で三百八十六トンですから、換算すると長さおよそ三十九・四メートル、幅およそ八・五メートルになります。オールトとはウィリアム・オルトのことで、安政六年十月、十九歳で長崎にオルト商会を開いた人です。茶や海産物を輸出し、食料や布、そして中古の船を輸入していました。同じ土佐藩の夕顔丸も、慶応三年二月にこのオルト商会を通して洋銀十五万五千ドルで買っています。土佐藩は慶応三年の時点で、オルトに十万両を超える借りがありました。十八万両とする資料もあります。

買っていたのは、後藤象二郎と岩崎弥太郎です

長崎で船と銃を買い集めていたのは、開成館奉行の後藤象二郎でした。慶応二年に多くの部下を連れて長崎へ入り、慶応三年六月に去っています。入れ替わるように慶応三年三月、開成館貨殖局の長崎出張所へ来たのが岩崎 弥太郎です。弥太郎はオルトと馬に乗りに出かける仲だったと伝えられます。明治三年、弥太郎は藩から独立して九十九商会を起こし、閏十月十八日に廻漕業の仮免許を取り、藩の船だった夕顔、鶴、紅葉賀の三隻で商売を始めました。これが明治五年に三川商会、明治六年に三菱商会、明治七年に三菱汽船会社となります。源氏物語の名を持つ土佐藩の船が、そのまま三菱の始まりになったということです。

その後は分かりません

乙女丸そのものが戊辰戦争でどう使われ、そのあとどうなったのかは分かりませんでした。買った日付も、造られた国も確かめられていません。

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